先週の水曜日だろうか。
少し熱が出て体が痛い。
風邪の熱からくる関節痛かと思い、仕事を休んだ。

次の日から熱が下がったのはいいけれど、目が覚めると背中が痛い。
どいうわけか毎日目が覚めると背中が痛む。
歩くのもつらいほど。

ところが1時間もすると、自然に痛みを感じなくなる。
ただし、この症状が消えない。
こんな経験はなかった。

土曜日に、いつもの循環器のクリニックに診察へ行った。

先生から、「痛みは筋肉痛のようなものならば、時間がたつと消えるということはないでしょう」

わたしの血液等検査結果を見つめていた。

「動脈硬化からくるものかもしれませんね。
不整脈、心肥大、高血圧、無呼吸症候群 これらは、繋がっています。
このため普通のひとより、動脈硬化を速めているのかもしれません。

すぐあの総合病院へ行ってください。
あそこには、冠動脈CTがあるんです。
心臓の冠動脈がどうなっているのかを検査するものです。」

わたしは動転していたようだ。
ドクターからの紹介状をクリニックに置き忘れてしまった。
病院へ着いて、外来受付に診察の依頼をすると、保険証が見つからない。
一事が万事だ。
いったい、わたしの精神はどうなっているのか。

いままでとは違う体調の悪さを感じていた。

ウェブで「起床時 背中が痛い」とググると
整形外科の病名と肝臓・膵臓・腎臓・胆のう(もうない)の病気と記載されている。
多少は考えていたが、まさか心臓とは。

もちろん可能性を想定しているので、検査してみなければわからない。

すぐ総合病院へ行くと、冠動脈のCTは普通のものと違うようだ。
即入院の可能性も考えていた。
ただ、今までは入院してカテーテル検査をしていた。
最近導入が進んだCTは心臓の冠動脈が詰まっているかを3次元で表示させるもので、
おかげで予約もたくさん入っているようだ。

12月中旬には心臓CT造影検査を行うことになった。
検査は数万円もするようだ。
造影剤の副作用もあるようだ。

いずれにしても、検査結果次第だ。

冠動脈に異常があった場合どうなるのか想像があまりつかない。

今言えるのは、検査を行うこと。
わたしのからだはあまりいい方向には向かっていないこと。
様々な病気が動脈硬化を強化させているかもしれない。
最近、ひとの話をうまく記憶したり理解することができなくなっている。

希望は持ち続けなければならないけれど、
これからのことをいろいろ考えておかなければならないのかもしれない。


そして、杉浦康平さんに会ってきた。

このひとはわたしはカミサマのようなひとだと思っていた。

今ではNHKにも出演する編集工学研究所の松岡正剛さんが工作舎という出版社を20代で立ち上げた。
彼は、そのころ父の大きな借金も抱えていた。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離


そんな一文無しの彼が出版社を作った。
彼は、グラフィックデザイナーの杉浦康平さんのところへ押し掛ける。

相当な話し合いがあったようだ。
正剛はとてつもないビジョンを杉浦さんに熱く語ったようだ。

杉浦さんは、とうとう「わかりました。一緒に本を作りましょう。
ただし、松岡さんからギャラは一切いただきません。
そして、本を作るときは絶対に妥協はしません。よろしいですか。」
こんなニュアンスだったらしい。正剛の言葉にある。

それが数か月に一冊ずつ発行された。

この出逢いが日本の雑誌あるいは、書籍の歴史始まって以来の
想像を絶する奇跡のような本という作品を生み出した。

さすがの正剛も難題の多さ倒れそうになっている。
日本ではこんな紙はないだろうというような要望や、
日本一の写植屋でも作成できないと思われるような字体の作成。
すべてが革命だった。

いまでも雑誌「遊」を幾分か所有していることを誇りに思っている。
<全宇宙誌>は書物の宝物といわれている。

$絶対への接吻あるいは妖精の距離


その杉浦さんが急きょ、函館の寺院で「釈迦涅槃図」について講演をすることになった。
じぶんの体調がどれほど悪くても絶対行く覚悟だった。

幸いなんとかお会いすることができた。
何といっても、松岡正剛が「極上の師」と仰ぐひとだ。
心臓が張り裂けそうな気持だった。

わたしが生きているうちには絶対お会いすることができないだろう雲の上のひと。
だからカミサマだ。
わたしがカミサマだと思うひとはそういない。

みなさんは杉浦康平というひとを知っているだろうか。
おそらく、あまり知られていないと思う。
なんと広告の仕事もほとんどしなかった。
絶対にアメリカに行こうとしなかった。
ひとこと「原爆を落とした国だからね」そのひとことだ。

このひとは、修行者だ。
宮本武蔵のような部分がある。

わたしは寺の本堂の二階で座布団にすわり待っていた。

いつのまにか、不思議なことにわたしは一番前の杉浦さんと3mしかない距離にいた。
信じられない幸運。

生きているとこんな奇跡のようなこともあるのだろう。

仕事に厳しい世界の知と美の巨人は、恐ろしくどこまでも轟くような美しい声で語り始めた。

彼の相は、<ホトケ>のようだということに気がついていた。

まるで菩薩のように、穏やかな表情なのだ。
わたしは仕事柄たくさんのひとに会うが、このように穏やかな優しい表情のひとにあった記憶がない。
このひとは、あまねく大宇宙の隅積みまで、この大音声で、宇宙と生命を説いている。
その声に酔っていた。
もちろん、それでいて鋭い眼光のはずだ。

こんな経験は初めてだった。
グラフィック・デザイナーとして、世界の巨人といわれているひとだ。
特に、アジアの図像については世界一といってもいいはずだ。

これの文様はどこで生まれて、どのように発展し、社会で使われたか。
アジアだから、仏教の知識も恐ろしく深い。
最初に釈迦が入滅するときに周りにいたひとは誰か。
菩薩はどのような存在か。

実に明快に解き明かしている。
想像を絶する研究の果てだからこそだろう。
マンダラ学の世界的権威だろう。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離


そこで精霊の話が出てきた。
アジアの信仰は仏教やヒンズー教・イスラム教、それぞれの地の民間信仰から成立している。

特に美しいと思ったのは、カラビンカ 
極楽浄土に住む。
体は鳥。頭は女性なんだ。
妙音鳥ともいうらしい。極楽鳥とも呼ぶ。

精霊には、インドネシアで有名なガルダもいる。

そのぞれの説明はすべて仏像や彫刻、絵画がスクリーンに写される。
すべてが、世界にこんな美しいものがあるのだろうかというものばかりだ。


わたしたちは、どうしてこんなものを生み出してきたのだろう。

その美の所以はなにか。

わたしたちは、生きていくために様々な試練に直面しなければならなかった。
干ばつ・地震・台風それらによって、多くの犠牲を生んできた。
それは毎年同じように降りかかってくる。

そのなかで、どうしたら生きぬいていけるのか。
無意識に祈りが出てくる。
そこに、信仰が生まれたのではないか。
時間が経過すると神とのお祭りというものに発展してくる。

必死の祈りは、すべてのひとが生き延びていくこと。
天変地異や病気から、助かることだったはずだろう。
それは、<豊穣>がキーだと思う。


<美>とは、必死で真剣な生き延びられるための祈りの結晶から生まれたのではないか。

その姿は、自然のなかにもあった。

これらのこころが宗教になったり、芸術として結実したのではないだろうか。

わたしが美しいものを愛するのは、生と強く結び付いているから。

それが自然そのものであったり、ひとがつくりだしたものであったり。

そしてひとのこころそのものがどんなに、

様々なものにぶつかっていても、こころを一番大切にしていたい。


美と愛は、繋がるだろう。


杉浦さんはホトケだった。

わたしはこころのなかで礼拝していた。

ありがとうございます。

あなたに美の本質とこころを教えていただきました。


ひとはカラビンカや天女、様々な精霊、妖精を作り出してきた。

なぜか。そのことはいずれ書きたい。

でもそんな美しいものを生み出してきた人間というものが好きだ。


生のなかにどれほど苦しいものがあっても、

美しいものがわたしに、生きることの喜びを教えてくれるから。