~羅刹 第参章 『足踏み』~
「暁だねえ」
明烏が頭上を飛ぶ中、呟かれた言葉を、悠助は思わず叩き落としたい衝動にかられた。
江戸に逆戻りした挙句、行く先を告げられていないことは、悠助の体に重く伸し掛かっていたのだ。
勒七は尽くはぐらかす……。
「もう少しだよ」
何時の間にか裏道に入っていた。
はっきり言って不気味である。
枯木に烏だけならば未だ良いのだが、明らかに堅気の人間ではない者がうろうろしているのだ。
桜は刀に逃げ込んでいた。
悠助が顔を顰めていることに気付いた勒七は、苦笑いして口を開いた。
「珍奇な事じゃあないだろう。そんな顔をしないでおくれ。面倒事は御免だからねえ」
此処に連れてきたのはお前じゃないかという言葉は、流石に外に飛び出すことはなかった。
「此処だよ」
そう言いながら戸を開ける勒七。
烏が妙に飛んでいることは、常なのだろうか……。
「おやおや、随分かわゆらしい子を連れているじゃあないのさ」
声のした方へ目を遣れば、一人の女が居た。
黒髪を結い上げており、右目を包帯で覆っている。
煙管片手の艶姿。
何とも艶っぽい声音に、悠助の頬に赤みがさすが、時をおかずに顰めっ面になったことは、言うまでも無い。
何せ、幼子ではない上に、女子でもないのだ。
“かわゆらしい子”と言われても、嬉しいわけがない。
「揶揄(やゆ)するのは止めておくれよ」
呆れたように言う勒七に対して、女は楽しそうに笑う。
「良いじゃあないか。こんなに面白い客は久方振りなのだから」
その時、“桜姫”がかたりと音をたてた。
「相変わらずだねえ、闇鴉(やみがらす)は」
「勒七こそ相も変わらず」
勒七の口角がひくりと動いた。
「闇鴉……?」
悠助の呟きが聞こえたのだろう。
女、元へ闇鴉は、勒七を視界から外した。
「あっちの名さ。尤も実名じゃあないけどねえ。それと、坊やの名は知っているから、言う必要はないよ」
紫煙を燻らかして言う闇鴉に、眉を上げる悠助。
何とも空気が悪い。
何故だか烏の鳴き声が
妙に騒がしく感じた。
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