未来は予測可能か: ラプラスの悪魔とハイゼンベルグの不確定性原理 | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

未来は予測可能か: ラプラスの悪魔とハイゼンベルグの不確定性原理

昨日書評を書いた「市場リスク 暴落は必然か」 の中で、個人的に極めて興味深く思ったのが。


ラプラスの悪魔と、ハイゼンベルグの不確定性原理。


なんじゃそりゃ、と思われる方も多い、のかな、とも思うが。

純文系な私、経済学部卒、な私が知らないだけで。

そんなのも知らないの?という人が、一杯いるかも知れないが。


(逆に言うと、以下には文系の私でも分かったことを書いているので、文系の方でも理解しやすい、という言い方もできますが)


この2つは、人間の知性の限界について、深い洞察を与えてくれる。

「未来は予測可能か」という、切り口で。


まず、ラプラスの悪魔。


以下は、フランスの物理学者ラプラスが、「確率の解析的理論 (1812年)」で述べた言葉である。


もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。



詳細は、Wikipedia を見ていただきたいが。


一言で言うと。


現在の状態を物理的に測定し、解析することができる能力があれば。

不確実性は何もなくなり、未来は完璧に予測可能である。


逆の言い方をすれば。


現在の状態を測定する技術を磨けば磨くだけ。

そしてその情報を解析する技術が進歩すれば。

人類が未来を予測することが可能になる。


すなわち、「未来は既に決まっていて、現在の中に含まれている」。


ラプラスの悪魔に従って。

現在を知れば未来が分かる、というのであれば。


未来は「未だ来ていない」と書くが、実は「もう来てしまっている」、あるいは「既に決まっている」のだ。


今から200年も前の人々にとって、とっても衝撃的なことだったに違いない。

人間の知性を持って、測定と分析さえできれば。

全知全能の神と同じ立場に人間が上り詰めることができる、といっているわけだから。


そしてその115年後。


ドイツの物理学者ハイゼンベルグが、不確定性原理を導いた。


私の分からない量子力学用語で言うと。


「電子の位置と運動量の観測精度の積を、一定値以下にすることはできない」、

というのが不確定性原理だが。


要するに、「物質を構成する最小単位レベルの位置と運動量を、完全に正確に測ることは絶対にできない」、ということ。


ラプラスの悪魔の、「『現在の状態を完全に把握できれば』未来は予測可能」、という、『』の中が絶対に不可能である、ということを証明した。


つまり、未来の予測には限界がある、ということを証明した。


何を言っているのか、超おバカさん風に、文系人間の直感的理解に訴えると。


クルマのスピードを完全に正確に測るためには。

速度計つけりゃいいじゃん、と思うかも知れないが。

速度計そのものが、クルマのスピードに影響を及ぼす。

あるいは速度を測定しようとする行為そのものが、純粋なクルマのスピードに影響を及ぼす。

そのため、正確なスピードを測定することは不可能、みたいなもの。


だから。

完全に正確に現在の状態を測ることは不可能で。

したがって、未来を人間が予測するということには、限界がある。


これが、ハイゼンベルグの不確定性原理。


自分を取り巻く今の状況さえ完全に把握できないのに。

未来の予測は当然に不可能。


人間の知性に対する過度の信頼、あるいは驕りに対しての、量子力学の世界からの明確な反論。

ハイゼンベルグが不確定性原理を導いたのが、もう少し早ければ(1927年、昭和2年)。

前世紀の不毛なイデオロギーの世界的な衝突は、避けられたのかも知れない。


でも資本主義経済下で重要な位置づけを持っている(いた?)、完全市場仮説や効用最大化説の限界も、ハイゼンベルグの不確定性原理によって否定される。


なんとなれば。

完全市場仮説、あるいは効率的市場仮説、あるいは合理的市場仮説は。

(市場はすべての情報を完璧に織り込んでいる、ってやつね)

現在の市場の状況を正確に把握することは不可能であれば、成立しない。


さらに。

ミクロの経済主体は、その効用を最大化するように行動する、という考えも。

個々の人間が、自分の置かれた状況を完全に把握できないのに。

系統立った効用関数をもって、行動するわけがない。


自分の価値観が体系立ってあって、それにそって私は行動を行っているのか?

もしそうならば、優柔不断、っていう言葉は、存在してないだろう。


だから、今の経済学が前提としていることは、ある意味「ラプラスの悪魔」に近いようなもののように思われ。


金融市場に敷衍すると。

「情報開示が進めば、金融危機など発生しない」というのも。

「ラプラスの悪魔」の一種だな。


そもそも情報の開示って。

会計士や、会社のファイナンシャル(経理部・財務部)の人たちが、過去のスナップショットを無理矢理数字にまとめたもので。

それも、できの悪いカテゴライゼーションに基づいて。

だって、会計原則は実際の変化と比べて古すぎるし。

たとえばFAS157だって、市場の状況によりレベル2とレベル3のどっちにカテゴライズすべきかなんて、日々変わるかも知れないじゃん。


本当に、公式に発表されている会計指標が役に立つのなら。

株式アナリストとか、クレジットアナリストとかが、企業の決算発表のあと。

「本当は何が起こっているのか、保有しているポートフォリオはどんな状況にあるのか」なんて、血眼になって調べる必要ないじゃん。


彼らが高い給料もらっていると言うことは。

逆説的に、どんなに現在の会計システムが、非効率的か。

直近発表された会計指標から、企業の現状を読み取ることが、とんでもない職人技を必要とする作業である、ということの証明に他ならない。


すなわち。

最初から真実を完全に反映していないデータを、開示したところで。

余計な混乱を引き起こすだけで。

そもそも、完全に真実を反映したデータは存在しないのだし。


従って。

現在の金融市場監督は、「不確定性原理」から「ラプラスの悪魔」へと逆行するフェーズへ。


といった感じで、いろんな面で考えの軸が広がって、勉強になりました。

「ラプラスの悪魔」と、「ハイゼンベルグの不確定性原理」。


「市場リスク 暴落は必然か」 、に、感謝しなければ。




「市場リスク 暴落は必然か」  (2008年5月、\2520)

市場リスク 暴落は必然か