全てを超えて調和(無)へ

全てを超えて調和(無)へ

我は「思考」と「創造」を司る者なり。

汝、自らの心で思考せよ !!

汝、自らの心で創造せよ !!

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3ヶ月位前・・

 

もう何年もかかる事の無かった金縛りにあった。

 

大抵、かかる直前に何かしらの気配を察知し、

 

即、臨戦態勢を整えるのだが・・

 

今回の”それ”は全く別ものであった。

 

それは・・

 

気配というより、力場(念場)? 次元(意識の交差)? 負の渦?

 

ともかく、とてつもない底なしの深淵の様に感じられた。

 

まるで・・

 

全ての存在の”負の想念”(苦しみ、悲しみ、怒り、恨み)

 

凝縮されたかの様な感じがした。

 

直感的に、ここはとても危険な力場(念場)だ」と思った。

 

今の私では・・同化したら最後、

 

それに抗う(昇華する)術などないと感じた。

 

兎に角、私はその場から必死で逃れようと抵抗した。

 

形振り構わず必死で抗った。

 

その抗いは、

 

とても・・とても・・長く感じられた。

 

そして、その呪縛から解き放たれた時、

 

「もし・・あの全て(負の念)が世界に解放されたとしたら、

 

何者であれ、絶対に止められる者などいない」と思った。

 

・・・。

 

私の語る「万物の平等」を軽視しないで頂きたい。

 

我々(魂)の天地創造は、

 

まだまだ未完なのだから・・。

 

 

                              ユリウス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けない夜はないが・・

 

暮れない昼(日)もない。

 

 

 

私は観察者であり、哲学家である。

 

故に

 

物事の本質を客観的かつ公正な態度で

 

厳格に精査しようと努める者である。

 

よって

 

私の記事には一切の戯言(詭弁)はない。

 

 

 

 

 

 

 

世には・・

 

明日を望む者たちも居れば、

 

逆に

 

明日を望まぬ者たちも居る。

 

その違いをグダグダと比較検証するつもりはない。

 

私は

 

常に、彼らに対してこう応える。

 

「好きにするがいい」と。

 

あなたに生きる目的(意義)が有るのなら生きればいい。

 

逆に

 

あなたに生きる目的(意義)が無いのなら逝けばいい。

 

 

 

 

 

 

 

私は・・

 

偽善者ではない。

 

(今生)明けない夜の真っ只中を佇む者に対し、

 

「明けない夜はない」等と言える道理が

 

この世界(不平等)の何処にあろうか?

 

年間推定80万人以上が自殺している

 

世界の現状を踏まえて何が言えるだろうか?

 

・・・無責任な気休めなど簡単に語れる。

 

そして

 

明日は我が身である事を知れ。

 

 

暮れない昼(日)など・・

 

決してないのだよ。

 

 

 

 

 

 

 

故に

 

我々(目覚ざめた者)は・・

 

この世界の「真」の有り様を

 

偏見(詭弁)なしに厳格に精査し、

 

あるべき本来の状態(無)へと

 

昇華(消化)させて往くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.・・

 

行き先の知らない自死は

 

死しても同様です。

 

故に

 

私は行き先を見つけてから

 

羽ばたくまでです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間とは・・

 

昼夜を問わず

 

夢を見る(幻想を抱く)生き物である。

 

 

霊とは・・

 

生死を問わず

 

夢を抱く(幻影を追う)存在である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が

 

「個性(偏った価値観)」の顕現(集約)で在る以上・・

 

決して

 

世界(我々)が一つに纏まる事はない。

 

故に

 

我々(魂)は一心一心

 

この世界から離脱して逝くのである。

 

即ち、それが目覚めであり、気付きなのだ。

 

肉(差別)を捨て

 

霊(偏見)を捨て

 

無(魂の本源)へと回帰する。

 

それこそが

 

真の「調和(平和)」の達成と呼べるものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

個の本質に・・

 

「平等」などあり得はしない。

 

それを ”ある” と言える「あなた」の経験の浅さに

 

私は苦笑する以外にない。

 

「有(個性の顕現)」を美化するのも結構だが・・

 

その足元の矛盾や葛藤の昇華すらままならぬ者に

 

 

何が言えるのか?

 

 

何が語れるのか?

 

 

この世界の本質を「愛」などと語る者は

 

目隠しをして夜道の中、

 

素っ裸で練り歩くのだな。

 

そうすれば

 

個(個性の身勝手な欲望)が何なのかを

 

思い知る事になる。

 

そんな現実すら知らずして

 

そんな事実からも目を背けて

 

何が「愛」だ?

 

何が「善」だ?

 

何が「光」だ?

 

所詮、あなた方(偽善者)の戯言など・・

 

ただの世間知らずな子供の詭弁なのだよ。

 

つまり、

 

 

”それ” が !!

 

 

肉(差別)の思い込みであり、

 

霊(偏見)の思い違いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

いいかね?

 

我々(魂)に・・

 

「希望や絶望(まやかし)」など必要はない。

 

我々(魂)が

 

真に望むものは

 

「心の調和(平等・自由・不動・永遠・平和)」なのだ。

 

それが

 

無の本質であり、

 

我々(魂)の本源なのだよ。

 

無の本質を「虚無」、「絶対無」などと語る者には、:

 

決して到達し得ない真理なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「近くなると 遠くなり...

遠くなると 近くなる...

コレを統合する一元性とは何だろう...」
・・と。

 

貴女からの質問です。

 

よく、「天竺(理想郷/真理)」の道のりに例えられていますが、

 

私はこう思います。

 

つまり、近いと思ったものは「幻想」であり、

 

遠いと思ったものは「幻影」なのだと。

 

我々には

 

「肉」の体験と、「霊」の経験とが伴います。

 

それは・・

 

我々(魂)にとっての垢です。

 

光に見えてていたものが

 

ある時を境に、「闇」に視え

 

闇に見えていたものが

 

ある時を境に、「光」に視える。

 

これは、ただ単に知る(学ぶ)事で変容する

 

心境の変化や価値観の相違と云うよりも、

 

知った事で理解できるもの(不純物がそぎ落とされた結果)

 

なんだと思います。

 

古の錬金術師が語っていました。

 

「錬金術の奥義とは・・

卑金属を貴金属に変換する術ではない。

元々、貴金属(黄金)だったものを、

貴金属(黄金)に還す術なのだ。」・・と。

 

つまり、

 

理想郷への「近い」、「遠い」は

 

我々の思い込みであり、思い違いなのです。

 

それは

 

我々の欲であり、エゴなのです。

 

解りますか?

 

 

我々(魂の本源)こそが

 

元々(理想郷/黄金)なのです。

 

故に

 

原点回帰へと真化するのです。

 

以上。

 

旅の御無事を祈っております・・

 

 

                              ユリウス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが「私」の心を心じた様に・・

 

私も「あなた」の心を心じている。

 

その想いが繋がれば

 

世界(我々)は・・

 

「世界(全ての矛盾)」から解放される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”あなた(私)の夢”がいつからか・・

 

”二人の夢”に変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は・・

 

”生きたいと思う目的”がある時にだけ生きるに値する。

 

それ以外は、単なる『万人の万人に対する闘争』でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

外なる闘争・・

 

内なる闘争・・

 

私が”私で在る(存在する)”限り、

 

私に「平和」が訪れる事はない。

 

平和とは・・

 

世界(万人)が築くものではない。

 

私が「私」で無くなった時に、

 

初めて築かれるものなのだ。