先ほど、ある方からメッセージをいただきました。
諸々あり、内容は明らかにできません。
が、私の生来の攻撃的性格からか、傷つけてしまったようです。
私は今回の出版に際して、ペンネームではなく、あえて、実名表記にしました。
それは、自分の退路を断つためです。
この書を読んだカミングアウトをしていない知人からの声はまだ来ていません。
でも、それを承知で書いたのは自分ですから、全てが好意的に受け取る人ばかりでなく、覚悟はしています。
売れすぎたら困る。これは、他人に言うべきことではないですね。
でも、これは私の本心です。謙遜ではなく。
首都圏に住んでいたら、暇な学芸部の記者当たりが現れたりする可能性がゼロではないからです。天敵の週刊新潮が来たら、どうしよう。という思いもあります。どこまでも追いかけてきますからね。
それを、チャンスと思え。と言われそうですが、本には書かなかった事実もたくさんあります。両親は諦めているようですが、兄弟は冷ややかです。
では、それでお金をもらえるのだから、いいじゃないか。という声も確かにあります。これは現在、係争中なので、思わせぶりではなく、可能な限り公開していきます。お金は出て行く一方です。
出版したら、有名になる。これも該当しません。私はあまり目立ちたがり屋ではないからです。自尊心はありますが、それとは別な問題です。仕事は競争に勝つことでしたら、これはクリアしなくてはならず、その意味では誤解を免れないかもしれません。
長いか短いかは別にして、16年間の新聞記者生活と、プラスアルファー10年弱のジャーナリスト歴。楽しいことばかりではありません。お金のことを考えると、コンビニのアルバイトの方が良いかも知れません。ですが、この歳で雇ってくれるところはどこもないでしょう。
登山に人生を例えると、今は下り坂です。でも登りよりは下りの方が労力を使うし、危険性が高い。いけないことを連想してはだめですね。私は剛毅では全くありませんから。
勢いだけで生きてきた自分の人生。だから、最近になってつくづく詩が書けないジャーナリストだと思います。別に書けなくとも良いのですが、詩心のない文筆家は大成しません。通りで小説はつまらないと言われるわけです。
卑屈にはなっていませんが、この辺が限界でしょうか。同病者の声を代弁するなど、そういう高尚で偽善的なことは、最初から思っていませんから、出版差し止め請求も視野に入れます。気分が変です。