030 東陲ネンゴロ庵 「寝屋川鉢かづき伝説」中 | 東陲ネンゴロ庵

東陲ネンゴロ庵

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030 東陲ネンゴロ庵 「寝屋川鉢かづき伝説」中

 

1 はじめに

・ ネンゴロ庵、庵主後聞です。5月も下旬となり、昼間は随分気温が高くなってきました。それに比べて夜は 肌寒いほどです。風邪を引かないように気をつけていますが、季節の変わり目は体調を崩しやすいので注意が必要です。何とか乗り切り、梅雨や暑い夏に負けな いように備えたいものです。ブログを充実したものにできるように、精進していきたいと思いますのでよろしくお願いします。今回は、鉢を頭にかぶるということが何を意味しているのかについて考察したいと思います。

 

2 鉢かづき姫について

・ 京阪本線寝屋川市駅前にある案内地図と姫の像です。ベンチに腰
30-1 掛け、訪れる人をにこやかに迎えています。その様子からは、自殺未遂まで精神的に追い詰められた人という印象からは離れているようにも思えます。まあ、深刻に思い詰めた状態の面貌で、人々が多く集まる場所に展示するということもためらわれることではあると思 います。 

・ さて、姫に付けられている名前「かづき」とは何なのでしょうか。資料を読むまでは、鉢を担いでいる、「鉢かつぎ」ではないかと思っていました。しかしこれだと、肩にかつぐ、背負うというような意味になってしまいそうです。頭にかぶっているという意味には取れなくなってしまいます。

・ 辞書によると、かづき(被衣)「昔、外出するとき、女性が頭からかぶった単衣(ひとえ)の衣服」とあります。そういえば、時代劇などで女人が顔を隠すために、頭からかぶった薄い衣を見た記憶があります。そして、「かぶることを古語でかづく」というともあります。

・ それではここで、臨終の床にあった母親によって鉢をかぶせられたときの様子を見てみましょう。

 「母上は涙をぬぐって、そばの手箱からものを取り出し、何を入れられたのやら重そうな包みを姫の髪の上にのせ、肩がかくれるほどの鉢をかぶせられて、(後略)」

  (寝屋川の民話鉢かづき 24ページ)




30-2 つまり、頭の上には包みが乗せられており、それを覆い隠すように鉢がかぶせられているというわけです。鉢の大きさは肩が隠れるほどであったとあります。この状態では、顔が見えないということになります。武士や僧侶がかぶる笠と同じようなものと考えれば、それに近いものと思われます。

・ 街角に像を置くとすれば、やはり表情が見えた方が良いでしょうから、上の写真にあるようになるのだと思います。その方が人々も安心してながめることができるでしょう。しかし、実際には全く顔が見えないどころか、肩先まで及んでいるということなのです。昔の話だから、そういう不思議なこともあったかもしれない。作り話だから、どういうことでもできるさ。でも、これがフィクションでなかったとしたらどうでしょうか。果たして本当に鉢をかぶったまま生活できるのでしょうか。普通に考えても、髪を洗ったりすることはできないでしょう。実態はどうなのでしょうか。

 

3 頭が重いという症状?

・ ここで、姫の生い立ちを簡単に記しておきます。

・ 両親が、大和国の初瀬寺(長谷寺?)の観音様を深く信仰する。

・ 観音様が現れ、家が滅ぶこと、女の子を授けること、媛が14才になったら宝物をいただかせて、鉄鉢を上へきせるべきこと、少しの間辛抱したら、良縁が結ばれることなどを告げられる。初瀬姫と呼ばれる。

・ 幼い頃から、手習いを始めたが見事な文字を書き、歌、琴などの
30-3 諸 芸は、名高い師匠を選んで習った。十二の時には、詩歌・管弦に優れ、香をきき、茶の湯に通じていたという。顔かたちは、小町や衣通姫(そとおりひめ、衣を 通して、その美しさが輝いて見えたという姫、古事記所収)といってもこれほどではないだろうと、人々がささやくほどであった。

・ 母親の病気平癒を初瀬寺の観音様に祈る。

・ 肩が隠れるほどの立派な鉢をかぶせられる。

・ 母親が亡くなる。

・ 後妻が迎えられる。始めは良かったが、だんだん本性を現し、姫につらくあたるようになる。

・ 後妻は、屋敷から良識ある人々を追い出し、味方になる人間だけを置くようになる。姫について讒言を行い、父親からも嫌われていくようになる。

・ ついに家を出ることになる。川に飛び込んで死のうとするが、鉢
30-4 のために沈まず、生きながらえる。(前記資料より)

・ これらを見ると姫がいかに
逃げ場がなくなっていったかが分かる。母の死、義母による虐待、父親から嫌われ、周 囲の人々から疎んぜられ、もうどうしようもなくなっていったことが分かる。

・ 左の写真は、市立図書館に ある姫の掲示です。家を出たときの様子でしょうか。高貴な姫とも思 えない服装です。ここではどういう表情なのか描かれてはいません。

・ ここまで考えてくると、姫は精神的な病気になっていたのではないかと考えられます。追い詰められ、身の置き所もなく、頼るべき人もいない。安閑としていられる人は、まずいないでしょう。

 

4 鉢はかぶっていなかった。

・ さてここで不思議な提案をいたします。姫は鉢をかぶっていなかったのではないでしょうか。

・ 何を今更。鉢をかぶった姫のことだとばかり思って、話を読んできたのに、一体どうなっているんだ。そういう怒りの声が聞こえてきそうです。

・ 鉢をかぶったように頭が重いという症状があったのではないでしょうか。苦しみ抜いて、精神的に疲弊し、頭が重く、つらくて仕方が無いという事です。先ほどからくり返しているように、姫は邪魔者として周りから攻撃され、打たれ続けているわけです。そのまま長者屋敷にいるならば、生命の危機に陥りかねません。だから、退去するという手段をとったわけですが、行く当てはありません。死ぬことにも失敗しました。

・ 精神的に苦しくて、頭が重く、鉢をかぶっているような感じになったのではないかと考えます。それが、鉢かづき姫伝説となったのではないでしょうか。

 

5 おわりに

・ 以前、「三好長慶」ついての資料を読む機会がありました。信長の前代、近畿を支配した武将です。合戦に次ぐ合戦、次弟の戦 死、三弟は自ら手にかけるという、戦国時代ならではと言えるその生涯から、最後は、うつ病となり、命を絶ったのではないかという論説に接しました。このこ とから鉢かづき姫についてもイメージしました。

・ 次回は、長谷寺と寝屋の関係について考察したいと思います。