昨年の福島第1原発事故以来、国民の中では脱原発を求める声が高まっているが、相変わらず保守論壇では原発の維持・推進を主張する勢力が多く脱原発を主張する勢力は西尾幹二氏や藤井厳喜氏など少数派である。


中でも原発の維持・推進を主張する勢力の主張に多いのは「原発を止めると核武装の手段を放棄してしまうことになる」というものだ。例えば防衛通の森本敏氏や石破茂氏は、「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではない」と主張している。


しかしながらこのような核武装のための原発維持という主張には誤りがある。なぜなら日本が原発を持つ限り核武装など到底不可能だからだ。


その理由をいくつか挙げてみたい。


①日本の原発は核転用に不向きな軽水炉であること ②日本の原発を始め核施設はIAEAの監視下に置かれており核開発が出来ないこと ③アメリカと締結している日米原子力協定の存在・・・等々である。


ます①だが、核兵器を作るにはグレードの高いプルトニウムの生成が不可欠だ。そのためには黒鉛炉を開発せねばならない。しかしアメリカがそれを許さず、核転用の出来ない軽水炉を売りつけてきたため、現在日本が抱える商用原発は全て軽水炉となっており、技術的に核転用が不可能なのだ。逆にいえば日本は核武装をしないことを条件に原発技術を売ってもらえたとも言えるのだ。


②は御存じ核の番人と言われるIAEAについてだ。日本の核施設は全てIAEAに監視されており、IAEAの検査を受け入れており核開発に踏み切ることが出来ないのだ。日本は世界の中でもIAEAの監視を最も強く受けている国の1つだ。


③はアメリカと結んでいる協定のことである。日米原子力協定は日本の核武装を封じる政治的色彩が強い。仮に日本が核武装に踏み切れば発電用の核燃料の供給が止められることになっている。したがって日本が原発に電力供給を依存し続ける限り核燃料の供給を必要とするため、核武装に踏み切ることは出来ないという政治的課題が発生する。つまり原発を維持することは対米追従の継続を意味する。


以上のような理由から日本の原発は核武装推進には全く貢献しないばかりか、技術的にも政治的にも核武装が出来ない仕組みとなっているのだ。したがって「原発が潜在的核抑止力になる」という理論は成り立たないのだ。


そればかりか原発がテロやミサイル攻撃などの標的になることによって安全保障上のリスクを抱えてしまっているとも言えるのだ。


自分は日本が中国、ロシア、北朝鮮という核武装国に囲まれている地理的条件やアメリカに過度に防衛を依存していることを考慮すると基本的に核武装には賛成だ。


だが上記のように日本が原発を維持する以上、核武装に踏み切ることは出来ない。むしろ脱原発をした方が核武装のハードルを下げることができるのだ。つまり脱原発と核武装は矛盾しないと言えるはずだ。


日本は脱原発を進めると同時に核武装も段階的に進めるべきだ。核弾頭はインドから購入するか共同開発をすればよい。


インドは日本と価値観を共有し、安全保障上最大のパートナーと成り得るアジア最大の親日国家だ。インドなら日本のロケット技術などの科学技術や経済援助の提供などと引き換えに核兵器の共同開発や売却に応じてくれるはずだ。


インドと組むのが日本が核武装するための最も早い手段となる。日本は原発など無くても核兵器を手にすることが出来るのだ。


このような事を潜在的核抑止力保有を理由に原発維持・推進を主張する人達にも理解して欲しい。脱原発と核武装は全く矛盾しないということを。