真夜中に目が覚めた。

中途半端なアルコールの酔いが

時間を奇妙な形に捩曲げていくようだ…。

窓の外を微かに貨物列車の汽笛が響き

午前2時の空虚な哀しみが僕を包み込む。

込み上げてくる涙を指で拭いながら

彼女の柔らかな唇や小さな掌

耳元でクスクスと笑う声を思い出していた。


最近の僕は自分の弱さに甘えてばかりで

彼女の孤独を守ってやれていないな…。

どんな時も支え合って生きて行こうと誓った筈なのに…。

時々、僕の失意は一人で勝手に暴走する。

金、愛情、夢、仕事、友情、未来…。

それらのうち、一つでも欠けると僕はバランスを失ってしまう。

真冬の公園に丸めて棄てられた紙屑のように

冷たい風に吹き飛ばされそうになる…。


『…僕はあのとき風になり大空をクルクル廻りながら、このまま死んでしまいたいと
また一つ小さな夢を見た…』

昔よく聴いていたフォークソングのフレーズだ。

この歌の最後は、こう結ばれて終わる。

『…振り返ればそこに僕がいて、お調子者だと笑ってる、子供の頃も今もまた、壁にしがみつくだけだった…。』



…12月も半ばを過ぎ

クリスマスのイルミネーションが街中に輝き始めても

世界規模の不況の波は失業者とホームレスと自殺者と犯罪者を増幅させ

政治家と宗教家とテロリストだけが

未来への希望を確約されていた。

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金曜日の夜、いつものように泊まりに来た彼女を抱きしめながら

唇から伝わる温もりに僕は唯一の安らぎを覚える。

この瞬間、互いが互いの中に溶けてしまいたいと願っている。

僕は彼女の血液になりたいと願い

彼女は僕の涙になりたいと願う。

時間という名の刹那的な常識に縛られながらも、このまま朝が来なければ良いのにと僕らは涙を拭い合う。

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…土曜の朝、目が覚めると喉が痛く微熱もあり身体中が怠く苦しかった。

この町へ越して来て半月、様々な書類上の雑務や新しい職捜しの毎日に疲れが出始めているのかもしれない。

だけど、彼女の献身的な看病は有り難く

子供のように甘えられる幸福感に身も心も委ねながら『家庭』や『家族』の温もりを感じていた。


彼女の唇から伝わる愛情は100の言葉より誠実で美しく僕の魂に直結する。


彼女のために、もっと強くなりたい。

僕がこの人生で学んだ全てをカナコを守る力に変えたい。

身体の節々の痛みに包まれながら

ぼんやりと、そんな事を考えていた…。

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…一年半前に煙草を止めてから物事にたいする思考が少し変わったような気がする。

上手くは説明出来ないけれど

有害なニコチンが肺や血液に溶け込んだ際に生じる

リラックスという名の禁断症状の緩和が齎すものは

少なからずも無意味な事ばかりではなかったのだろう。

今はもう煙草を吸いたいという衝動はなくなったものの

それでも極度の緊張や情緒不安定に陥った時など

ここで煙草を吸えばどれほど気持ちが落ち着くだろうと考える事もある。


そういえばあの頃は

風邪で咳が止まらない時でさえ煙草を吸っていたんだ。


回りの影響で吸い始めた紫色の煙りが

身体の内側にベトベトとしたニコチンタールを塗りたくるのに

それほど時間はかからなかった。


合法的に街中で売られているだけ

大麻や覚醒剤よりも厄介な代物かもしれないな…。


でもとにかく僕はもう煙草を吸ってはいないのだから

ある種のシガラミからは抜け出せたのだろう。


一箱300円のセブンスターを一日二箱。

一ヶ月、18000円の節約。

18000円といえばこの不況の世の中ではちょっとした金額だ。

ゆったりとした店で、それなりの飯が食え酒が飲める。

でも考え方によっては

セブンスター二箱分、僕は

面白みの無い男に堕ちてしまったのかもしれない。

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…ここ何ヶ月か見上げるたびに空はいつも曇っている。

まるで世界中の人々の失意の象徴のように、重く垂れ込めた灰色の空は太陽の光りを頑なに拒み続けているようだ。


ところで、僕が何の不安も抱かず転げるほど最後に笑ったのは、一体いつだっただろう?

人は笑顔を忘れると表情を失ってしまう。

時折、突然襲い掛かる頭痛も僕から笑顔を奪い去った原因なのかもしれない。

頭の内側を誰かに鶴嘴で思い切り突き刺さされているみたいだ…。

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壁も天井も全てが白い部屋に僕は暮らしている。そのまばゆい白さが残酷なまでに僕の汚れた部分を浮き彫りにしてしまう。

テレビを消した痛いほど静かな部屋で仰向けになり真っ白な天井を見つめていると
全ての物事があやふやなまま秩序を乱しながら僕を押し潰そうとする。

この形容しがたい程の哀しみの先に安らぎは存在するのだろうか…。

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随分懐かしい友人からメールが届いた。

彼とは以前同じ職場で働いていたのだけれど、親の事情で実家のある大阪へ帰り
二年前から近くのアルミサッシ工場で働いていた。

メールには不況による経営難を理由に先週突然、アルミサッシ工場を解雇されたと綴られていた。

工場で知り合った中国人の女の子と結婚の約束をしているのに、将来が見えなくなったと静かな絶望が滲んでいた。

…やれやれ。

右を見ても左を見ても解雇、解雇か…。

この国は一体どこへ向かって進んでいるのだろう?

800兆円以上も借金を抱えたこの国は泥船のように何れ沈没してしまうのは明らかで
少しでも沈むのを遅らす為にお荷物である僕らを切り捨て船体を軽く保とうとしている。


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昨日の日曜日、彼女の家で彼女の家族と餅搗きをした。

搗きあがった餅をみんなで丸めて行く作業は久しぶりに和やかな気持ちになれて楽しかった。

二回目の餅が搗きあがるまでの間、僕らは彼女の飼い犬を連れて家の回りを散歩した。

犬や猫、その他の動物達を見るたび

僕は彼等の完璧さを羨ましく思う。

引き締まった身体の茶色い犬の背中を見つめながら

人間なんて、足りないものばかりだなと思った。

鳥のように大空高く羽ばたく事も出来ず、野性の馬のようにしなやかなに走る事も出来ない。

唯一、神が僕ら人間に与えた理性や秩序や知性さえも腐れきった欲の中に埋もれてしまっている。


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…という文章を書いてからいつの間にか一年の時間が流れていた。

あれから何一つこの町もこの日本もそしてこの僕自身も変わってはいないけれど

ささやかな暮らしが穏やかな日常を紡ぎ出すものだという当たり前な幸せを少しずつ感じ始めている。

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そして、年が明けたら僕達は家族になる。



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僕達は互いの温もりを求め続けながら互いの優しさを分け合いながら


そして時々傷付け合ながらそれでも一緒に居たいという気持ちで暮らしていくんだね。


なぜなら僕達は哀しいくらい運命に導かれて結ばれた恋人なのだから。