ロバート・ハインデル(1938~2009)は、オハイオ州生まれの画家である。ニューヨークの広告界に身を置いたが、のちにロンドンで画家として売り出す。日本でも多くのファンを獲得した。

 そのハインデルの豪華な画集がようやく陽の目を見た。カラーを主にして111点の作品が収められていて、見ていて飽きることない。

 『<人間讃歌>ロバート・ハインデルの至芸』(シングルカット刊)が、それである。

 ハインデルは主としてバレエ・ダンサーを描いた。とくに稽古場でのダンサーにこだわり、いくつもの傑作を残した。そのひとつ「The Wall」は亡き高円宮憲仁親王がお買い上げになり、今も応接室に掛けられているはずだ。

 「ザ・ウォール」にはバーに手を置く5人のダンサーが描かれている。正面向いているのはひとりだけ。しかも、その顔は半分以上薄黒く塗りつぶされている。
他の4人はうしろか横向きだ。

 ハインデルはダンサーの表情をぼやかすことで、その内面を描出したかったのではないか。あるいは見る人に彼等の心のうちを想像してもらいたかったのかもしれない。

 彼は、バレエ・ダンサー以外ではコンテンポラリー・ダンスのダンサー、ミュージカル俳優、歌舞伎俳優、能役者なども描いた。

 パフォーミング・アーツ以外で好んで描いたのは薔薇の花である。夫人のファースト・ネームがRoseだったからだ。

 好きな曲は、ミュージカル『ジプシー』のなかの「Everything’s Coming Up Roses」だった。ちなみにこの作品のヒロインの名もローズである。

 『ジプシー』の主人公ローズは、娘ジプシー・ローズ・リーを一世一代の名ストリッパーに育て上げた母親のことである。肝っ玉母さんという役どころか。母子とも実在の人物である。

 きょう、私は、画集を前にエセル・マーマンの歌うこの曲「すべては満開の薔薇の花に」を繰り返し聴きつつ、亡きハインデルに思いを馳せた。

12月16日~1月22日、長崎県美術館でロバート・ハインデル展開催中です。

http://www.nagasaki-museum.jp/whats_new/kikaku/index.html


ハインデルの画集。
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稽古場風景を描いた『ザ・ウォール』。
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 きのうに引き続き、日劇と日劇ダンシング・チーム(NDT)の話題を。

 NDTの踊り子からスター夫人の座に上り詰めた人で、私がすぐに思い出すのは、フランキー堺夫人の谷さゆり、石原裕次郎夫人の荒井まき子である。

 荒井まき子は、のちの映画女優北原三枝。北原が、日活映画『狂った果実』で裕次郎の相手役をつとめて恋に落ち、結婚に至るエピソードは、あまりにも有名だが、その前に日劇のステージに立っていたことは、昨今、知る人は少なくなったかもしれない。

 NDT在籍は1949~52年と短かった。

 谷さゆりとフランキー堺は日劇のステージで出会った。生前フランキー自身が私に語っているのだから間違いない。

 当時、フランキーは慶応法科に通学しながら人気ジャズ・オーケストラ、多忠修とゲイ・スターズの人気ドラマーでもあった。この楽団の一員をしてジャズ・ショウに出演したときが、ふたりのなれ染めだった。

 「ディージー・ガレスピの『マンティカ』という有名な曲があるんだが、その曲をやるときに六つ置いたティンパニーをぐるぐる回りながら叩いたりしてさ」

 両腕にフリルのついたえらく派手な衣装だったらしい。

 そんな彼を舞台袖でじっと見詰め、恋心を抱いたのは彼女のほうと、フランキー自身は云いた気だったが、真相は不明である。

 私の手元にある「日劇レビュー史/日劇ダンシングチーム栄光の50年」(橋本与志夫著、三一書房刊)によると、フランキー堺が出演したこのショウは、『四つの楽団』という題名で、1950年1月28~31日の上演とある。

 たった4日間の公演のうちになにかがふたりの間に芽生えたのだろう。

 ところで、この「日劇レビュー史」は、戦前・戦中・戦後の日劇の全ステージを細かく記録した貴重な文献です。

 橋本さんはレヴュウ評論の第一人者で、兵隊に引っ張られた間を除き、日劇に淫した人である。この本には自分の目で見たことがくわしく記されている。

 橋本さんみたいに好きなことを好きなだけやる人は、今の芸能界には捜してもいるはずもない




北原三枝。
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橋本与志夫氏の貴重な記録です。
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 今、日劇といえば、有楽町マリオン内のロードショウ館TOHOシネマズ日劇のことだ。しかし、昔は日劇(正式には日本劇場)というと、映画と実演(この言葉も今では死語になった)二本立ての大劇場で、ステータスもすこぶる高かった。

 歌手はここの舞台を踏んで初めて一人前といわれたものだ。笠置シズ子、越路吹雪、江利チエミ、三橋美智也、村田英雄、舟木一夫、皆然り。

 更にこの劇場は専属ダンシング・チームを持っていた。通称NDT(日劇ダンシング・チーム)。結成1936年、解散1981年。宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)と華やかなレヴィウを競った時代もある。

 去る12月24日、昔の日劇にほど近いよみうりホールで『有楽町で逢いましょう/日劇2011/昨日・今日・明日』(構成・演出日高仁)という今どきめずらしいレヴュウが上演された。

 日劇が閉館しNDTが解散して、30年たっているというのに、旧ダンシング・チームの残党、その系譜を継ぐダンサー、歌手たちが全員集合した舞台である。

 出演者を代表しておヒョイこと藤村俊二が挨拶に立つ。「本日は幽霊たちをご覧においでくださり有難うございます」

 おヒョイのユーモアのセンス衰えず。

 ショウは日舞、ハワイアン、フラメンコ、ジャズ、ロック、シャンソン、歌謡曲なんでもあり。このなんでもありの一種の“ごった煮”的楽しさこそレヴュウの特色ではなかろうか。

 日舞をラテン・リズムで踊る「深川マンボ」など、今や無形文化財?的な価値がある。

 ダンサーたちのなかには70歳を超える年齢の人たちもいたかもしれない。どことなく動きがにぶいのもご愛嬌か。

 セリなしスライド・ステージなし。大階段はたった6段。にもかかわらずレヴュウの魅力あふれる舞台を作り出した日高仁さんに拍手を贈る(日高さんは、日劇全盛期のエース演出家。私よりふたつ年上のはずです)。

 ハネたあと楽屋を訪れたら、さっき軽やかな踊りを見せていたダンサーのひとりが、上の階に通じる狭い急な鉄製の階段で立ち往生していた。

 幻のレヴュウの、これまた幻のような再現にブラボーと叫びたい。




当日のプログラムです。
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