1999年1月4日
'99 WRESTLING WORLD in 闘強導夢
(観衆62,000人/主催者発表)
第1試合 30分1本勝負
○中西学[11分10秒・アルゼンチンバックブリーカー]×藤田和之
第2試合 新日本プロレス 対 維震軍・30分1本勝負
○安田&木戸&藤波[9分17秒・体固め]小原&×後藤&木村
第3試合 IWGPジュニア・タッグ級選手権・60分1本勝負
×大谷&高岩[16分53秒・雪崩式腕ひしぎ逆十字固め]ワグナー&○カシン
・挑戦者・ワグナー&カシン組がタイトル奪取
第4試合 IWGPジュニア・ヘビー級選手権・60分1本勝負
○獣神サンダー・ライガー[23分11秒・ 体固め]×金本浩二
・王者・ライガーがタイトル防衛
第5試合 特別試合・無制限1本(特別レフェリー 山本小鉄)
○佐々木健介[5分55秒・反則 ]×大仁田厚
・佐々木が優勢に試合を進めたが、大仁田が火炎攻撃を仕掛け反則負け
第6試合 新日本vsU.F.O.・無制限1本
○永田裕志[5分30秒・三角締め]×デイブ・ベネトゥー
第7試合 新日本vsU.F.O.・無制限1本勝負
×ブライアン・ジョンストン[7分55秒・レフェリーストップ]○ドン・フライ
第8試合 新日本vsU.F.O.・無制限1本勝負
橋本真也[6分58秒・無効試合]小川直也
・苦し紛れにレフリー・タイガー服部を突き飛ばした橋本だったが、レフリー不在で無法地帯と化したリングでは…
試合は両陣営がリング上で乱闘の末、無効試合と裁定
第9試合 IWGPタッグ選手権・60分1本勝負
×越中&天龍[16分35秒・ 片エビ固め]○天山&小島
・挑戦者・天山&小島組がタイトル奪取
メインイベント IWGPヘビー級選手権・60分1本勝負
×スコット・ノートン[19分1秒・足四の字固め]○武藤敬司
・挑戦者・武藤がタイトル奪取
試合のあと俺から電話してね。「何やってんだよ。ダメだよ、おまえ。この世界はやったもん勝ちなんたから」って。
「次の試合でも、小川はまたやってくるぞ。なんでも有りのつもりでやって、万が一リング上で敵わないと思ったら、リング下でスパナでもなんでも、それ持ってカチ食らわせよ」って俺はそう言ったんだよね。
ああいう時はね、酷い事やったほうが勝ちなんですよ。MMAの試合じゃなくて〝プロレス〟のリングなんだから、もう技術や技じゃなくて、残酷になったほうが勝ち。だから「小川は格闘技でお前より強いと思ってるんだから。でも、こっちが本当に何をやるか分からなかったら絶対に何もやってこれないから。そう思わせないと駄目だなんだよ」って伝えてね。
あの頃の橋本はなんか調子に乗ってて、新日本内部でよく思われてないっていう噂が俺の耳にもいっぱい入ってたんだよね。だから、そろそろ何か有るんだろうなと思ってたら案の定だよ。
猪木さんとしてはショーアップに走り過ぎたプロレスを軌道修正させるって意味を含めたんだろうけど、それを小川が理解出来なかったんだよ。単純に「ああ、何でもやってもいいんだ」と思ったんだよね。だから、はっきり言って猪木さんも小川をコントロールしきれてない部分があったんじゃないかな。
それと猪木さんには別の計算が有って、あの試合の3ヵ月前に高田がヒクソンと2度目の試合をやったんだよね。あれなんかはっきり言って1回目も含めて、完全なビビり負けなんだよ。プロレスを代表した人間が、ああゆう無様な試合をしたんだから、そこで猪木さんは世間のプロレスに対するイメージを変えたかったのかなと思うんだよね。それで小川に「やれ」って言ったら、小川が思ってた以上にオートマチックに動いちゃったんだよ。で、猪木さんや佐山さん含め、周りはみんな慌てちゃったっていう(笑)
だから俺もビックマウス・ラウドの時に同じことを考えていてさ、新日に上がるっていうから村上と柴田に、永田、棚橋との試合でそれぞれ「やっちゃえ」と。「それで俺が日本刀を持って乗り込んでいって、ロープをズタズタに斬ってやるから」って言って。
「俺がロープを日本刀でズタズタに斬って、坂口征二とかリングサイドに座ってる連中の頭をおもいっきり蹴飛ばしてやるから」って(笑)そしたら村上も柴田も出来なかったんだよね。
あれはどういうことかと言うとね、実際に「やれ」って言っても出来っこ無いんだよ。揉めて、両軍で小競り合いが起きて、リング上はしっちゃかめっちゃかになる。そこで観客は「これ、何かが起ころうとしてるな」って察知する。それで十分なんだよ。そこから生まれる何かが必ずあるんだから。俺はそういう頭だったんだよ。その最初の口火を切ろうと思ってたら、村上も柴田も何も出来なかったからさ、「あ~、こいつらアカンな…」と思って。
でも、橋本はあの試合の後も、小川と何試合かやったでしょ。それも同じように全部負けた。それっていうのは橋本がヘタレなんだよね。橋本が一方的にやられて、あいつは潰されたまんま抗争が終わっちゃったから、みんなが「あ~あ」ってなったんだよね。
「スパナでも何でもいいからやれ!」って言ったのにあのザマだからさ、「おまえ、何を考えてるんだ! 小川にやりたい放題やられて」って言ったら、「いや、僕はプロレスを守りました」とか言ってたから、「バカか、おまえは! プロレスを守る前にお前が潰されてるだろ!」って。「おまえは破壊王じゃなくて 〝破壊され王〟やんけ。このバカが!」って言ったんだよね。
でもね、セメントやシュートなんかより、本当に怖いのは通常のプロレスの試合なんだよ。相手に身体を任せてボディスラムで投げられるでしょ、そこで頭から落とされたら終わりじゃん。でしょ? パイルドライバーでドンッといったら首折れちゃったとかね。
【ドン荒川イズム最後の継承者】
(テレビで試合を)見ていて、なんか苛々してね、橋本選手「そこでやっちゃえよ!」って。耐えてたのかもしれないけど、「やりかえせよ!」っていうのがありましたね。プロレスラーは強くあって欲しいし、橋本選手とは年齢的に一緒ぐらいってのがありますしね。いちレスラーとしてはね、引き下がんないで欲しい。
(小川が橋本をガチンコで潰したとフライデーに報道された件に関しては)そんなに偉そうなことを言うけど、小川も小川でね、「おまえが負けてたらどうすんだ!?」ってことですよ。
【数日後、この男も人生の岐路に立たされた】
これってさ〜けっこう忘れられがちなんだけど、あの試合ってメインじゃ無いんだよね!
途中であんなことになっちゃって、観客はいったい何が起こってんだ? って感じで、ポッカーンとしちゃってさ、もう口あんぐりな訳だよ。
客席なんて、完全に冷め切っちゃってんだよ。
そんな中でメインのリングに上がって、ノートン相手に客席暖めるところから始めて、6万人の観客をだよ! 試合内容で満足させて家路につかせた訳!
そうやって考えると、やっぱ俺って天才だよね?
【誰だよ、この人に話し聞こうって言ったのは?】
1999年 1月11日 六本木
「U.F.O.とは絶縁します。ですから、向こうの横浜アリーナ大会(3月14日)にウチの選手が出ることはないし、次の東京ドーム大会(4月10日)にU.F.O.の選手が上がることもありません」
この日、六本木の中華レストランで行われた新日本プロレスのフロントとマスコミ関係者の新年会の席、新日本プロレス社長・坂口征二は小川直也の所属するU.F.O.との〝絶縁〟を正式に発表。
あの事件後、新日本プロレスは坂口征二社長以下、現場監督の長州力、所属選手・スタッフ総意の元、創業者であり実質のオーナーでもあるアントニオ猪木に対する絶縁宣言という異常な事態に陥ることとなった。
U.F.O.(世界格闘技連盟)とは、現役引退後新日本プロレスに居場所の無くなったアントニオ猪木が立ち上げ、自身がオーナーである団体に外敵として喧嘩を売るという実に厄介な存在だったのだが、同日東京ドームで初上陸を果たした大仁田厚の新日マット参戦も同様に、自ら立ち上げた団体からはみ出した末の最期の大勝負だった。
引退⇛復帰を繰り返しながら、なおもFMWの中心に居座り続けようとする創業者に対するフロントや現役選手たちの拒絶反応は凄まじく、新たな居場所を求めたインディーズの帝王は自分と対局にあるメジャーのど真ん中、新日本プロレスに挑戦状を叩き付け、このとき既に現役を引退していた長州力との対戦実現に向け動き出していた。
全日本プロレスのジャイアント馬場の元でデビューするも膝を壊し最初の引退。タレント活動を経てジャパン女子プロレスの後楽園ホール大会・グラン浜田戦で現役復帰を果たすと、その後全財産5万円を元手にFMWを旗揚げ、異種格闘技戦、女子プロにミゼット、有刺鉄線電流爆破デスマッチと、何でもありの節操のないプロレスでインディーズという新たな価値観を生み出し、ワシは弱いんじゃ〜などと臆面もなく叫ぶ涙のカリスマとは対局に、プロレスこそ最強の格闘技と謳いストロングスタイルの旗印の元、新日本プロレスをメジャー団体に育て上げた燃える闘魂。
同じプロレス界に籍を置きながら、まったく交わることの無かった男達の人生が東京ドームという舞台で交差した刹那、1.4事変と呼ばれ、多くのファンの記憶に刻まれながらも、現在の新日本プロレスでは無かったことにされているあの試合が行われた。
そして、この橋本真也に降り掛かった悲劇はまだ…
これから彼の辿る地獄の、ほんの入り口にしか過ぎなかった。