ウンムカイスの3月はお花畑 | アーディで行こう

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「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

3月になって、ヨルダンもかなり暖かくなったことと思います。暑くも寒くもないこの季節は、ピクニックに最適。というわけで、週末になると、多くのヨルダン人があちらこちらに出かける、そんな季節でもあるわけです。真夏には人影も疎らな死海ビーチも、大賑わいのことでしょう。

ウンムカイス遺跡أم قيس

$アーディで行こう-ウンムカイスローマンロード
$アーディで行こう-白や黄色が色とりどりアーディで行こう-ピクニックの家族たちアーディで行こう-劇場で歌うシャバーブアーディで行こう-遺跡あkらガラリア湖を見るアーディで行こう-劇場に駆け上がる少女たち
さて、この季節におすすめしたいピクニックスポットは、イルビッドから北側に広がる丘陵地帯。
とりわけウンムカイスは、遺跡内に色とりどりの花が咲き、非常に人気のあるスポットです。

めまぐるしく入れ替わる支配者
ウンムカイスは、アレクサンドル大王の死後、イラク、シリア、ヨルダン北部を支配したプトレマイオスが建設した町で、当時は古代ギリシア語由来のガダラGadaraと呼ばれていました。
この一帯はアンティオキア(アンタクヤ)に拠点を置いたプトレマイオス朝と、エジプトのアレキサンドリアに拠点を置いたセレウコス朝とのせめぎ合いが続いたところで、セレウコス朝の滅亡後はローマのシリア属州になり、ヘロデ大王が出るとユダヤに割譲され、ヘロデ王朝が消滅するとユダヤのペトラを拠点とするナバタイ王国に入り、106年にナバタイ王国がほぼ無血開城の形でローマの軍門に下ると、アラビア属州となるなど、支配者がめまぐるしく変わりました。

ローマ時代にはデカポリス(10都市連合)の主邑に
そんな政治的変動の影響を受けながらも、パレスチナからシリア南部に至る周辺一帯は気候もよく、人口も増えてきて、都市化が進みます。ローマ時代にはいわゆる「ローマン・ロード」が整備され、それぞれの都市がつながったことで、ガダラを含む周辺10都市がデカポリス(都市連合)と後に評価される栄華を誇ったのです。一番上の写真は、ウンムカイスのローマン・ロードを撮ったもの。東へと向かう道路は、隣のアビラAbilaというデカポリスを通って、ボスラへと続きます。また、反対に西へ向かうと、ヨルダン川を越え、シソポリスScythopolis(現在のベト・シャンBeth-Shean)に至ります。

玄武岩で作られた黒い遺跡
ウンム・カイス遺跡が他のヨルダン内の遺跡と違う点は、黒い石材で作られていること。ヨルダン北部からシリア南部は玄武岩の産地。覚えていますか? 中学理科で学ぶ火山岩の一種です。地表にマグマが噴出して急激に冷やされた噴出岩で、粘り気がないために広範囲に広がり、盾状の火山を形成するという、あいつです。インドのデカン高原が代表例ですが、ここ、シリアのボスラ~シャハバ一帯のハウラン台地も典型例です。
ちなみに、玄武岩は英語でBasaltといいますが、この語源がヨルダン東部の玄武岩産地Bashan(現在のどこにあたるかは不明)に由来しているとの説もあるほどです。

ガダラ遺跡に残るローマ劇場
ローマ都市の例に漏れず、ガダラにもローマ劇場が2つあります。ただ、北の劇場はオスマン時代に住宅用建材として再利用され、半円のすり鉢状斜面が残るだけです。これに対し、南の劇場は保存状態もよく、北西向きで眼下にガリラヤ湖、遠くにはパレスチナの丘陵地帯が望めるとっても眺めのいいところです。エントランスから入るとまず目に入る最初の遺構ですので、多くの方はここに上ってみることでしょう。3月の週末は学校単位での見学旅行も多く、引率の教師や保護者といっしょに、ちびっ子たちが元気に走り回っています。