瀬織津姫 & クンダリーニ…No.119 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.119

「とび・とみ」の考察の続きです。

神武天皇や長髄彦(登美毘古)、ニギハヤヒには「とび・とみ=クンダリーニ」のキーワードが絡みます。そして、長髄彦の背後には事代主神(八尋熊鰐)がいましたよね。事代主神は長髄彦の父神という説もあります。陰陽二神(銅鐸祭祀)の継承者と見ればよいと思いますが…。

このお三方は全て猿田彦大神(鵄・飛=長・ナーガ=クンダリーニ)を背負っていると考えます。

「事代主神=鰐(わに)」であり、クンビーラ(鰐)は本地がミロクの金比羅さんでした。事代主神の変身した鰐とはクンダリーニや銅鐸の比喩なのですね。寺社に吊るされた鰐口は鰐であって、銅鐸です。また、鰐は和邇(わに)氏であり、その反対読みは「にわ=庭」ですが、利休は庭にクンダリーニを暗喩する飛石(とびいし)を置きました。

「とび・とみ」は表(おもて)の意味以外にクンダリーニの隠語であると自分は捉えています。クンダリーニですから、陰陽二神共に「とび・とみ」ということになります。登美毘古の妹は登美夜毘売ですからね。

長髄彦(登美毘古)が神武天皇に敗れた敗因は天に異変があり、雲が立ちこめ、雷が鳴り、空から金色の鵄(とび)が神武の弓の先に止まって、この光に長髄彦軍が眩惑されている隙に、神武が攻撃を仕掛けたからです。




弓は背骨のスシュムナー管ですね。

雲はエネルギー。クンダリーニ覚醒時における周囲のプラーナ(気)の引き込みを雲と表現しているのだと思います。雷鳴はクンダリーニの起動に伴う音の比喩であり、金の鵄がクンダリーニ昇華を表します。なので、「鵄=クンダリーニ」です。クンダリーニ昇華の状況を戦いの場面に当て嵌めて創作された話だと解します。

鵄に限らず、鷲や鷹といった猛禽類を象徴として使っているようにも見えますが…。

弓には藤巻というやはり、クンダリーニを暗喩する「藤」が三ヵ所巻かれますが、これはエネルギーの螺旋上昇を表すと考えます。矢と的は陰陽和合ですね。弓の上下の反りを「姫反り」というらしいです。姫反り…陰陽和合ですね(笑)。

長髄彦を殺したとされるニギハヤヒは初め、天磐船に乗って河内国河上哮峯(たけるがのみね)に天降った後、大和の鳥見(とみ)白庭山に降臨しました。

神エネルギーは頭(サハスラーラチャクラ)から入りますから、河はエネルギーの川であるスシュムナー管の上(かみ)である頭頂(サハスラーラチャクラ)と読めます。哮峯の哮は吠えるとか大声で叫ぶという意味ですので、先程の「雷鳴」と同じ意味です。

スサノオの出雲への降臨は、鳥上(鳥髪)山に天降りましたが、鳥はヘルメスの杖の先の鳥で、やはり頭頂部のことです。神武天皇の場合の弓先もまたしかりで、みな同じことを別々に表現しているに過ぎません。

先程、鰐は和邇氏と記しましたが、和邇氏は春日氏となり、石上神宮の社家である布留氏(布留物部氏)も元は和邇氏です。和邇氏は富士山本宮浅間大社の社家である富士氏が和邇氏の流れでしたが、富士山も「富=とみ」でしたね。

「とみ・とび」のキーワードで繋がります。以前に考証したように春日大社も石上神宮も陰陽二神が本来の祭神です。

石上神宮(いそのかみじんぐう)の元宮と地元で言われる石上神社(いしがみじんじゃ)が天理市滝本町滝口にあります。祭神は石上大神。この滝本の滝とは以前、検証した桃尾滝(もものおのたき)のことです。布留の滝とも言います。

桃尾=尾の桃(宝珠=クンダリーニ)は瀬織津媛ですね。布留は布留部由良由良の布留で、布には「巾=はは=蛇」が入ります。「布留」は「振る」であり、クンダリーニが由良由良と蛇行しながら上昇する様であり、それが瀬織津媛のシンボルである滝でもあるわけです。滝は白蛇(白竜=九頭竜)なのですね。

で、この桃尾(もものお)を「とうび・とび」とも呼んだそうです。桃は「とう」と読みますからね。つまり、桃尾滝(とび・とみのたき)ということで、「とび・とみ」がここにも繋がります。

この桃尾滝を後嵯峨天皇が詠んだ歌があります。

「今はまた 行きても見ばや 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて」

「石の上」は「いそのかみ」ですが、上(かみ)は神(かみ)であって、「しゃくじん(石神)=シャクティ=クンダリーニ」です。

「ふるの」は「布留の」になっていません。「ふる」は「降(ふ)る」に懸けてあり、「降る」は「降(お)る=織(おる)」です。

されば、「織の滝津瀬」とは「瀬織津の滝」となります。

「跡をたづねて」とは太古は瀬織津媛が祀られていた事跡を追想してと読めます。そこへまた行って、滝を見たいものだという意味に自分は取りました。

後嵯峨天皇の父親である土御門天皇は土佐や阿波に流されています。土佐・阿波は事代主神、土御門(つちみかど)は阿倍晴明の末裔も土御門家ですから、何かと関連性があるのではないかと推察します。

石上神宮の元宮とされる石上神社は当初、石成(いわなし)神社という社名でしたが、石成は「石成=いなり=稲荷」と読めます。稲荷は北斗七星、滝は北斗七星の升からの流水という思想があります。日蓮宗開祖の日蓮には妙見(北辰北斗)信仰がありましたが、前述の土御門天皇には日蓮の父親説があります。

「石成(石上)=稲荷」…重要です!

石田三成(笑)?

阿倍晴明の五芒星は北斗七星の確率が高いと思いますが、そのシンボルが伊勢の神明神社にありましたよね。セーマン ドーマンですが、このシンボルは石神様と呼ばれる神武天皇の母である玉依姫に由来しています(石神(石上)様=玉依姫)。

石上(いそのかみ)は「伊勢(いせ)の神」でもあって、それは猿田彦大神であると解釈します。また、石上(=石神)は磐座であって、ビラミッドと巨石を信仰するクズの神でもあると考えます。銅鐸と巨石(磐座)とクンダリーニはセットです。

玉依姫は海神である豊玉彦(猿田彦大神)の娘で豊玉姫(若狭姫)の妹ですが、両女神とも瀬織津媛です。で、豊玉姫も出産の時に事代主神と同じく鰐(わに)に変化(へんげ)しました。キーワードで繋がりますよね。

そもそも鰐とは「魚(な)+咢(がく)」の合字です。魚はエネルギーの意味がありました。海人族による意味付けですからね。咢は「やかましく声を出して気が動転するくらいに驚かす」といった意味があります。つまり、鰐には「エネルギー・驚かす」の意味があります。前述したように、クンダリーニエネルギーの昇華には雷鳴や雄叫び(哮)と比喩される大音声が伴います。

やかましく声(音)を出して驚かす(咢)のは銅鐸であり、ガランガランと鳴らす寺社の鰐口です。また、山爺の大声でもありますね。

で、人体の咢は「顎(あご)」ですよね。大声は口からでます。飛魚(とびうお)を「アゴ」と言いましたが、「とび・とみ=アゴ=クンダリーニ=鰐」と意味が連鎖しているのです。このあたりはまた、詳述します。

古代、水神である桃尾の滝(布留の滝)=瀬織津媛を祀っていたのが、石上(石成)神社でしょう。その瀬織津媛は石上神宮では布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿った布都御魂大神となります。尤も、これは私的な考察ではありますけどね…。

布都御魂剣についても以前、考証しましたが、布都はモノを切る「フツ」という音と言われますが、布都は「ホト」であり、女陰であると自分は考えます。この剣は普通の太刀と逆方向に刃が付く内反りで「陰」のカタチです。鎌のようなカタチです。

布都御魂大神は別名を甕布都神(みかふつのかみ)、佐土布都神(さじふつのかみ)とも言います。

甕(みか)は「かめ=亀=瀬織津媛」、佐土は土(つち=椎=蛇)を補助(佐)する陰陽の陰(女神)であり、佐土は「佐土=さじ=匙」であって、匙はスプーンでそれは北斗七星の形状ですから、「佐土布都=匙ホト=北斗七星の女神」は、北斗の女神であり滝神である瀬織津媛を意味し、それは桃尾滝神であり、布都御魂剣なのです。滝も剣もいずれも長物であって、背骨やクンダリーニの形容です。

北斗七星は万物五行を生み出す陰陽の象徴です。エネルギー的に実際にそうしたパワーがあるのかも知れません。宇宙回転の支点である北辰(北極星)が無極(太極)であり、その形成力・活動力が北斗七星の陰陽です。陰陽がなければ、宇宙はただの乳海です。攪拌し、万物を生み出すパワーは陰陽によります。

ここに北斗七星が絡み、辰狐王(北斗七星)である狐と石上神社の前身である石成(いなり=稲荷)と読める言葉の関連性が見られます。石上(石神)とは北辰北斗(稲荷)ということでもあるのです。

剣もクンダリーニの象徴ですよ。

刃紋はエネルギーの蛇行を表します。


で、女神である布都御魂剣が補助(佐)する土(蛇)とは猿田彦大神である草薙剣のことです。陰陽の二振の剣が揃ってこそ、和合するのですね。

備前国一宮・石上布都魂神社の祭神はスサノオ以前はヤマタノオロチを切った布都御魂と伝えられていました。

ヤマタノオロチを切ったのはスサノオの十握剣(布都斯魂剣)ですが、布都御魂と布都斯魂とは似た名前ではありますが、神を間違えるはずもなく、ヤマタノオロチを切った時、尾で草薙剣(天叢雲=天村雲=猿田彦大神)と噛み合った(陰陽和合)のは、瀬織津媛の魂が宿る布都御魂剣であったと自分は考えます。

ていうか、出雲風土記にはヤマタノオロチの話はないので、古事記などでの創作話でありますから、それは単なるイメージとしての話ではありますが…。

で、これも陰陽の剣(クンダリーニ)と八岐大蛇で、スサノオや牛頭天王と同じ「陰陽と八王子」というパターンの一つとなります。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は八頭八尾(はっとうはちび)ですから「頭尾(とび=クンダリーニ)を八(開く)」と読めるのです!

頭尾(とうび)は桃尾(とうび)で、桃尾滝(布留滝)はヤマタノオロチの滝でもありますね。桃尾滝には八岐大蛇が剣となって降ったとの伝説がありますから、頭尾=桃尾は有りでしょう。

また、それは、扉(とび・ら)=サハスラーラチャクラ=天岩戸を開くと解してもいいかも知れません。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)にはそうしたエネルギーの意味が隠されていると考えます!ただ、この場合は個人ではなく、大地のエネルギーという意味だと思いますけどね…。

剣(つるぎ)はもとより「鶴亀(つるぎ)」の陰陽ですが、頭尾も「とび・とみ」であり、それは「桃尾」でもあるわけです。八には六合(りくごう=くに=天地四方)の意味もあります。

八紘一(為)宇の八紘は宇宙にあって天地を結ぶ八本の綱です。それが綱=蛇であって、八岐大蛇であるとも考えられます。八岐大蛇に似た話は海外にもあります。海人族が世界神話を和風に改変したのだと思います。

八頭八尾というと、八頭(やつがしら)という里芋の大きなやつがあります。里芋の里は「1里=36町」で、ミロクですし、里は「さと⇔とさ」で、「とさ」は十三(とさ)で十三は「とみ」です。

金や銀、鉄などの金属鉱物を「芋」とも言い、芋は地中にあって螺旋の巻きヅルを出します。芋は製鉄にあっては金属ですが、錬金術では金丹(クンダリーニ)です。こう見ると、前々回、烏芋(くろくわい)で示したように里芋、特に八頭(やつがしら)もクンダリーニのメタファーにされていると解釈できますね。里芋の葉も宝珠形です…。


ヤツガシラという鳥もいるんですよ。ブッポウソウ目の鳥です。


ブッポウソウは仏法僧であって、これを三宝と言いますから、三宝荒神(=竃神)に通じますね。

白黒の陰陽のまだらと頭にオレンジ色(霊界太陽)の「ヤツガシラ(八頭)=頭の羽」をもった神があつらえたような鳥です。広島など、日本でも見られるそうです。

このヤツガシラという鳥は、見ようによっては末広がりの尾羽ですから、八尾とも言えますが、白黒陰陽と八頭を表しているということは言えますよね。鳥であることが、またシンボリックです。

ヤツガシラで言葉を作ると「カヤツシラ」=「伽耶津白(伽耶国の白)」、「シラツカヤ」=「白津栢(茅)(白のクンダリーニ)」かな?

白(しら)は平や比良、金比羅などの比羅(ひら)と互換性を持ちます。

さて、その八頭八尾(とび=クンダリーニを開く)のヤマタノオロチが神剣となってこの桃尾滝(とびのたき)に降臨した、或いは白竜となったなどという言い伝えがあります。

また、桃尾滝の奥にある「日(火)の谷」という所にはヤマタノオロチが八つに別れ、草薙剣に伴って降臨し、八つの岩になったとの伝承があり、こちらには竜王社という社があります。やはり、火と水の神(火水)、「陰陽と八」という話となりますね。

ヤマタノオロチに関しては出雲に後付け的な話や地名は残りますが、出雲風土記にヤマタノオロチの話は載っていませんから、出雲の話ではありません。吉備か大和での話の創作だと思います。三輪山の大物主神をヤマタノオロチとする説もあります。

大物主神の神嫁であった倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)にも「とび=迹日」もしくは「とひ」の読みが入ります。迹は「しゃく=シャクティ」でもありますが…。

因みに、三輪山・大神神社は東経135°51′10.84”ですから、蟻通ラインに近いと言えば近いと言えます。所在地が桜井市三輪1422ですから14=石(シャクティ)22(不死)としっかりクンダリーニを暗示していますしね(笑)。石神です。

ヤマタノオロチの目は赤かがちのようだと表現されます。赤かがちとは「ホオズキ」のことですがそのホオズキを漢字にすると、「酸漿」や「鬼灯」と表記します。

酸漿…どこかで見たでしょ?

長宗我部氏の家紋が「酢漿草」と書いて「カタバミ」でしたよね。漿は「はた」と読みました。秦かなって?「和邇氏=春日氏」も秦氏かなって?以前、考察しました。

ホオズキの語源には、頬を突く頬杖とかって沢山ありますが、自分流に言うと、酢漿は「さく・はた=シャクティ・秦」と読めます。赤かがちの赤もシャクティで、かがちは蛇ですから、赤い蛇(赤竜)でクンダリーニと読めます。

竜の目は鬼や兎の目とされますから、鬼灯(ホオズキ)と表される場合には、鬼(御丹=竜エネルギー)の灯(ひ=火)としても、火のよう熱い竜エネルギーであるクンダリーニとは意味の上で整合性が取れます。



てか、ホオズキは赤い宝珠なのですね。宝珠形をしていますよね。

ホオズキは先祖を導く赤い提灯(ちょうちん)としてお盆の精霊棚に飾られますから、「導きの灯り」とも言えます。クンダリーニは次元を跨ぐ導きのエネルギーです。

さて、「とび・とみ」の考証からフラフラと寄り道をしていますが、次回は上記した竜王社について考察してみましょう。

(続く)