1mm happiness


■basic data■


名前:稲本朱珠(いなもとすず)
生年月日:1992年3月6日 20歳
所属:同志社大学社会学部社会学科3年
   広告研究会会長
   日替わり店長のお店「魔法にかかったロバ」プロモーション事業部長 
   学生ヨル会議 取材部
   NPO法人「共存の森」ネットワーク理事
   MIRAI EXPO広報局




■questions■


1、 原点・「聞き書き」との出逢い


中3のときに書いた読書感想文が私学の賞を受賞したため招かれて行った表彰式で塩野米松さんという方が基調講演をしてくださった。彼は「ベストセラー作家」として紹介されていたんだけど、その人が書いてたのは小説でもノンフィクションでも無く「聞き書き」というものだった。
聞き書きは、山仕事をしてる人や自然の中で生活している職人さんの話を聞いて文字に起こすことで、塩野さんは法隆寺の建て替えをした宮大工さんの話を聞いて有名になった人だった。そのとき、全く名前も知らない竹籠を作るおばあちゃんの話をしながら泣きそうになってる塩野さんを見て、「きっと聞き書きっていうのは何かすごいことなんやろなあ。文章書きたかったけど、小説書けへんし、聞き書きならできるかも」と思った。高校生を対象に「聞き書き甲子園」というものが開かれていることも知り、「高校生になったらやろう!」と決めた。これが、自分でやりたいことを見つけて取り組んでみた初めての経験。


高1の夏、「聞き書き甲子園」に参加した。東京に行って、聞き書きについて学んだり全国から集まった100人の高校生と一緒に合宿をして交流した。通信制高校や林業・農業高校に通い自分と全く違う勉強をして違う進路に進んでいく同い年の子に出逢い、世界は広いなって感じた。
秋になり、実際に「聞き書き」を体験することになり、私は兵庫県に住んでいる炭焼き名人の今西さんの担当を任された。


名人の家の応接間は土足で入れる場所だった。予定の時間を過ぎても先客である近所のおじいちゃんの話が長引いていたので傍で待っていた。近所の方の愚痴を親身になって聞いてあげる今西さんの姿を見て、彼が信頼されている人であることは見てとれた。
ご近所さんが帰った後、今西さんは「この応接間が土足で入れる理由は、こうやっていつでも気軽に人が入ってこれるようにするためやで。」って私に教えてくれて、私はそれを聞いてすごく感動した。


「聞き書き」の方法としては、職人さんに1対1でインタビューを行い、録音したものをすべて文字に書き起こし、それから自分の質問を消して、相手がしゃべってる言葉を組み換えて、文章として読みやすい形に整えていく。
「聞き書き」について教わる際に、特に強調して言われたのは「仕事を聞きなさい」ということ。仕事を丁寧に聞いていったら、相手のこだわりがわかってくるから。


例えば今西さんの場合、短い方が確実にきれいにできるにもかかわらず、何年も掛けて1メートルもの木を炭にしている。
それはなぜかというと、お客さんの気持ちに応えるため。最近は炭を作る人が減っているから注文はたくさんくるけど、炭は7日間窯の中に入れておかなければならないため、1回に焼ける量を増やさないと注文に応じることができなくなる。だから、今西さんは手間暇を掛けて長い木を炭にされている。


今西さんが自慢してたのが、「お客さんからお歳暮が届く」ってこと。
「あんた、よう考えてみいや。いつもお店で何かを買ってる方やろ?けど買ったところにわざわざお歳暮なんか送らへんはずや。でもうちは、物を売って買ってもらうだけじゃなくて、『いつもいい炭ありがとうございます』って感謝されんねん。それは、やっぱり気持ちが込もってるからなんやろな。」そう嬉しそうに語ってくれた。


「一番最後にあんたに言いたいことがある。あんたはこれから、『出会いと信頼』を大切にして生きていきなさい。出会った人をまず信用すること。自分が信用したら、相手も信用してくれるから。」
最後に今西さんに会ったときにこの言葉を贈ってもらって以来、「出逢いと信頼」を大事にして生きていこうって決めた。

何を考える時も、常にお客さんや相手の立場に立って考えられる今西さんは、今でも私の一番の目標の人。


今も所属してるNPO法人「共存の森」ネットワークは、1回目の聞き書き甲子園に参加し、自然破壊や後継者不足に悩む職人さんたちの話を聞いて「何か自分たちに出来ることを続けていきたい」と思ったOBさんたちの声で法人化したもの。
私は高2~大1まで学生スタッフとして聞き書き甲子園に参加し、今年は塩野さんと一緒に、聞き書きを教える講師として高校生に授業をした。

聞き書きは、最近ようやく少しだけ有名になってきていて、去年「森聞き」っていう映画にもなった。(予告編はコチラ から。)
来年、聞き書きのことをもっと色んな人に知ってもらうために、上映会をしたいなと思っている。



「共存の森」ネットワークのHPはコチラ から。



2、 現在の活動


◆広告研究会


高2の選択授業「国語表現」で「広告を作る」という授業があり、それにすごくはまった。
そのときに、通っていた「同志社高校のコピーを考えろ」という機会があった。そのときあたしが書いたコピーは『自由に挑む真実を掴む』。
同志社高校は規則がほぼ無いすごく自由な高校。でもそれは一方で、自分で責任を取って行動していかなければいけない試練の場でもあると思ったからこんなコピーにした。
私はそれまで、公立よりお金がかかっているにもかかわらずそれに見合う価値を見いだせてなくて高校のことがあまり好きじゃなかった。
でもそのコピーを作るために同志社高校のことを改めて知っていく中で、ここで学べてることは幸せなことなのだと気付けた。

広告が先生にほめられたことや、自分が伝えたかったメッセージが友達に伝わったことがうれしかったし、何より広告を作っていく中で、たくさん相手のことを知り、相手のことが好きになれるってことに気づけたことがうれしかった。


それに、ずっと聞き書きや共存の森のことを上手く説明できず、友達に興味を持ってもらえないことにもどかしさを感じていたから、伝え方を学ぶためにも広告という手段を勉強することはきっと意味があると思えたので、大学に入学後、広告研究会に入った。


最初は、営業をしていた。
その中で忘れられないエピソードがある。
ある企業に営業に行っていたとき、すごく順調に話が進んでいたのに、最後の最後でビビッてしまい確実に出せそうな利益率を言っちゃって「これじゃお金出せへん!」って言われてしまった。そのときに相手の社長さんから、「これから営業をやってくときは、200パーセント頑張ったら出せる数値を言いなさい。それで200パーセント頑張ったらいいんやから。」と言われた。その言葉に奮起させられ、その後電話をかけまくった結果、土壇場で協賛獲得に成功したこともあった。


そして秋の役職決めの時、誰も希望者が出ず「誰かが務めないと部の活動が出来なくなる」ことに責任を感じて、他の活動でもすごく忙しい中副会長を引き受けてしまった。
プレッシャーだけがひどくて、冬休みは広研の会議以外はほとんど部屋から出れず、友達とも音信不通状態だった。
あのときは今では信じられないくらい、どん底まで沈んでた。「何のために今何をしてんねやろ・・・?」そう答えの出ない問いを繰り返す日々が3か月くらい続いた。


抜け出すきっかけになったのは、同期と開いた飲み会。
みんなが頑張ってくれてるにも関わらず、みんなのことを信頼し切れてなくて全力で広研に向き合えていなかったこと、いいパフォーマンスが出せてないこと、叱ってくれることに対して感謝するだけの余裕が無いことなどを申し訳ないと思ってたんだけど、その飲み会ですべての感情が溢れてひたすら泣きながらめっちゃ謝った。
「すずに最終的にやらせることになってしまって、みんなで支えるからって言ったのに、支えきれなくていっぱいいっぱいにさせてしまってほんまごめん。」
同期にそう言われて、みんながそういう風に思ってくれてることに気付けなかった自分が恥ずかしかったし、一方では感動して、「この人たちを私は本間に大事にせなあかん。今までの3か月は自分のことだけでいっぱいいっぱいになったけど、これからはみんなのために悩んでみんなのために動こう」って決めた。


それからは、みんなが「リーダーにとって何が大事か」とか「何をやってもらったら嬉しいか」っていうのがわかったらチームとして学年がよくなる、と思ったから、普段あまり前に出ない子にもリーダーを経験してもらった。
そうやって試行錯誤していくうちにまとまりや信頼関係が生まれてきた。
あのとき今西さんがおっしゃってた「信頼」をすることが、いかに難しくて、でもすごく大切なんだってことを実感した。


そして2回生の12月の代替わりの時期。
メンバーから、私を会長へ推薦する書面がたくさん届いて、最初の3行くらいでボロ泣き(笑)。
自分が会長をするだなんて思ってもいなかったけど、これだけ推薦されて「やりません」って言える理由は無いな、と思い、会長を引き受けることに決めた。


今までの会長は、しっかり組織の中に根付いて広研を守ってきたタイプの人が多かった。けれど、飽き性で興味の幅が広い私にはたぶんそれはできひんから、そこは同期や後輩に協力してもらって、その代わり今までの会長があまりやってこなかった他の団体との繋がりづくりや、広研の人みんなが色んなことに目を向けるきっかけづくりを行い、でもそんな中ひとつの組織としてまとまっていくにはどうしていけばいいのかを考えるリーダーであろう、って思った。


リーダーを務める上で、大事にしてるのは「聴く」こと。
相手の意見や事情を聴いて、相手の状況を理解してから自分の思うことを言うようにしてる。
あとは、みんなの長所をうまく組み合わせて自分に足りないところを皆で補い合って最大化を図るチームがベストだと思ってるから、そのために人と人を繋げたりしてる。


「共存の森」の事務局長の方が以前に「リーダーが思い描いてる以上のことはチームで起こらない。だから、リーダーは『もっとこうしたい!』っていう理想を求め続けなあかんのよ。」って言ってたことに衝撃を受けたし、「リーダーが自分のチームを一番見て、一番考えている人だから、その人が高みを目指さないとそのチームは良くならない」っていう考え方はすごく理解できる。
けど、私はそれに加えて、「人が集まって皆が頑張れば頑張るほど、私の予想って超えられていく」って思ってる。具体的な部分は必ず期待以上になるし、それで幸せにしてもらった経験が多々ある。
人に対する思いや気遣いがすごいメンバーばかりで、すごくすごく助けられています。


あと2か月で会長を引退。
後輩の成長や組織の今後について考えながら、任期を全うしようと思う。



◆学生ヨル会議


学生ヨル会議は2012年1月に放送された「ニッポンのジレンマ」を見た共同発起人の山川さんと吉澤さんの二人から始まったプロジェクトで、「日本の未来を共に考えるコミュニティをつくる」をミッションとし、 「世代間格差を世代間協力へ」を目的として、学生、社会人問わず様々な視聴者に対して "考える"機会を、オンライン番組の放送を通して提供している。


もともとtwitterで山川さんのことは知っていて、考え方に共感していた。

そんなときたまたま友達のイベントに山川さんが来られると知って参加し、そのイベントの最後に皆の前で発表した私の夢に山川さんが共感し声を掛けてくれて、そこからヨル会議に参加するようになった。


毎週火曜にMT を行い、毎月チャンネル(例えば10月なら「医療ch」、11月なら「ブックch」など)を決めてUstream放送をつくっている。
ヨル会議には、「夜」と「寄る」の意があり興味がある人が誰でも気軽に参加できる場所。年も学校もバラバラの人が集まれば、そこはもうすでにヨル会議。

ここでは、インタビュアーを務めたり、ときにはコアメンバーの相談に乗ったりしている。


HPはコチラ から。
Facebookページはコチラ から。


◆魔法にかかったロバ(まほロバ)


『魔法にかかったロバ』は京都市上京区にある、昼・夜・そして毎日店長が変わる日替わり店長をテーマにしたお店で、カフェとして、バーとして、時にはイベント会場として機能する、さまざまな可能性を通して、さまざまな人が表現するためのお店。


去年の9月、広研の先輩に「すずは、やりたいことを我慢してるように見える。広研で、みんなのことを考えよう・みんなの意見を尊重しようっていう姿はすごく伝わってくるけど、ほんまにすず自身がやりたいことやってる?」と自分でも自覚していなかったことを指摘されて衝撃を受けたまま電車に乗った時、現まほロバの代表に出会い、もともと知り合いだったので話していたらまほロバの計画について教えてもらって、「若者と社会を繋ぎたい」というコンセプトに共感しメンバーになった。
まほロバは「重なり」が生まれる場所だと思う。


ここでは、内装の色決めをしたり、スタンプカードを作成したり、チラシの作成やtwitter・Facebookページの更新を担当している。


HPはコチラ から。
Facebookページはコチラ から。


◆MIRAI EXPO


2012年12月2日に、京都造形芸術大学にて、【100年後、どうなるといいだろう。】をテーマに、ファッションショーや講演会、各種展示などを行う"MIRAI EXPO 2012 in Kyoto"というイベントを開催するために活動している。


「新しい価値観をつくる」ことは自分のやりたいことの1つだった。

そんな中、友達づたいでミラスポ代表のとっぽさんに出逢い、意気投合して、メンバーに。

「持続可能な社会」を創るために、私が一番大切だと思うのは、「もっと」を我慢すること。
農薬だって、最初は寝る間を惜しんで仕事と子育てをしていたため長生きができなかった農家の女の人の体を楽にするために生まれたものだった。そのとき使ってたくらいの量ならどうもなかったけど、そこで「もっと楽したい」って思ってある一定の限度を超えた量を使うことになってしまったから問題になった。
農薬に限らず、今起こってる色んな問題は「もっと楽したい」という気持ちから生じたものなんじゃないかと思ってる。


「もっと」を我慢することはしんどいことかもしれないけど、自分より頑張ってる人を知ればきっと頑張れる。だから、そんな機会を若者から発信していこうと思った。

環境問題に興味・関心がある方や、スケジュールが空いている方はぜひイベントにお越しください!


HPはコチラ から。

Facebookページはコチラ から。



振り返ってみれば、団体や活動にかかわるきっかけでは、絶対「代表と一緒にやりたいかどうか」を大事にしてきた。みんな全然タイプは違うけど、共通してるのはメンバーのことをほんまに親身になって大事にしてるとこ。



3、好きな言葉


・「す・き・だー!」
大学1年の春に鴨川で「青春ぽいことしようや!」ってなって「好きだー」って叫んだらなんかうれしくなったから、とりあえずtwitterのアカウント名にして以来、大好きな言葉。

私は、「す・き・だー!」が一番の広告だと思ってる。
人に好きになってもらうには、まずは自分が好きになることから。だから、みんなが「私は~が好き」って言ってる状態が本当の広告だと思う。

今はすごいお金を使って大きい広告を打ってるけど、それには疑問を持ってる。
1つの広告で幸せになる人はいて当たり前やし、その人はそれでいいけど、広告でみんなの行動を統一化することには反対。

それよりは、「好きなものを好き」って言って、それに共感してくれる人が1人でもいることとか、「あの人が好きって言ってるから好きになった」みたいなのが本当の広告じゃないのかな、と思う。

私も、自分がいいなと思ったことはtwitterで発信するようにしてる。


・「素敵」

人として大切なことをたくさん教えてくれた小4のときの担任の先生が「『素敵な人』って言ってもらえるような、自分で自分のことを素敵って思えるような人になりたい」って言ってて以来、「素敵」は私にとっての一番の褒め言葉。
あと、これはめっちゃ後付けだけど、「す・き・だー!」に「て」をいれると「す・て・き・だー!」になるでしょ。だから今自分が好きなことをみんなに伝えることで、いつかそんな自分のことをいいなあと言ってくれる人が増えてったら、多分その時に素敵な人になれてるんじゃないかなと思ってる。



4、自分を漢字一文字で表すとすると?


・「感」
塩野さんいわく、私の頭の中はすべて感情で出来てるらしい。笑
すごく記憶力がよくて、過去のありとあらゆる情景や感情をほぼ昨日のことのように覚えてる。

あとは、直感をめっちゃ大事にしてるから。
みんなは「直感が当たる」って言うけど、あたしは、「直感を当てにいく」感じ。



5、人生のターニングポイント(先述のもの以外で)


①保育園時にされた特別扱いへの違和感


母方の実家が保育園で、私は園長先生の初孫だったから、先生に特別扱いされたり、発表会でいい役割が回ってきたりしてた。幼いながらに、全部自分の実力で勝ち取ったものではないことにも気付いていて、「もっとがんばらなあかん」って思ってた。
同じころにモダンバレエを習ってて、発表会で初めてセンターをもらったときに「これは自分で頑張ってもらったもの」という感覚を初めて抱いたのも覚えてる。


②「皆が楽しんでいる状態」の大切さを実感した中学時代


中2、中3の学祭で脚本をやってんけど、そんときにクラスがまとまらなかった。それまでは自分がどうしたいかにこだわって一人よがりになりがちだったけれど、そこで「みんなが楽しいと思えることが結果的にいいものになる」という考え方にシフトした。
そこから徐々に負けず嫌いの性格が薄れ、「勝ち負け」よりも皆が楽しめているかどうかをまず考えるようになった。



6、モチベーション


「わくわくするかどうか」と「出逢い」。
「わくわく」は、「少しの遊び心と楽しくてもっとよくなるしかけ」によって生まれると思ってる。
例えば、まほロバのスタンプカード「魔法にかかった絵本」は、店長1人につき1個ハンコを持ってて、5種類のハンコがたまったら500円引きするというシステムにしている。こういうシステムにしたのは、知り合いが店長をやってるお店以外にも、お客さんに足を運んでもらいたいと思ったから。
これには、「少しの遊び心と楽しくてもっとよくなるしかけ」を込めている



7、好きなエンタメ


○本
・江國香織さんの本
彼女の本のタイトルにある「思いわずらうことなく、愉しく生きよ」という言葉が好き。
・「風の旅」/星野富弘



○映画
・「魔女の宅急便」
最初からボロボロ泣く。キキに自分を投影して見てるんやと思う。


○音楽
・aiko
・ハンサムケンヤ
まほろばの代表が元々所属してたバンドでボーカルを務めてた人。
今超イチオシのアーティストさん。

よかったらPV(「この街の歩き方」) を見てみてください♪



8、尊敬する人/憧れの人



「尊敬」は、「この人のここが尊敬できる」「あたしにはないとこやから見習いたいな」って思える部分に対して抱く感情。
「憧れ」は、会ったことは無くてよく知らないけど素敵だなあと思う人に対して抱くもの。だから、相手のことを知れば知るほど尊敬に変わってくし、憧れの人が尊敬に変わってきたのが私の大学生活。
今の憧れの人は、アートディレクターの森本千絵さんとこの前個展に行って好きになった大宮エリーさん。



9、未来のこと


○残りの学生生活
会長を終えるまでは広研が最優先。
それが終わったあと、広研のことも大学生活の一部分っていう風に捉えられるようになったときに、何かを自分で創ってみようと思う。

たくさんの人にお世話になって、その人たちがいなければ得られなかったことや感じられなかったことでいっぱいの大学生活。
だから、感謝を伝えるというとあつかましいけど、感謝を込めて何かしたいなと思ってる。
まだどんな形で何をしていくのかについてはピンときてないからこれから考えていきたい。


○人生でやりたいこと
幸せな家庭を築くこと
一番大事な夢。
これが果たされば、付随して多くの夢は叶っていく気がしてる。


進路に関しては、チームで何かをするのが好きだからひとりでやる、という選択肢は無いけれど、自分がどんな進路を選ぶのか想像できひんくて楽しみ。


自分が「いいなあ」って思う場所や空間や人間関係を、自分と相手が同じくらいがんばって創り上げていけるのが一番の理想やなーってずっと思ってたけど、振り返ってみると「私、その理想実現できてるやん!」って思ったり。周りの人には本当に恵まれてます。


「ありがとう」ってめっちゃ言えた人生なら、幸せなんじゃないかなあ。




1mm happiness


【About you】#069 稲本朱珠
Facebook:Suzu Inamoto

Twitter:@su_ki_daaa



■my note■


すずちゃんのことを知ったのは、時期は忘れたけれど、一度すずちゃんが私のツイートをお気に入り登録してくれたとき。
「嬉しいなあ」と思いつつ、すずちゃんのツイートを見に行くと、言葉選びや感性にビビビビビ!!と直感がはたらきまくり、人としてすごく興味が湧いて、そのときからずっと会いたかった人のひとりだった。
そんなある日偶然じゅき とすずちゃんがtwitterでやり取りしているのを見つけてじゅきに聞いてみたところ、「高校のときすごく仲良かったよー!」なんて言うもんだから、今回じゅきにも協力してもらって3人でお泊り&朝までインタビュー@じゅきのおうち、が実現した。


自身もインタビューをしているだけあって、インタビュアーがどんなことを求めているのかがわかるから、先回りして「そこ聞きたかったんだよー!」ということを答えてくれたすずちゃん。
「才能」と呼んでもいいほどの記憶力から、細部まで鮮明にさらさらと流れ出る言葉。
その垣間に、感情がすごく滲み出る。
嬉しかったこと・辛かったこと・すっごく大事なこと、、、まるですべての感情があのときのまますずちゃんの中に保存されてるかのように、聴いてても全身から伝わってくる。
また、すずちゃんのお話には、相手への思いやり、周りの人への感謝、そして本人は意識していないと思うけれど、過去の自分と積もる思い出への感謝が込もっているように感じた。


約4時間にも及んだすずちゃんのインタビュー。
文字に起こすと10000字近くになった。まるで卒論。笑
そこから少しだけ唇を噛みながら削ったんだけど。
それでもやっぱり、少しでもそのまま、素のままのすずちゃんを届けたかったから、今回かなりのロングインタビューという形でまとめさせてもらった。
これは、私のわがまま。私が、伝えたかったから。


感性のままに、泣き、笑ふ。
そして「届け!」「伝われ!」という精一杯の願いを込めてすずちゃんは今日も「す・き・だー!」を叫ぶ。



すずちゃん、これからもよろしくね!
繋いでくれたじゅき、どうもありがとう!