青鬼 お善鬼の館 | 九代目七右衛門の徒然日記

青鬼 お善鬼の館

明治41年降籏さんのお宅が空き家になったので、平成17年に「お善鬼の館」と名称で、青鬼を紹介する施設とすると共に、この地区の集会場にしたようです。早速入ってみました。
九代目七右衛門の徒然日記

室内に入ると、正面に農機具が展示しました。
九代目七右衛門の徒然日記

右側に広い御上(おえ)が広がっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

中央には地炉(じろ=囲炉裏のこと)があります。
九代目七右衛門の徒然日記

囲炉裏から見上げた梁です。
九代目七右衛門の徒然日記

座敷には、青鬼を紹介したビデオが自由に観れるようになってました。
九代目七右衛門の徒然日記

この建物の命名の由来にもなった、青鬼に伝わるお善鬼様伝説のビデオを見ました。内容は次のとおりです。「青鬼集落は白馬村の北東端の岩手山の山腹に位置する農村集落で、この岩手山の東には戸隠村、鬼無里村があります。鬼の居ない鬼無里村に鬼のような大男がやってきて村人たちを苦していたため、村人はこの大男を岩手山の底なし穴に閉じ込めたそうです。その後一人の旅人が青鬼地区に来て、戸隠に鬼のような大男が来て村人を助けて喜ばれていると伝えたことから、穴を通じ戸隠の下を通ったときに魂が入れ替わったのだろうと思い、この鬼のような大男をお善鬼様としてあがめる様になった。青鬼集落にはこのお善鬼様を祀る神社があります。しかし青鬼集落とお善鬼様との関係もハッキリしたことは分っておりません。ただ集落の名前は、近くに流れる青鬼沢の水を使い生活していることからこのように呼ばれるようになったのではないでしょうか。青鬼はここでは「あおおに」とは呼ばれず、「あおに」としています。昔からそう呼ばれていた地名などは後から漢字を当てていますので鬼の意味が含まれていたか疑問です。しかし太古からお善鬼様が祀られた神社を中心に素朴な生活が延々と続けられてきた民話と伝説の里、雪深き青鬼のふるさとはそっとしておきたいものです。」との事でした。
九代目七右衛門の徒然日記

長野朝日放送主催の、第10回ふるさとCM大賞NAGANOで特別賞と感動賞を受賞した時の賞状もありました。
九代目七右衛門の徒然日記

各種コンクールで入選した青鬼の写真も展示してありました。
九代目七右衛門の徒然日記

広間には、青鬼五月祭りの打ち上げの準備がしてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

2階に上がってみました。火棚を真横から見たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

2階は土壁のままで、祭りの道具などが置いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

2階から御上(おえ)を見下ろしたところです。
九代目七右衛門の徒然日記

打ち上げ花火の筒なども展示してありました。
九代目七右衛門の徒然日記

表には、祭りでのぼりを建てるときに使う長い棒が置いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記