いつだって、僕らは数え切れないほどの「出来事」に取り囲まれている。

その一つ一つに気を取られてみたり。

何時の間にやら呑み込まれてみたり。

中から一つとりだして戯れてみたり。

毎日、半ば無意識にそうやって生きている。


けれど僕は恐れているから。

或る「出来事」だけに全身の細胞を向かわせてしまって他のことが目に入らなくなることを、

恐れているから。

極端に視野が狭くなってしまっているのに「ちゃんと見えてる」という錯覚に陥ることを、

恐れているから。


だから、出来る限り、「日常」に心を囚われることのないように

淡々と日々を過ごそうとしている。


実際に僕は比較的無感動な人間で。




アヤはいつだって無機質だ。




どこに行っても、誰かしらから、こんな感想を戴く。


以前から付き合いはあったものの最近になって初めてまともに話せるようになった人は、




ちゃんと生きてるんだね。




と驚いていた。

(何も、本人を目の前にして言わなくてもいいと思うんだ。)



まあ、そんなわけで。

たまに鬱期が到来したりもするけれど、

それはこうして吐き出せる場所があるからそうしているだけで。

無かったら無かったで、

改めて自分の中にあるモノを見つめ直すこともなく、

ただ何となく受け入れて生きていくのだろう、と思う。今までがそうだったように。



こんな話をすると、一般的にひどく気の毒がられる…というか、

「そういうのは辛くない?」

と言われたりするのだけれど、

本当に、無意識にやっていることで、

それを改めて表現するとこうなるだけで。

だから、その「作業」に何かを感じることは全くない。


そうやって、

出来る限り、「日常」に心を囚われることのないように

淡々と日々を過ごそうとしているはずなんだけど。


でもやっぱり、そうもいかないわけで。


何時だったか、ジョン君が言っていた。




一人でいるのが好き。

一人でいるのが楽。

でも、一人では生きられない。

だって、この世に生を授かるその瞬間から、

誰とも関わらずにいたことなんて、

一瞬たりともないのだから。









ああ。意外と脆く出来ているものだなあ。