帝国軍人の憲法「軍人勅諭・五箇条」 
  誇り高き 帝国軍人
   

一、軍人は忠節を尽くすことを義務としなければならない。
  (人は忠節を尽くすことを義務としなければならない)

一、軍人は礼儀を正しくしなければならない。
 (人は礼儀を正しくしなければならない)

一、軍人は武勇を重んじなければならない。
  (人は徳を重んじなければならない)

一、軍人は信義を重んじなければならない。
  (人は信義を重んじなければならない)

一、軍人は質素を第一としなければならない。
  (人は質素を第一としなければならない)    


フィリピンで英雄となった
              旧陸軍・山添勇夫大尉の物語から。
山添大尉は、昭和12年に軍に召集された後
フィリピンのレイテ島ドラグ市にて守備隊長を務めて
おられました。


地元のフィリピンの方々に対して常に公平中立に接し
住民と日本兵との親睦を深めるために
ラジオ体操、テニス、バスケットボール、文化的なショー
ダンス、映画の上映などの機会を設け
また、各家庭には食料不足を防ぐために裏庭で
野菜を作ることを
現地の子供達には
日本軍が作った学校で学ぶことを奨励されました。


現地の住民に愛され
                      尊敬されていた山添大尉でしたが


昭和18年に、ゲリラとの戦闘で命を落とされました。

その戦闘の際にも大尉は
市民が巻き添えになることを危惧し
住民の生活圏での戦闘を避けるべくゲリラ側と交渉。

大尉の提案は受け入れられ、結果多くの市民の命を
救いました。


山添大尉の死を嘆いた市民たちは
昼夜を問わず教会の鐘を鳴らし続け
さらには、大尉を讃えるために自発的に小さな
慰霊碑を建立。

慰霊碑は後に
ドラグ市により大きな物に建て替えられています。


Captain-Isao-Yamazoe-Shrine.jpeg

フィリピン・レイテ島で
地元住民が日本軍大尉の慰霊碑

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100813/
acd1008131317002-n2.htm


先の大戦の激戦地、フィリピン・レイテ島の山中に
32歳の若さで戦死した旧陸軍の山添勇夫大尉の遺徳を
しのんで現地の住民が建て、大切に守り継いでいる
慰霊碑がある。

フィリピンの方々から様々な反応

お母さんに戦時中の話を聞いたことがある。
一度日本兵(朝鮮半島出身の兵士)に
ライフルで頭を殴られたことがあるんだって。
銃剣で突かれそうになった時に、若い日本の将校が救って
くれたみたい。
オカダって名前の人だって言ってた。

俺のお袋は、本当に残酷だったのは日本人じゃないって
言ってた。
ほとんどの日本人の将校は立派な教育を受けていて
マナーも素晴らしかったようだよ。 

残酷だったのは日本人以外の日本兵だったんだよなぁ。

そうだよ。残虐だったのは日本人じゃない
俺のおばあちゃんやおふくろの話によると、
狼藉を働いてたのは日本人以外の兵士だったようだ。

日本人以外の日本兵のほうが残酷だったって話は聞くね
俺の両親や祖父母もそう言ってた。
当時の人達は日本の植民地になっても構わなかった
んじゃないかな。
個人的には今でも、領土を支那に奪われるくらいなら
日本の植民地になったほうがマシだと思ってるし。

実は大きな罪があるのは日本人の兵士じゃないんだよ
罪を隠してる民族が他にいる。