前回、いい忘れたけれど、第34回アカデミー賞授賞式(1962年4月9日)でアンディ・ウィリアムスが歌った『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リヴァー」は、見事、この年の主題歌賞に輝いた。

 主題歌賞はあくまでも楽曲に授けられる賞である。セレモニーでいくらアンディの歌唱が優れていたとしても評価とは関係ない。それにアカデミー会員による投票は事前におこなわれ、当日ではないはずだし。

 もともとアンディ本人とこの映画との間にはなんの関係もなかった。アカデミー賞のセレモニーで歌い、その曲が受賞しただけなのに、そのまま彼の看板曲になってしまった。

 一種の棚からボタ餅である。

 それとも作曲者のヘンリー・マンシーニから、
 「主題歌賞最有力候補だよ。会場で歌っておいて損はないよ」
 とでも囁かれていたのだろうか。

 60年代初めといえば、まだハリウッドの権威が揺らいでいなかった時代である。映画主題歌がじゃんじゃん超ヒット曲になる時代でもあった。アンディが映画主題歌のメリットに敏感でなかったわけがない。

 ましてや映画音楽の第一人者マンシーニとのお声掛かりともなれば、ですよ。

 もともとアンディと映画主題歌との因縁は結構深いものがある。1944年製作の『我が道を往く』の主題歌「星に願い」のレコーディングに参加しているというのだから。

 多分、コーラスの一員か。まだ16~17歳のころの話である。メインで歌ったのは映画の主演者でもあったビング・クロスビー。

 第17回アカデミー賞で『我が道を往く』は作品賞、クロスビーは主演男優賞、「星に願い」は主題歌賞を獲得している。

 前回触れたように、ビング・クロスビーとアンディ・ウィリアムスはともに歌手としてはクルーナーの系譜に属するが、「星に願い」の因縁話を知るとそれ以上に深い繋がりがあるように思えて来る。いわば運命的な結びつきである。

 ところで『我が道を往く』が日本で公開されたのは敗戦の翌年の46年だった。まだ日本中が焼け野原だったころだ。私は、おんぼろの映画館で父親といっしょにこの映画を見た。ひょうひょうとニューヨークの下町の牧師を演じたクロスビーが今でも記憶に焼きついている。

 町のやくざには素人芝居の面白さを、不良少年には音楽の楽しさを教えるクロスビー牧師の姿は、そのころ覚え立てのヒューマニズムという言葉を体現しているように思えたものだ。

 英語の原題名は『Going My Way』。いっときゴーイング・マイ・ウェイはかなりの流行語になった。

 民主主義社会での自由独立をわがまま勝手と勘違いし、この文句を振り回した輩が多かったものだ。

 ゴーイング・マイ・ウェイとは信念をもって生き抜くということなのに―。

 ビング・クロスビーにしろアンディ・ウィリアムスにしろスターの座を得た人々は、多分に好運に恵まれた人々にちがいない。しかし一方、信念をもって生き抜いたゴーイング・マイ・ウェイの人たちでもあったのではなかろうか。
(続く)


わが家のLP棚には『ティファニーで朝食を』サントラ盤がありましたよ。
作曲・指揮は当然マンシーニです。

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