おいらが今まで日記を描いてきたサイトが閉鎖になるのに伴い、自分にとって思い出深い日記は移植しておこうと思い、今回はその1回目です。
今日、描こうと思っていた日記とも関連していきますので。
それは、聖地・上野での過ごし方であります。
上野では、パチスロを打ちに行くことが多い(最近、ほとんど行かなくなったが・・・)のですが、打てる台がない時・・・どう過ごすか。
無理に打つ。
それもありなんですが。
打たないっていう選択肢を採用したいわけです。
何故なら、打たなきゃ負けないから。
つっても、打ちたい誘惑もあったりするから。
でも、その誘惑を他の方向に昇華できる街。それが上野の偉大なるゆえんです。
スロを再開して犠牲になるもの、それはローカル線の旅と美術館めぐり。
オランダにいた頃なんかは、暇さえあれば街を巡って美術館や博物館を見に行ってました。
上野には、いろいろと美術館や博物館もあるし、何よりJR上野駅が大好きだし退屈はしません。
今日もダメだなぁ。打てないと思ったある日。
今日もダメだなぁ。打てないと思ったある日。
TVでゴーギャンの展覧会をやっているのを知っていたので見に行きました。
正直、ゴーギャンあんまり好きではないので、チェックしに行く程度の気持ちで近代美術館に移動したわけです。
正直、ゴーギャンあんまり好きではないので、チェックしに行く程度の気持ちで近代美術館に移動したわけです。
さまざまな壁に苦悩し、貧困にあえぎながら絵を描き続けて求道し続けてきた彼の人生は非常に数奇なものでした。
ゴッホとの同居生活(実はゴッホの耳切り事件はゴーギャンがやったという説があります)、から離婚を経て人間や世の中に失望しタヒチに向かっていく中での彼の作品の数々。
歩きながらチラチラと見ていきます。
基本的にはダークなタッチで絵の中から苦悩を表現していく作風で、味わいも深い。実際に見ていくとそのきめ細かさたるや尋常じゃないわけです。
ほぇぇ~。凄い人だったんだなぁ。
やはり、ゴーギャン凄い人であると。
きめ細かさとは繊細さや過敏さとも表裏一体なわけで。
一つのところに留まらず、家族も失い失意のまま到達した彼のキャリアはタヒチに向かい、そこで死を決意し代表作を描きます。
これが展覧会の最後の展示物で写真の絵でもある
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
です。
これは有名な絵ですが、間近で見ると布をつなぎ合わせたキャンバスに細かく幾重にも塗りこまれた繊細な画がグワっと飛び込んできます。
人生って、かくも苦しいものなのかなぁ・・・。
そしてハイライトシーン。画面全体に上の写真の画が提示され、重々しいナレーションが館内に響きます。
「われわれはどこから来たのか・・・」
「われわれは何者か・・・」
その時、館内で異変が。
「そしてわれわれはどこへ行くのか・・・」
そしたら、その子。
「公園でしょ?」
って。
そうだよ、そうだよね。
その通りだと思った。
公園で良いんですよ。
少なくともおいらはそれで良いって思いました。
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

です。
これは有名な絵ですが、間近で見ると布をつなぎ合わせたキャンバスに細かく幾重にも塗りこまれた繊細な画がグワっと飛び込んできます。
人生って、かくも苦しいものなのかなぁ・・・。
って気分も少しダークになると、展示物の最後に彼の人生をスライドショーしてくれるコーナーがあり、5分ほどの動画が見れるわけです。
そしてハイライトシーン。画面全体に上の写真の画が提示され、重々しいナレーションが館内に響きます。
「われわれはどこから来たのか・・・」
「われわれは何者か・・・」
その時、館内で異変が。
館内にいた子供連れのお客さんの子供の方が退屈さに耐えられなくなってしまったのか何やら叫んでます。
「ニセモノ!!!」
「ニセモノ!!!」
そして、ナレーションのエンディング。
「そしてわれわれはどこへ行くのか・・・」
そしたら、その子。
「公園でしょ?」
って。
そうだよ、そうだよね。
その通りだと思った。
公園で良いんですよ。
少なくともおいらはそれで良いって思いました。
もう、2年前のことになりましたが。
全然無垢な子供のシャウトにも共感してしまった自分がいました。
思うに、苦悩の末に行きついたエルサレムとも言える風景を画という形に表現したゴーギャン。
家族の付き合いでダークな画の連続にしびれをきらした子供の叫び。
どっちも人生のワンシーンなんですなぁ。
今でも、昨日のように思い出すわけであります。
聖地・ブエノスアイレス(上野のスラングです^@^)。
深い。