The Conscience of a Libertarian 2 | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

The Conscience of a Libertarian 2

TARPで公的資金注入を受けた金融機関が。
公的資金を返済する、しない、という議論が出ていて。

公的資金を返済しないと、幹部の報酬制限があったり、外国人雇用の問題が出るので。
可及的速やかに公的資金を返済したい、そして経営への政府の関与を防ぎたい、ということなのだが。

公的資金を返済すれば、それでいいのか?
金は返します、だからもう我々がすることには口挟まないで、というのは正しい議論なのか?

To Repay (TARP) or Not to Repay, that is NOT a question.

金を返すとか、返さないとか、そんなことが問題なわけでは断じてないのだ。

大事なことは何かというと。

「金融危機の連鎖が危惧されたときに、公的資金を受けたという事実」なのだ。
金を返せばすむ話ではない。
その事実は返済によって帳消しになるわけではない。

どういうことかというと。

どんな金融機関であれ、一度でも公的資金を注入されたということは。
いかにその金融機関の財務体質が(注入前・返済後を問わず)健全だとしても。
その金融機関が潰れてしまっては金融システムの安定に重大な問題が生じる、と政府が認定したということに他ならない。

すなわち、一度公的資金の注入を受けた、ということは。
その理由や形式が何であれ、その金融機関に万が一のことがあれば絶対に政府が助ける、あるいはその金融機関の存在は金融システム全体にとって極めて重要である、という強くて明確なシグナルを政府が発し、そのシグナルをその金融機関を含む市場参加者全員がすでに受け取っているということを意味しているのである。

究極のダウンサイドプロテクション、「暗黙の政府保証」。
「暗黙の」ってのが、大事なところ。
これ、公的資金返済しても、消えませんから。
メジャーな金融機関のすべてが、Government Sponsored Entityになったというわけ。
かつてのFNMA/FHLMCと同様に、上場しているのに、暗黙の政府保証付き。
その歪んだキャピタルストラクチャーが何を引き起こしたのか、何を引き起こす可能性があるのかは、ここで語るまでもないだろう。

この意味で、理由が何であろうと公的資金を受け入れた時点で、それ以降のリスクリターンプロファイルが何らかの外部の力によってバランスされることを受け入れないわけにはいかない。

だから、TARPを返すか返さないか、それは問題ではないのだ。
「一度受け入れてしまった時点で、もう『終わっている』」のだ。その理由が何であろうと。

敢えて繰り返す。TARPを返すとか、返さないとかが問題なのではない。

我々は、隷属への道をすでにゆっくりと歩き始めてしまっているのである。