夜叉の涙は雪を降らし
修羅の涙は銀世界に沈むだろう

~夜叉 第壱章 『変状』~




江戸の道も暗いが、京の道も暗い。
そんな京の夜道を、二人の男女が歩いていた。

「辺りが暗いと思うのは、俺の気のせいか?」

「ごめんなさい。だって京にも珍しいものが沢山あるんだもの」

「お前なァ、江戸に来た時もそうじゃなかったか?」

男がそう言って溜息を吐けば、女は肩をすぼめた。

「しかも新しい簪を買わなかったしよォ」

「いいのよ、兄上。あたしはこれが気に入っているの」

そう言って女は、頭にある桃色の簪に触れた。
大分古い感じはするが、月が出ていれば綺麗に輝くに違いない。

「良かったやないの、龍影。琴音に大切にしてもろうて」

けらけらと笑いながらそう言ったのは、先刻まで姿のなかった狐火だ。


何故この三人が京にいるのか。簡単に言ってしまえば、修羅は江戸で有名過ぎたからだ。
万が一何かあった時、琴音が危ない。
そう思った龍影は、江戸から遠い京に住むことに決めたのだ。


「女は買い物が長くて嫌に……?」

龍影は突如言葉を放り投げ、鋭い目付きで周囲を見回した。


「兄上?」

「黙ってろ。誰かいるな……」

龍影は琴音を庇うように立ち、愛刀を抜いた。

「邪鬼の気配や。しかも相当強い怨みやで」

狐火は顔を思い切り歪めた。
元人斬りである龍影にとって、大抵の人間は弱い部類に入るが、邪鬼の妖刀なら話は別だ。
しかも、己には琴音がいる。

龍影は更に視線を鋭くさせる。其の時、一瞬きらりと光るものを捉えた。
其れが何かを瞬時に理解した龍影は、琴音を抱えて後ろへ跳ぶ。

「え?何?どうしたの?」

混乱している琴音をそっと放すと、修羅の目で先刻まで立っていた場所を睨み付ける。
はっきりと見えるわけではないが、其処には刀を持った人間がいた。
避けなければ、確実に鮮血が地面を染めていただろう。

「良い刀を持っているじゃねェか。何者だ……っ!?」

龍影は、はっとして口を噤んだ。
鬼に見付かった月によって浮かぶ其の姿に、見覚えがあったからだ。

鬼面をつけた巫女姿の女。其れは正しく、


――人斬り夜叉だった!!


「何で手前が邪鬼の妖刀なんざ持っていやがる!!」

声を荒げる龍影だが、夜叉は返事をする所か再び斬り掛ってきた。


「兄上!!」

「下がってろ!!」

龍影は夜叉の刀を受け止め、琴音に鋭く言葉を投げ付ける。

「…っ……」

苦しそうな表情で、龍影は刀を押し返し、後ろへと後退して離れる。
刀を握り直し、今度は龍影から攻撃をしかける。
しかし夜叉は其れを避けると、鋭く刀を突き出してきた。
真っ直ぐに心臓に向かっていることに驚き、龍影は慌てて距離を取る。
もう少し遅かったら、串刺しになっていただろう。

少し乱れた息を整えて、再び斬り掛る。
又しても夜叉に避けられてしまったが、龍影とて馬鹿ではない。
反撃してきた夜叉の刀を弾いて、素早く一文字に刃を振るった。
先刻の龍影のように、夜叉も後ろに跳ぶ。其れを見た龍影は、悔しそうに顔を歪めた。

「浅かったか……」

龍影は思わず舌打ちした。刃は巫女服を少し切っただけだったのだ。

この儘では、決着がつかないと思った龍影は、次で終わらそうと刀を構え直す。
しかし、夜叉は両手をだらりと垂らし、構える様子がない。

「……夜叉?」

龍影が不思議に思って呼び掛けた刹那、夜叉は逃げるようにして走り去った。

「待て!!夜叉!!」

驚いて声を上げるが、夜叉が姿を現すことはなかった。

此の時龍影は、己の道に小さくて大きい石が投ぜられたのを感じた。


――もーいいかい?――

――もーいいよ――


三人を見下ろしていた月は、けらけらと笑って雲の中に隠れた。

――隠れた鬼を見付けるまで、此の隠れん坊は終わらない。