ただの日記
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親力の発揮は教育の原点

一連の国・行財政改革を受けて、教育界は今も大改革の最中にあります。

加えて、近年の子どもに関わる様々な事故・事件は、学校はもとより、関係者の必死の努力にもかかわらず、跡を絶ちません。


このような問題の要因は、根深くまた複雑であり、簡単に指摘することはできませんが、唯一明確に言えることは、今日の学校教育は、一人学校のみでは十全ではないということです。


まずは何よりも、安心で安全な学校づくりのために、一層の「親力」そして「地域力」を期待しています。


しかし、また違った視点からも「親力」が必要です。


平成十八年四月から文部科学省に、「早寝早起き朝ごはん」プロジェクトチームが発足しました。


このような家庭内の、しかも当たり前のことまで、国が啓発しなければならないのか、と思ったりもしますが、それが現実なのでしょう。


実はこれは、単なる「しつけ」の政策ではなく、「学力向上」の施策なのです。
この数年、学力低下がずいぶん話題になりましたが、私は真の学力の基盤は、子どもたちの活気(元気・意欲・やる気)であり、その源は毎日の基本的な生活の在り方にあると思っています。


テレビやゲーム、パソコンなどにどっぷり浸った子どもが増加しています。このような夜型生活から脱し、朝型の健康で明朗な生活に変えてやることも、大切な「親力」の一つでしょう。


また、各県教育委員会は「子どもの学びの習慣化」というものを提言しました。


一 家で勉強する習慣を
二 朝食をしっかりとる習慣を
三 適切な睡眠をとる習慣を
四 テレビやゲーム、携帯電話、パソコンのルールを決めて


の四つです。


基本的な考え方は、前述した国の政策と同一であることがお分かりだと思います。


さらに私はあえて、「親力」をお願いします。


特に、中学生になると、あまり親と話したがらない傾向があります。ついつい親の方も、そういう年頃だろうと、あきらめたり、遠慮したりする方もいるようです。


しかし、コミュニケーションは、今一番不足していると言われる「関係力」(人間関係・親子関係・友人関係など)の基盤です。


朝起きたら

「おはよう」、

ご飯を食べるときには「いただきます」、

家を出るときには「行ってきます」、

帰ってきたら「ただいま」、

寝るときには「おやすみ」などのあいさつとともに、


短時間でもいいですから、しっかり目と目を合わせて、「対話」する努力をしてほしいと思います。


口で話すだけでなく、目で話すことが大切です。


「教師力+親力+地域力→学校力→子どもの人間力と」いう公式が実現し、「心豊かで、賢く、たくましい子ども」を育成しましょう。

気になることば

習慣の大切さについては、歴史上の偉人や作家によってみごとに表現された言葉が名言として語り継がれています。


以下の二つは私が特に気に入っている言葉です。 



○「はじめは人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる。」  ジョン・ドライデン(詩人)


○思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

  言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


(マザー・テレサ 1910年~1997年 ユーゴスラビア生まれの修道女 貧者、孤児、病人の救済に献身 ノーベル平和賞受賞)



この二つの名言に共通するのは最初は意識的に行動を起こしたり、変えたりしなければならないという点です。


自転車やボートではこぎ出しに一番大きな力が必要であるのと同じく、新しい生活習慣をつくるには、それを始めるときに最も大きな力が必要となります。ではその原動力はどこから来るのでしょうか。


人間の脳は基本的に自分の好きなことをやろうとする傾向があり、それを打ち破るには、その行動(たとえば朝6時から7時まで勉強する)が自分の目的・目標の達成に対してプラスになることを認識する必要があります。


目的(長期の目標)を持った人が、目的達成のために中期・短期と目標を立てていき、その短期の目標の中の一日、さらにその一日の中の1時間が朝6時から7時という時間であればその時間はその人にとって意味のある、価値のある時間となります。


目標がなんでもない一日や一時間に意味を与えます。


習慣の話に戻りますが、習慣というのは早寝・早起き・朝ごはんといったレベルのものだけではなく、その人のものの考え方・口癖といったものも含まれます。


もし勉強という活動に否定的な見解を持っているとすればよほど大きな目的がなければ、頑張ることはできません。勉強という活動が完全に「目標達成のための手段」になってしまっているからです。


しかしながら、勉強という活動そのものに肯定的な感情を持っていたり、少しでも楽しめる部分があればハードルも下がってきます。


勉強の中の楽しい部分については私たちも伝えていかなければならないと思ってますが、一方で子どもたち自身も自ら勉強の中に楽しみを見出そうという姿勢や自分の将来や目的から逆算してその活動に意味を与える技術、つまり自らモチベーションをコントロールする術を学ばなければなりません。


勉強は好きで楽しいに越したことはありませんが、好きで楽しい活動でなくてもやっていけるようなタフさを身につけて欲しいと思っています。

教師って、一体何者?

こんな質問をされると、どの教師も一瞬ドキッとしてしまいます。

それは、「何者?」という言葉の意味が不明確なことから生じる不安に起因しているからかも知れません。


しかし、「教師の役割って、一体何ですか?」と言い換えてみると、随分明確な質問になり、「教師の役割は、勉強を教えることです」という応えが返ってくるかと思います。


と同時に、本当にそれだけでいいのだろうかという疑問が湧いてきます。


では、教師は、どんな役割を担った存在であるべきなのでしょうか。

年々、社会の変化に同調するかのように、子どもにも大きな変化が生じています。


また、学校の在り方そのものが変化していることからも、教師には、様々な役割(能力)を身に付けていくことが求められているのです。


そもそも、教師の役割については、「教師は五者であれ」という言葉がありました。


この五者は、人によってその内容が異なることがあるのですが、一般的には「学者、医者、役者、易者、芸者」の五つであると言われています。


それらの意味(私の解釈)は、

学者:専門分野の学問に精通し、学び続ける者

医者:子どもの心身の変化を見取り、指導できる者

役者:いろいろな役を演じ、子どもを惹きつけることができる者

易者:子どもの個性や適性を見抜き、的確な進路指導ができる者

芸者:一芸に秀で、自信のあるものをもっている者

というものです。


しかし、これからの教師には、この五者を基本として、その他にも「忍者:性急に結果を求め急き立てるのではなく、子どもの可能性を信じて待てる者」、「行者:子どもにやらせるだけでなく、自分も子どもと一緒に行動し範を示せる者」、「指揮者:個々の良さを引き出し、全体をまとめることが出来る者」、「保護者」、「教育者」といった役割(一般に使われている意味とは異なるものが多くなります)が必要だと考えます。

このように、子どもを前にした教師は、様々な役割を使い分けて個に応じた細やかな指導に努めなければなりません。


しかも、その根底には常に子どもを想う愛情と自己の職責への使命感が不可欠です。
さて、我が子を前に、そうした教師に、一体何者であることを求められますか?


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