SLRマクラーレンロードスターに乗る その5 | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

SLRマクラーレンロードスターに乗る その5

メルセデス・ベンツSLRマクラーレンの試乗そのものが楽しかったことは、言うまでもないが。
メルセデス・ベンツの方々とお話して、そのブランドについて理解が深まったことは、大きな収穫だった。

前回も書いたとおり、SLRとマイバッハはインポーターたるメルセデス・ベンツ日本が直販していて。
実際に販売されている方は、PLM、パーソナル・リエゾン・マネージャーと呼ばれる。
PLMのOさんとTさんのお二方とお話しする機会があり。

Oさんは、1970年代からヤナセでメルセデス・ベンツをずっと売ってこられたという、筋金入りのセールス。
マイバッハの導入で、ヤナセからメルセデス・ベンツに移籍し、当初はお一人でマイバッハを営業されていたそうだ。

マイバッハの販売では、日本はアメリカに次いで全世界で2位だそうだが。
アメリカでは販売店が販売しているので、多くのマーケティングフォースがマイバッハをマーケティングしているが。
日本は、直販なので本当に当初はお一人で販売されていたそうで。
それはそれは大変だったに違いない。


マクラーレンSLRロードスター
(家族3人でマイバッハのリアシートに収まって、テストコースで試乗させていただきました。)

これまでにご自身で150台を納車、売り上げ60億円とのこと。
おそらく50代で、物腰柔らかいが芯には熱いものを秘めていらっしゃる方とお見受けした。

北朝鮮の軍事パレードで、縦目の黒塗りのストレッチリムジンになったベンツを見かけることがあるが。
あれを3台、朝鮮総連に納車したうちの一人が、Oさんだったそうで。
テレビで見かけるたびに、懐かしく思う、とお話されていた。

「最善か、無か」というメルセデス・ベンツの哲学の話をさせていただき。
どれだけオーバークオリティなクルマを作っていたのかについて、伺った。
これまでのクルマで、一番印象に残っているのがW126だそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84_W126

http://www.wintel.co.jp/stockdetail/536-1_217.html  (ちなみにこちらは新車同様の中古車です)

Oさんは、W126はハンドリングが最高にすばらしかった、と何度もおっしゃっていた。
ボール&ナット方式で、直進性が良く、コーナリングの感覚が手に取るように分かったそうで。
一緒にいらっしゃった広報のIさんも、5台乗りついだとのこと。
どれだけいい車だったか、分かろうとも言うものだ。

また、Dolce Vita、甘い生活、という、これまでのメルセデス・ベンツの伝統から大きく外れたクルマ、CLSの今後についても個人的にすごく興味があり。
今後、突然変異と言ってもいいかも知れないCLSの路線を踏襲するクルマをメルセデス・ベンツが作るのですか、という不躾な質問をIさんにぶつけ。
お互い、ここからCLSそのもの、あるいはそのコンセプトを今後どうするのかにとても興味がある、と言う点で一致。

SLRマクラーレン、という、限られた人しか乗れない限られたクルマに乗れたことも当然良かったし。
スペシャルゲストの鈴木亜久里さんとお話しできたことも、とてもいい経験だったが。

メルセデス・ベンツという、自動車を初めてこの世に送り出し、かつクルマ作りの哲学を明確に持ち合わせているマニュファクチャラーで働く方々から。
直接、彼らのこだわりや、思い入れについて伺うことができた、というのも収穫だった。

やはり、自分の会社の哲学を共有し。
自分が売ろうとしている商品に、強い自信と思い入れを持てる人こそが、最良のセールスであるということを、再認識。