「なぜ世界は不況に陥ったのか」を読了: その2 | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

「なぜ世界は不況に陥ったのか」を読了: その2

BIS規制の蹉跌、といえばもう一つ。
本書で、格付会社の格付に対する盲信が、金融危機を招く一つの要因だったと指摘されているが。
BIS規制が、その盲信を助長したのは間違いない。特に、証券化商品の格付について。

新BIS規制上では、AAA格の原資産の分散度の高い証券化商品を買う際の必要自己資本比率は、7-8%程度。
詳しくは前回書いた記事を見ていただきたいが。
1000億円のそのような証券化商品を買っても、必要自己資本は7-80億円で済むというわけ。
同じ格付の企業に貸出を行うよりも、圧倒的に有利な必要自己資本額で。
RoEを高めようと考える銀行が、高格付けでリターンが高い証券化商品を買い漁ったとしても、何の不思議もない。

(そういや以前の記事にこんなことも書いてました。パリバショック直後なのにいいこと言ってるよね(笑))

銀行自身が証券化商品の原資産を見て、「これはAA格しかついていないけれど本来は実質AAA格のリスクだな」と仮に思ったとしても。
証券化商品のデフォルト件数が過去ほとんどなかったため、銀行自身で「これはAA格じゃなくてAAA格程度の信用リスクしかありません」とデータを元に言い切ることが出来ず。
必要自己資本額の取扱いとしては、格付会社の格付をそのまま使わざるを得なかった。
さらに、BIS(国際決済銀行)からも、金融庁からも、証券化商品のリスク量の計算には適格格付機関の公表格付を使いなさい、と指導されていて。
詳しくはこちらの金融庁のペーパーを見るとまとまっているが。

BIS規制が格付信仰をあおったのは、否定できない事実。
「中身はブラックボックスで、頼りは格付だけ」という状況で邦銀が騙されていた、と本書で池田先生は言っているが。
邦銀だけの問題ではなく、国際的な銀行規制のあり方の問題も大きかった。

(ちなみに証券化商品の内容については、日本と違ってアメリカにはIntexやTreppという詳細な原資産データが見られるデータベースを提供している情報ベンダーがいて、これらのベンダーに証券化商品の原資産データが提供されないと、投資家は分析を行うことが出来ないので実質販売が不可能になる。
日本でも、これらのベンダーのデータベースを使っていた機関投資家は複数いるので、「日本の金融機関は証券化商品の原資産も全く見ずにブラックボックスを格付だけ見て買っていた」、というのはかなりナイーブな議論。
さらに、一部本邦投資家の中にはMoody'sやS&Pの一部の証券化商品の格付手法について異議を唱え、より保守的に格付をするよう彼らのNY本社のアナリストに直接働きかけていたような人たちも実際にいた)

話を戻すと。
クレジットカードABSのような、原資産の分散も効いている上に比較的歴史も長く、ストラクチャーもしっかりしていた証券化商品のスプレッドは。
新BIS規制施行を前に、どんどんタイトニングしてしまって。
AAA格は、Liborマイナスのスプレッドで発行されるようになってしまった。

一般的に平常時は金融機関の資金調達コストはLiborだと考えられたので。
AAA格のクレジットカードABS買っても、金融機関にとって見れば逆ザヤ。

なんでそんなにスプレッドがタイトになったかというと。
ABCP ConduitやSIVが、そのような高格付証券化商品を担保資産にABCPを発行して、Liborを大きく下回るファンディングコストで資金調達が出来ていた、から。

そうなると、銀行は必要自己資本額が少なくて済む、原資産の分散度が高くてリターンの高い高格付の証券化商品が他にないか一生懸命探し始めて。
そこに転がっていたのが、サブプライムローンABSだった、というわけ。
サブプライムローンABSのスプレッドも、一時に比べてタイトになっていたとはいえ。
最も割安な商品であったことは、間違いなく。
したがって、新BIS規制とABCP Conduit/SIVなどの乱立に伴って、銀行が高い格付のついたサブプライムローンABSを買う行動がどんどんと正当化されるようになった。

よって、世界中の金融システムにサブプライム問題が拡散する素地が作られたのだ。

旧BISから新BIS規制への移行の際の問題意識とは。
銀行が信用リスク量の大きな資産を保有すればするほど、必要とされる自己資本の額を大きくしよう。
そうすることによって金融システムの安定を図ろう、という点が大きな柱の一つだったが。

過去、証券化商品のデフォルト事例はほとんど歴史的に経験しなかったが故に。
後付け的に言うと、高格付の証券化商品のリスクウエイトが過小だった。
そしてそれ故に、高格付証券化商品を銀行が大量に購入する素地を作り。
本来であればアメリカ国内の問題であったはずのサブプライム危機が、全世界的金融危機へと拡大。

高格付の証券化商品は、発行量がきわめて多く。
大部分が銀行によって保有されていたり、ABCP/SIVプログラムから銀行のバランスシートに予期せず載ってきたりしていて。
高格付の証券化商品が、大幅に格下げになると。
銀行の必要自己資本額が短期間のうちに急激に増加。
極めて狭いタイムフレームの中で、多くの金融機関が増資を行う必要に迫られ。
当然そんな中での資本調達は、非常に難しく。
必要自己資本比率を保つためには、貸し剥がしや資産の投げ売りを行う必要に迫られた。
それも、多くの金融機関が、同じタイミングで。
そして、合成の誤謬が発生。

これが、新BIS規制の蹉跌のもう一つ。この点も、触れていただきたかった。

第三の点は、時価評価される資産の拡大。

先ほど挙げた以前のエントリでも触れたが。
住宅ローンがローンのままで誰かのバランスシートに載っている状態だったなら。
ローンなので時価評価の必要はなく、金融システムに対してここまで急激な負のインパクトを与えることはなかった。
それが証券化されて有価証券の形をとったことにより、時価評価の波に洗われることになり。
ABCP ConduitやSIVのように、日次に近い形で時価評価されるビークルに保有されると。
ローンの形態で保有されていた時とは全く異なる、マーケットインパクトを持つことになる。
そしてそのインパクトが、ABCPやSIVプログラムの流動性補完者たる銀行のバランスシートに伝染して。
金融市場にすさまじいボラティリティを発生させた。

(念のためだが、ABCP Conduitはサブプライムローン以外の高格付証券化商品しか保有しておらず、また銀行劣後債などの企業信用のリスクも多く保有していた。
SサブプライムローンABSの保有を格付機関に認められたSIVは、それほど多くなかった)

そして、そのボラティリティが何を引き起こしたかというと。
パリバショックを例に取ると。
どの銀行がどのABCP/SIVプログラムにどれだけ流動性補完を行っているのか、誰にも分からず。
証券化商品の時価の居所がまったく分からず、どの金融機関がどれだけどの資産にエクスポージャーを抱えているか全くわからない中では。
一晩他の金融機関に余剰資金を貸しても、実額でたかが0.01%程度の金しか稼げないのに、一夜にして元本を100%失う可能性すらあるように思え。
インターバンク市場で余剰資金を融通するなんてことは、リスク・リターンから言って全く意味を成さず。

そして、クレジットクランチ、すなわち信用収縮が発生。
資金のやり取りは、中央銀行とそれぞれの金融機関の間でしか行われないようになった。
通常は、金融機関同士での資金の融通が行われていたのだが。
したがって、中央銀行は異常な規模での流動性供給を余儀なくされた。

市場のボラティリティの急激な上昇は。
前回書いたように、日々保有資産を値洗いしなければならない投資銀行を直撃。
過去に経験したことがないような資産価格の変動が襲い掛かると。
必要十分と思われていた自己資本が、時価の大きな変動により、簡単にワイプアウトされてしまい。
一日の損失が自己資本を超えて発生すれば債務超過に。
時価評価の不要な資産、すなわちローンを多く抱えている商業銀行と異なり。
投資銀行は、異常なボラティリティの高まりに対して極めて脆弱で。
Bearが、Lehmanが倒れ、Madison Ave.から発生したその衝撃波はすんでのところでBroadwayを越える寸前まで行った。
Broadwayの西が倒れれば、その津波はWall St.の南にも襲い掛かっただろう。

ボラティリティの急上昇は、VaRでリスク管理していた人たちが全員同じタイミングで保有資産を損切りするという合成の誤謬も引き起こした。
これは、本書にも指摘されているブラックマンデーの際のポートフォリオインシュランス戦略が引き起こしたことと基本的に同質の現象。

そして全員が売りに回ったがゆえに、全ての市場で流動性が枯渇するという事態が引き起こされた。
市場のドライアップやテールリスク、あるいは「ずるして見えない形でリスクをとっていた」というような言葉で本書ではまとめられていて。
そして、投資銀行は「慢心し、堕落した」と本書では書かれているが。

前回書いたように、グラス・スティーガル法の緩和が投資銀行を過剰なリスクテイクに向かわせた一つの構造要因であり。(もちろんGreedがまったくなかったなどと言うつもりはない)
証券化という技術がない世界では、基本的に簿価でしか評価されていなかったローンという資産が、証券化されて時価変動する資産に変わり。
ただ有価証券に変わった、ということであれば含み損益は資本直入されるだけで済んだが。
時価評価を日次もしくは週次で行わなければならない投資主体、例えば投資銀行とか、ファンドとか、ABCP/SIVコンデュイットとかがそれらの有価証券を大量に保有するようになると。
時価の変動に対する金融システムの脆弱性が高まる、という構造的状況が発生するようになった。

過剰流動性と、時価評価される資産の拡大と、レバレッジの上昇=自己資本比率の低下と、市場のボラティリティが自己実現的に上昇し続けたことで、想像することすら出来なかった資産価格の急激な変化が起こり、それが結果としてテールリスクの発露となった、ということな訳で。

個々の投資銀行の従業員の慢心やモラルの低下も間違いなくあったが、指摘したような構造要因から目をそらしてモラルの低下だけに原因を求めるような書き方は、個人的には凄く違和感がある。
(こうやって書くと、またコメント欄が荒れるのだろうがwww)

また、そもそも「投資銀行」あるいは「Investment Bank」という名の由来は。
自己資金を投じてリスクをとって投資を行い、投資の果実を換金して自らその資金を回収していたことによるわけで。
具体的には、近代ヨーロッパで、香辛料などを求めてリスクをとって貿易を行う際に、自己資金と他者からの借り入れを元手に船と乗組員と装備を手に入れ。
無事に帰還した際には、貿易によって得た希少品を換価して借入金の返済に回し、自己資金を増やす、すなわち自己資本をリスクにさらす、というのが旧来の投資銀行の業務だったわけで。
いわゆる仲介業に過ぎないブローカーすなわち証券会社と、投資銀行とは、似て非なる存在。

本書では、「投資銀行は本来の姿に戻るべきだ」という言及があるが、投資銀行の成立についての歴史的な理解がいまひとつない、気がする。

本書では金融技術革新についても触れられているが。
市場の流動性が著しく下がってしまうような状況では、基本的にオプション性を持つ全ての金融商品は機能しない。
というのも、オプションは原資産の価格が連続的にスムースに変動し、望むところで望むだけのヘッジが出来るということを前提としてプライシングされているからだ。
原資産は、為替だったり、金利だったり、クレジットスプレッドだったり、何でもいいのだが。
したがって、極端に流動性が下がった状態では、そもそも金融工学に基づいてプライシングされようがどうしようが、全てのオプショナリティを内包した商品はミスプライスの状況になる。

長くなったので、また改めて本書を元に「住宅バブルとサブプライムバブルを引き起こした原因は何か」について、考えてみたい。