魅力のブログ

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Amebaでブログを始めよう!
なんだろ久々にブログかくなぁ

だいぶTwitterとかInstagramとか
写真や動画がメインのSNSの台頭でめっきりblog文化が廃れている気がして。
そんなAmebaさんも今やAmebaTVが重きで
そんなことはないのかな?( ́•ω•`)

話はかわって
おれは文章や思いを綴ることはいつの時代も人間の常だと思っててそんなことは常識なんだろうけど
InstagramやTwitterの文字制限なんて糞食らえで

だからラインのスタンプとか売り手側はそんな思惑はなくても
買い手側が簡易的な意思の疎通のツールとして使ってるスタンプは俺は好きじゃないから今じゃ一つも持ってない。
それだけ送るのもイヤだし送られるのもイヤだからだ。
我々が生まれる前から人類は文字をいまの現代人からしたらスタンプのような見え方であれ、当時はそれの形式以上の意味を持って石や鉄、石碑に彫られてきた歴史やルーツがある事実を人類は認めていて、そして我々はそのことを忘れてはいけないからだ。
近しいところでは手紙や文通が古いツールだと思えるのも
当たり前から別の当たり前に移り変わった結果だと思います。
ただ伝え方は様々だけど重要なのは伝わってるかではなく、相手にどう伝わってるかが大切だと思っています。

僕は文系を専攻していたんだけど
古文、漢文、白文ってあって所謂、我々からしたら
昔の口語や文学のジャンルなんだけど
俺はこの授業と先生が大嫌いだったんだけど
唯一覚えてることがあって
(>_<)とか( ́•ω•`)とか(´,,•ω•,,`)とか(゚ロ゚)とか
 
いつか同じ類として勉強される時代が来るだろうなぁって
古文のハゲた先生が言ってたんだけど
別にこの考えに先見の明があるとは学生時代の僕は思ってる訳でもなく当たり前のことだろって生意気ながらにきいてなぁ
要するに伝え方は変わるのに伝えたいと思う内容は昔から代わってないと思うんだ、魅力は。

ところで
みなさんにとって1年という期間は何かを成し遂げるたりおかれる状況を打破するためには短いですか?
それとも充分な期間ですか? 

YES高須ですか?No低須ですか?

なにこいつと思った貴様は今すぐ
携帯中央、下の丸い突起を押すか
Androidをお使いの方は各々の操作に任せるので
ブログを閉じてください。


ただ面白くなるのは
これからなのでそれでも問題ないという
稀有な方はどうぞ。




















 



 



















 


ここまで来たのは
続きが気になるのですね。
仕方ないですね。

続きを書きましょう笑

このブログを目にとめていただいた方の
大多数がガラパゴス携帯、いわゆるガラケーから
スマホ(スマートフォン)への進化?を体験されている
方々でしょう。


どうでしょう、初めてスマートフォンを
手に取り使ったときの印象を覚えていますか?
ボタンがない携帯に違和感を感じたり
画面のみを触って操作する方法に困惑したり
様々な印象を受けたと思いますが
今はスマートフォンがベターでベストなアイテムになっていませんか?

恐らく未だにガラケーがよかったと
本気で思っている人はごくわずかだと思います。


そしてスマートフォンが人々に定着、浸透すると
同時に勢いを増したのが
SNS
ソーシャルネットワークサービス
だと思っています。

古くの歴史を知りませんが恐らくパソコンが普及したころからSNSという言葉はあり
またそうゆうサービス自体が発足したのも
ネット社会の先駆けとも呼べるステージが整ったのも
パソコンが一家に一台が当たり前になったころからだと思います。


では人はなぜ慣れない習慣や環境
当たり前ではない風習や状況を
時間が経つにつれ当然かのように思えるようになるのでしょうか

それはただ年月が経っているからだけなのでしょうか
それとも周りがそうなっていることを見て
当たり前だと思うように錯覚してるだけかのだろうか
問いかけが多いのは何を書いたらいいのかが分からないだけです
すみません。


人が慣れを感じるのは
個人差あるだろうし、違うだろこのハゲーって思う人もいるとおもいますが
早ければ5日もあれば慣れだすと僕は勝手に思ってます。
それは自分をとりまく環境や自分自身の置かれている立場や環境もしかりだと。

結果を出せずにいれることに慣れたり
結果を出すことに慣れるのは
どちらも簡単で、その表裏で難しいことだともいえると魅力は思います

ごくごく当たり前だったことが当たり前じゃなくなる瞬間や当たり前じゃなかったことが当たり前になる瞬間
その結果が良し悪しとして判断されるとは別として
誰でも経験したその瞬間は
いつ誰にでも訪れる
チャンスにもそうでない事態を招く悪魔にも
如何様にも表情を変える気まぐれな運命が誰のそばにもいると思っています。
もちろんそれを手繰り寄せる力があったり、最悪の事態、それを防ぐ力を持つ人間が初めて何かに左右されずに歩める成功者や一人前と呼ばれる人間になれると思っています。

偶然にも似た必然を偶然で片付けるのか
自らが招いた必然として受け入れるのか

人間として大人として勝負できる
いや生まれながらにして人が持つ勝負所、運命の分かれ道は
誰にでも訪れる正念場(チャンス)だと思いました
そしてそれが訪れるときに充分な準備が整っているのか
そうではないのか

僕はながーいスパンで今まさに正念場に立たされています
投げ出すのは簡単です、でも自らの力や周りの力添えも味方に付けて手繰り寄せたい運命をゆっくりだけど引っ張ってます。

そうしないといけなくなったのもオンタイムでは
不幸に思えたかもしれないけど長い目でみると
この状況になるための長い前振りだったともおもってます
前振りがバッチリ効いてる分だけに
予測できた事態に全身を使ってぶつかれてるような気がするんです。 
言い訳がましいし、口がたつように思えるかもしれないけど
そうとでも思わないと1年も売れてないホストはできません。
でも覚悟と決意があるから今までずっとやってこれたと思ってます。

成人を越えてからの1年、2年、3年っていう期間は尊く貴重に思えるかも知れないけど、なにかを成し遂げるためには短く足りないとも感じれる期間だとも思えるのだ( ́•ω•`)

僕の2017年は激動をやり過ごした、緩い一年になりました。
同時に周りが物凄い速度で走っているのを一緒に走らず止まって見れたVIP席の観客目線でした。
レースにも参加できない素人の目線のように感覚と感性は鈍ったけど
よくないこともマイナスな要素も全てプラスに捉えようとするなら自分の有り様を1年かけてゆっくり見つめ直せました。

長いからこの辺で
あとは2018年に心と体でぶつかります。

散文駄文御免!!!!