大野愛子のプロフィール | 【堺市/整理収納・片づけ×パン】片づけ認術士くノ一あいこのブログ

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安心して自分らしく生活できるような
バランスの取れた幸せな場所づくりをサポート

ジャッジしないマインドフルネス片づけ
自分の生活の中にある様々なことをうまく調和させ、組み合わせる
ライフパズルと言う考え方で人生をクリエイトします♪

気負いしない整理収納
住まいLOVEってますか?

暮らし3e すまいらぶる~smilable♡
仕分けて幸せキューピット 大野愛子です。

 

毎日を過ごす居場所を大切に思う。 

 

1歳の頃、父が生死を彷徨う病に倒れる。
5歳の兄は同居していた父方の祖母と自宅で過ごし、
3歳の兄は少し離れた母方の祖母の家、
私は叔母の家に預けられてしばらく過ごした。

 

その経験から、「居場所」にこだわりがあるのかもしれません。

 

父は運よく回復し、数か月後に社会復帰。
そして、記憶に残る父の姿は「人生を楽しむ人」

 

育った家は祖母との2世帯同居で、小学生の時は祖母と同じ部屋、
中学生になっても自分の部屋と呼べるスペースは3畳。  
自分の居場所を心地よくするために工夫して過ごす。

小中学、高校通して、音楽、技術家庭科、体育が得意。
高校の家庭科の先生の記憶に残る言葉。
「家庭科のプロになったら・・・?」

 

1994年に入社、年を越して1995年は阪神大震災の年でした。
住まいは大阪、直接の被害はなかったものの、
2月に父は他界。1晩の出来事。死に目に会えなかった。

 

一瞬にして絶たれる命。
たくさんの命が奪われた震災、そして、父との別れ。
「人生、何があるかわからない。」

 

今を有意義に悔いのない生き方をする、とインプットされた。

 

遠回りしたものの、生活に関わることに興味があり、
就職したのは住宅関連製造メーカー。

 

主人と出会い第一子の出産を機に8年半勤めた会社を退職して専業主婦に。

2年おきに出産し三児の母になりました。

 

長女が入園した時、次女は2歳前でお世話も大変な時期。

しかも私は妊婦でした。
子供達には常に「できることは自分で」を声かけ、環境を整える。
手伝ってくれる夫に「どこに何があるかわからないと手伝いにくい」
と言われたのが引き金になり

それぞれ家族がモノの定位置を把握できる、

使い勝手のよい整理収納を心がける。

そのことで
♡夫は積極的に手伝ってくれる、
♡子供達は自分で自分のことが出来る、
♡お母さんは自分の時間が持てる

 

末っ子が小学校に上がるとパートを始めました。

 

久しぶりに社会復帰したパート先で役に立てると思っていた。

 

人間関係のもつれから「自分は役に立たない」と思いが蓄積。
有意義でない、負のスパイラル。
子供の思春期が重なり、うまくいかない日々・・・
本来の私ってどんなだっけ?私はどこ?
気づけば家のお片付けも出来ていない。

 

追い打ちをかけるようにパート生活強制終了

 

私に何が出来る・・・? 
日常を振り返ってみた。

 

「夕方にはココに帰って来れる」
行きたくない所に出向く時
不安なことにチャレンジする時、
安心して帰って来れる家があるから大丈夫なんだ。

 

自分だけでない、家族みんなが安心出来る居心地良い場所。
安心出来る場所があるから、
立ち向かわなければならないことにもチャレンジし、
不安なことにも出向くことができる。
楽しい時は楽しかったことを持ち帰れる家。

当たり前に帰ってこれる家族の居場所を大切にしたいと思った。

 

実践してきたこと、時短家事楽、節約、
空間を整えることが快感であること。

 

モノと向き合い整理することで
目に見えない心の整理もできる。
埋もれていた大切なモノを見つけ出すことができる。
自分を大切にすることが叶う。
 

気付いた!
整理収納を通じて気づけた自分。
やりたいことを見つけて動けるフットワークの軽さ。
「今、私、幸せやん。」

人生限りあるものという事実に直面した経験した私だからこそ
伝えられる「命を無駄にしない生き方」
負のスパイラルから学んだ「大切なモノを見つけ出す方法」

 

お片づけに苦手意識はないですか?

その原因はなんだろう?

一緒に考えてみませんか?

 

出来なかった第一歩を踏み出せる。
滞っていたモノ、コトが動き出す。
スッキリ気持ちがいい。
笑顔になる。

私と一緒に始めるお片づけコミュニケーションで
心の拠り所となる居場所を居心地よく癒せる場所にし、
みんなで幸せを分かち合える。
モノの代わりに笑顔の積み重ね、始めましょう!