1mm happiness



■basic data■


名前:松本雄一(まつもとゆういち)
生年月日:1973年3月18日 39歳
役職:関西学院大学商学部教授




■questions■



1、 仕事について


大学の先生の仕事は主に3つある。それは、研究、教育、行政。


① 研究


研究分野は、人材育成・技能形成。


大学のときに演劇部に入ってた。演劇は、うまくなるための秘訣なんてどこにも書かれてなくて、「うまくできた!」という指標になるものも感覚しかない。だから、「みんなが『うまい!』って言ってくれるようにセリフに感情を込めて言えるようになれるまでがんばろう」とかっていうあいまいなものが目標になってしまう。こんな手ごたえを掴みにくい演劇をやってく中で、「こうやったらうまくなる」という秘訣みたいなものを伝えられる演出になれたらなあと思ったのも、今思えば研究分野に興味を持ったきっかけ。

ただ、僕の場合教授になった理由は「先生になりたかったから」。

ふつうは、研究を極めたい人が教授になるんだけどね。笑

もともとは高校の先生になりたかったんだけど、親に反対され自分ものんびりしてたら教員免許取得のための単位を取るのが間に合わなくなりあきらめた。けれど、「大学の先生にならなれるかも」と思い、親に言ったところ、親も「大学教授なら~」と賛成してくれて、完全に誤った形で教授になりました。笑


こんなんだから大学院に進むとなって研究分野を決めるとき、これと言ってやりたいこともなかったので先生に相談しに行ったところ、「昔から誰かにやってほしかったけど誰もやってくれなかったテーマが2つあるからどっちかを選んでやれ」と言われた。そのとき提示されたのは、片方が「緊急時の情報処理」、そしてもうひとつが「技能形成」についてだった。両方の分野の本を渡されて読んでみたところ後者の方が面白かったのでそっちを選び、今に通じている。


② 教育

元から先生になりたかった僕は、授業の時間が一番好き。
今は1年生の商学演習のクラス、3・4年生のゼミ、そしてこの秋学期は現代経営組織の授業を持っていて、組織学習やキャリアデザインについて教えている。

授業の時に意識していることは、内容をちゃんと伝えること。演劇の場合、いくら伝えたつもりでもセリフが客に伝わらないと何にもならない。それと同じで、知識はただ教科書やレジュメを読むだけでは伝わらないと思ってる。
マイクを使ってしゃべったんじゃ伝わった気がまったくしないから、ずっと地声を張り上げて授業をしている。しんどくなるまでは今のスタイルでやっていく。


③ 行政


みんながやりたがらない、めんどくさい大学の事務のお仕事です。




2、 学生時代のこと


○大学時代

大学時代は演劇部に所属していて、そこでは役者もスタッフも全部やった。
一番印象に残っている芝居は、有志を集めて外部で劇団を作ってやった「観客を死ぬほど笑わせる」ことを目的にしたお芝居。
授業はちゃんと受けてたはずなんだけど、どうも記憶が薄れて思い出せない。


○大学院時代
大学院進学にあたって、学部の指導教官に「ちゃんとした先生につかなあかん!」と後の師匠を紹介された。その点に関してだけは感謝してる。
周りが「めっちゃ簡単やった♪」と言う中、自分だけすごく難しく感じて絶望した大学院入試になぜか合格し、神戸大学の大学院に進学。


不純な動機で大学院に来たため、周りがガリガリ研究してる中で僕は「研究の仕方わからん。というか研究って何?」という状態。研究分野は決まってたからもうやるしかないと思い、毎日ずっと本と論文ばっかり読んでた。心理学の本も読んでたから、その本を借りに行くために、空っぽにした大きなリュックを背負って山を下り(神大は学部ごとのキャンパスが結構離れているうえに坂道)、辞書みたいな本を10冊くらい詰めこんだリュックを背負ってまた山を登るという二宮金次郎みたいなことをしていた。


博士課程のときは、「いい論文が書けぬなら、たくさん書け」といわんばかりに数をこなした。

「自分の研究はファッション・デザイナーを研究対象にするのがいいだろう」と思い、「ファッション・デザイナーの~」「デザイン専門学校の~」みたいな論文ばかり書いてたら「それ、ぶっちゃけ経営学じゃないんじゃない?」「こいつ、本当にちゃんと研究してるのか?」と思われ、就活でかなり苦労する羽目に。
おまけに研究室で僕だけが進路が決まっていなかった博士課程3年最後のクリスマス・イヴに当時付き合ってた彼女と別れる。就職が決まらず、ゆえに学位も取れず(取ると即卒業しなきゃいけなくなるから)、さらに彼女と別れ、このときすべてを失う。1999年にノストラダムスの恐怖の大予言みたいなのがあったけど、この年は僕の“パーソナル恐怖の大王”が降りてきた年。


そうして、就職浪人をすることに。先が見えなくて、研究室で独りぼっちで、本当にしんどくて「死んだろかなー」って思ったこともあった。こういうときって、「死にたい!」という意志なんてもんじゃなく、自分の内なる声が「お前は生きてて恥ずかしくないのか!?」って言ってくるから死の願望が生まれるんだよね。でも幸か不幸か僕に死ぬ勇気は無かったから、引き続き就活を続けたりしていた。
某大学に情報処理のバイトに行ってたんだけど、「進路決まらないんでもう一年やらせてください」と頼んでしょんぼり帰ってるときに、北九州市立大学から「面接をさせていただきたい」という旨の電話が。ペコペコと頭を下げ、無事合格を頂けた。「やったー」というより、「これで戦争は終わったのか、、、!?」という気持ちだった。


6年間そこで働き、環境に満足していたもの、「研究仲間がほしいなあ」という気持ちもあったので、関学に応募。かなり圧迫気味な面接にしょんぼりしたものの、無事関学の教授に。

北九大を出るとき、ゼミ生を残していかなければいけなかった。ふつうは別の先生に預けるんだけど、僕はそれが嫌だったから「お金なんていらないからゼミをやらせて」といい、2年間は毎週福岡に通い続けた。



3、 モットー/好きな言葉


・「見る前に跳べ」
大江健三郎の小説のタイトルであるこの言葉。
「あれこれ考えずに行動せよ」という意味と、「跳んでしまったらもう戻れない」という意味があるらしい。



4、 自分の性格


・やさぐれている。
「やさぐれ」とは、アクティブに落ち込んでいる状態。「問題解決してないけどとりあえず前に進むしかない」みたいな状態。
・未熟
いつも「なんで自分はこんなにダメなんやろう」と思ってる。
・二度手間とぬか喜びの天才



5.人生のターニングポイント


① 高校で生徒会に入ったこと
イベントのたびに高校のお金をちょびっともらって
自由に好きなことをやれてたからすごく楽しかった。3年生を送る会で寸劇をしてウケたため、イベントのたびに必要のないOPやEDを作ったり、メンバーそれぞれの得意なことを活かしておもしろいことをしてた。大学で演劇部に入ったのもこのときやった寸劇が楽しかったからだし(のちに演劇と寸劇は違うことを知る)。


② 演劇部に入ったこと
今の自分を構成しているものの大部分はここで作られたから。


③ ゼミ生に出会えたこと
ゼミ生は、相方の次に大事な宝物のような存在。好きでしょうがない。
必ず一世代に一個学ぶことがあるから、そういう意味では毎年ターニングポイントをくれてる存在。



5、 恋愛と結婚生活について


初めて付き合ったのは大学一年生の時で、相手は演劇部の同期。9年間付き合ってそのうち5年は遠距離恋愛。毎日電話をしたり手紙の交換をしたりして繋いでいたけれど、お互いに愛するパワーが無くなって悲しい別れを迎えることに。9年も付き合ってたわけだから結構引きずった。


今の奥さんに知り合ったのは29歳のとき。実は、彼女は演劇部の1個上の先輩で、当時途中で「自分のやりたい演劇はここではできない。」と言い残し去って行った人だった。
ネットを通じて久しぶりに知り合い、会うことに。付き合って二週間で結婚しようと決め、1年後に結婚。
「付き合ってる年数なんて関係ない。大事なのはタイミング。そして決断できるかどうかなんだ」って知った。


彼女と出会う前、「こんな年になって自分が人に条件を求めるなんておこがましい。ただ、結婚するなら、一緒にいて人生がおもしろくなりそうな人としたいな」と思っていたのと、相方も「もう三十路だし、この機会を逃したらあかん!」と思ったのが合致したみたい。親に紹介したら、お互いの実家も近いから大喜び。「最初に確認しておきたいんですが、ホンマにこれでいいんですか?」って僕の親は相方に問いただすし。ひどい話や。


結婚生活がうまくいくかどうかは、意思決定の問題じゃない。もしそれがすべてなら、離婚する人なんていないはず。結婚はあくまでスタートライン。あとは、お互いにいかに気遣いながら暮らしていけるか。それが大事なんやと思う。


スポーツに興味なんて無かった相方は、僕の教育によって立派な野球好きになった。
この前、研究室でいたら相方から電話がきたからどうしたのかと思ったら、「今から金本の引退会見あるみたいやで!」って。笑
二人でよく遠くまで歩きに行ったり、お寺を巡ったり、球場に足を運んだりしてる。
結婚して今年で10年目だけど、10年間毎日、明らかに「昨日より好き」って気持ちが増してる。毎日「可愛い」って言うてるし。相方と一緒に食べるごはんが一番おいしいし、相方と一緒なら何をしてても楽しい。



6、 好きなエンタメ


○スポーツ


特に好きなのは、フットボール、野球、相撲、フィギュアスケート。
すべてのスポーツを愛せる能力を持ってるし、少し観戦してたらすぐにそのスポーツのルールや見どころがわかる。この能力は特にオリンピックで発揮される。
スポーツの醍醐味は、「そこまでに積み上げてきた技術と本番のパフォーマンスの両方が揃わないと結果が出ないところ」。


○本・作家


・大江健三郎
「俺たちはどう生きなきゃいけないんだ」みたいなことを小説で表現した人。
純文学としての技術が最高峰。
・筒井康隆
「文学部唯野教授」はマイバイブル。
・高村 薫
彼は、小説家というより小説を書く研究者。
「どこまで取材したらこんなん書けるん」と思う。
取材力に脱帽。


○音楽


大学院時代から音楽(特にROCK)は大好きでなんでも聴くけど、一番圧倒的に好きなのはミスチル。「世の中こんなにしんどいし大変だけど、それでも希望を持って生きていかないといけないんだ」というテーマが明確にあることが魅力。一番好きなのは「箒星」。



7、 尊敬する人/憧れの人


○尊敬する人
・加護野忠男先生
大学院時代ゼミの指導教官だった僕の師匠。
能力、研究に対する姿勢ともに周りのみんなから尊敬されている人。
そして、こんな僕を大学の教員にしてくれたすごい人。
・ゼミ生


○憧れの人
・スポーツ選手
・小説家
・アーティスト

僕の中で「憧れの人」の定義は、自分の好きなことですごいことをやってる人たち。



8、「いいキャリアデザイン」とは?


キャリアの目標があってもなくてもいい。大事なのは、目標があるかどうかに関係なく自分を高め続けること。そしてそのために、日々充実感を感じること。
充実感は、「人に何かをもらってもたらされる充実感」と「内発的な充実感」があるけれど、与えられるのを待つんじゃなくて、自ら達成感なんかを感じられるようになんでもいいからがんばればいい。そしたら後々繫がってくるから。

僕もキャリアの研究とかやっててなんだけど、先を見て生きてないし。



9、 理想の人生


今言えることは、大学の教員を辞めず、相方と離婚せずに人生が送れたら、人生を終えるときに「ようやったな」って言えるんちゃうかなってことかな。



【About you】♯058 松本雄一

HP→「Laboratory 2-202 松本雄一研究室」



■my note■


大学1回生の秋。
授業のペースや大学生活にもだいぶ慣れた頃。
ちょうど私がモヤモヤしていた時期なんだけど、毎日のように学校に行って授業に出席し、それが終わったら演劇サークルの練習に向かう日々を繰り返していた。


大学の講義は、高校生の頃の私が想像していたものとはまるで違った。
やる気のない教授、うるさい学生、面白くない授業ばかり。ただ単位を取るためだけに、空いた時間潰しのためだけにそこに座ってるようなものだった。
いつのまにか自分もその状況に呆れ、諦め、そしてその中の一員と化していた。


そんな時期に受けた経営学基礎の講義で、私は松本先生のことを知った。
一回目の講義から圧倒された。
大講義室中に響き渡るでっかい地声、一人芝居やたとえ話を多用しての授業、なんといっても熱血。そしてそれなのにやさぐれている。笑
とにかく、いい意味で大学教授のイメージを裏切られた。


その1年後、ゼミを決める際に私は松本先生のゼミに行く気しかなかった。
先生の研究分野が自分の興味と合致したのと、先生のもとで学べばきっと楽しいと思ったから。
うちの大学にはゼミ活ってのがあり、しかも松本先生のゼミは毎年定員の7倍くらいの人が応募する人気ゼミなんだけど、もう落ちたらゼミなんか入らんくていいわーって思ってた。


面接に行ってあれやこれやを話した後、「一緒に頑張ろう!」と握手を求められ、無事松本ゼミの一員になれた。
その面接の最後に、「なんで先生はあんなに一生懸命講義をしてるんですか?」と聞いたら、「お前みたいな奴がおるからや。」って言われた。
あの言葉は今でもよく覚えている。


ゼミ生のことが大好きで、ゼミ行事では誰よりも張り切る先生。
去年の合同ゼミの論文提出締切前日には、夜中まで研究室を開けてくれて一緒に徹夜してくれた先生。
そして先月のゼミ旅行での飲み会では、ゲームに負けた際に一滴も飲めない(飲みたくないはずの)お酒をぐいっと飲んで私たちを盛り上げてくれた先生。


先生のおかげで、自由人ぞろいの私たちがいい感じにまとまってるんやと思う。
そろそろ卒論に向けて重い腰を上げなきゃいけないし、またあの居心地の良い研究室に行こう。
先生、あと半年も変わらずよろしくお願いします^^