スキーの神様 菅平道光神社 | 九代目七右衛門の徒然日記

スキーの神様 菅平道光神社

菅平高原国際リゾートセンターから駐車場への帰り道の表太郎ゲレンデの近くに、茅葺き屋根の神社があったので寄って見ました。
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菅平に入ってすぐの信号を長野若穂方面へ左折して右側に石造りの新しい鳥居が見えるので、目立つしすぐわかります。
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道光神社と書いてありました。
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鳥居から拝殿を望む山道の雰囲気がとても素晴らしく、鳥居同様に新しい阿吽の狛犬がむかえてくれました。
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拝殿に到着しました。
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葺き替えたばかりの茅葺き屋根の美しい拝殿です。御祭神は山家大神(やまがおおかみ)、四阿山大明神(あづまやさんだいみょうじん)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、加藤道光命(かとうどうこうのみこと)で、奉られているのは加藤丹後守道向公との事でした。「加藤丹後守道向公は加藤清正の従姉妹 加藤美作の子供。元和5年に縁あって松代に預けられます。松代配流三十有余年 一族で菅平に登り、艱難辛苦の上 菅平高原を開拓。今日の隆盛の基を築く。その栄誉を称えて、幕末に上田の松平家によりここに祀る。」と書いてありました。
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戸が開いていたので室内をのぞいてみました。躯体は古いですが、床はコンパネで、茅葺きも葺き替たばかりでした。
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家に帰って道光神社のいわれを調べてみると、幕末に至り上田藩の菅平開墾にあたり、嘉永四年(1851年)に前途二神と菅平開発の祖たるこの加藤道光の神霊を合祀し石碑を建てたと言われているそうです。今年はオーストリアのレルヒ少佐によって、日本にスキーが伝来して100年目の記念すべき年ですが、菅平高原には少佐より直接指導を受けた高田13師団・58連隊の堀内文治郎連隊長が日本のスキー発展を願い建てた寿喜伊山神(スキー山神)の碑があり、境内社の寿喜伊(すきい)山神はスキーの発展を祈念して祀られているそうです。
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本殿は工事中でした。この中には、戦国武将加藤清正の一族、加藤道向の佩刀(はいとう)があるそうです。これは長野市の加藤尚志氏より寄進されたもので、太刀拵えで金装具のすべてが錫(すず)で造られ、加藤家の蛇の目紋が入っているとの事でした。
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拝殿から表太郎ゲレンデに向かう道の途中には、菅平スキークラブ創設の父、矢追秀武さん(元東京大学医学部教授)の石像と
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菅平スキー場開発の先駆者、柳澤健太郎さん(元上田丸子電鉄専務取締役)の石像がありました。
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