醒めない夢はないんだぜ ~ソーシャルゲームやゲーミフィケーション~ | Aa's column

Aa's column

とある研究者がステマ問題について語ります。
こちらもよろしく→http://stealthmarketing.web.fc2.com/

結論から言います。逝ってよし(古ッ)。
ソーシャルゲームや非限定ゲーミフィケーションは、死ぬべきである。
特に仮想通貨発行はやっちゃいけないよ話。


ゲーミフィケーションって何?という人は、とりあえずこのサイト を見に行って、気持ち悪さに逃げ帰ってこればいいと思います。
もっともらしく使われている英語は、無視無視。


ぶっちゃけ、ここだけ読めばいいです。


>ジェーン・マクゴニガル氏のメカニズムから考えると応用範囲がやや限定的になってしまいますので、今回はWikipedia「Gamification」で挙げられている「達成したときにもらえるバッジ、レベル分け、プログレスバーなどによるプロセスの可視化、仮想通貨、クエストや表彰、バーチャルグッズのトレーディングやギフト交換、ユーザー間の競争、カジュアルゲームの挿入」などの要素からの応用を想定したいと思います。


どう考えても、管理社会や監獄社会です。ありがとうございました。


これで分からない社会学関係者は、フーコー先生やドゥルーズ先生を読むといいと思うよ。
諸先生方が、すでに現代の課題としてあげておられることを、今更再発見!することの馬鹿さが分かると思います。


おしまい(社会学関係者に向けては)。


で、それはそれとして。


最初に断っておきますと、ゲーミフィケーションも限定的に使うのならいいのです。
車の運転楽しくなりますとか、テーマパーク管理に使えますとかね。


私が叩きたいのは、非限定のゲーミフィケーションだ。
「なんでもかんでもゲーミフィケーションにしてやるぜー」とか、五千回逝ってよし。


特に怖かったのは、今夜(2012年1月25日)のNHK「クローズアップ現代」で取り上げられていた事例です。


・日本では、営業マンに上記のようなバッジを与えて、やる気を起こさせます!
・イギリスでは、万引き防止のために企業がバッジを与えて、参加者に一般市民を監視させます!


そしてツイッターで教えてもらったのですが……


・韓国では、国が報奨金を出して、市民に市民を監視させているよ! →ソース


どう考えても、末期症状です。……と思ったあなたは正しい。
これは社会が死にゆく時の、現象なのです。


相互不信とかはどうでもいいよ。市民と市民の間の問題ではないのですよ。
むしろそうやってゲーム参加者同士に、団結なり不信なりを植え付けて、その上にいる国なり企業なりに目がいかなくしている構造こそが、真の問題なのさ。


ソーシャルゲームやオンラインゲーム(MMO)などもそうなんですけどね。


参加者は、ゲーム提供者に文句はいいながらも、むしろ延々文句を垂れ流しながらも、遊び続けます。
その病的さ。


でもそれは参加者が悪いのではなく、システムがそう作られているからなのです。
「いかに遊ばせるか」よりも、「いかに止めさせないか」を考えて作られたシステム。
ソーシャルゲームやオンラインゲーム、そして何より「現実」は、エンドレスで続けないといけませんからね。


でもそんなの不可能なわけで。あり得ないわけで。
国も企業も永遠ではなく、ましてやゲームなんて。
醒めない夢はないわけで。


その時、参加者の手元に何が残るのかが、大問題。


まあ何も残らないですね。
それだけならいいけど、ソーシャルゲームやオンラインゲームは、費やすものが多すぎるのですよ。
お金も時間も友情も、大量消費。それはもう、従来のゲームの比ではない。
だから儲かるんですけどね(お金吸い上げる企業はね)。


ただし、費やしたもの全てが無に帰す絶望。
……から逃れたくて、彼ら(参加者)は延々ゲームを続けるという仕組みです。


でもそれはまだよくて。
「ゲーム」じゃなくて「現実」だったらどうするよ? というのが、ゲーミフィケーションをぶっ叩きたい理由なわけです。


国も企業も潰れないものはないんだぜー!


その時、掴んでおくべきものは何か。「お金」です。
これさえあれば、なんとか脱出できます。


何故、通貨危機で大騒ぎしているのか。
それ以前に、何故、貨幣の発行は国の独占事項なのか。


もうちょっと考えるべきです。
特に社会学者。


だから、仮想通貨の発行なんて、もってのほかなのですよ。
まあ、「バッジ」って言い換えてもいいですけどね!


社会システムなんて、上手くいっている時はどうでもよくてですね。
いかに潰れたときに、被害を最小限に留めるかに先人達は知恵を絞ってきたわけでしてね。


現代の問題は、一度構築された社会システムが短いスパンで潰れまくって、そのたびに大量の負け組が「淘汰」の名の下、虐殺されまくっていることです。


少数の勝ち組が、勝ち逃げするためのシステムなんかに、人生費やしてはいけません。


ましてや、最初から自分たちが負け組=ゲーム参加者として組み込まれるシステムなんかに。


ということを、社会学者は教えないといけないのに、なんで逆のことしているの? 濱野智史さん


>要するに現実は「クソゲー」すぎるのだ。
(中略)
>それならば現実のほうをゲーム化し、ハマりやすい形に変えればいい。


言は寝て言え。


醒めない夢はないんだぜ。