サラっと書くとかいいながら、何気に3本目のこの記事(笑)。
さすがに、これが最後です(・∀・`*)ゞ。
ちなみに、倭城の今までの記事はこちら↓
見えてきました、天守台!松の木の奥に見えてるのがそうです。
ところで、この松の木、絵図通りなんです。
復元で植えたのでしょうか・・・?
ここまで、ものすごいテンション上がりながら本丸を目指していたのですが、
本丸についてがっかりしてしまった事がありまして・・・。
これ・・・↓
うまく地形を利用して作った城だったはず。
なのに、海であるはずの方を見ているのに、海はどこにも見えません。
どれだけ埋め立ててる・・・?
これでは、この城の醍醐味が・・・。
前を行き来する船を見張れる事に、この城の意味があったんだろうけど・・・。
これでは、想像するのさえ難しい・・・。
今まで、日本でもこの時期のお城もたーーっくさん見てきましたが、
ここまで地形も景色も変わってしまっているのは初めてかも・・・。
有名すぎる大坂城。
あれも、周りの景色は変わっているし、堀も家康に埋められて、
秀吉当時の姿は分からないけど、
ここまで地形が変わってることはないもんなぁ・・・。
倭城保存より(しかも景観問題だけだし)、地元の産業発展が大事だろうなぁ・・・というのはよく分かるけど
あまりに残念な景色でした・・・。
本丸の中でも少し高くしてある所にあります。
そして、天守台に上ってみると・・・
でも、ここから見える景色も・・・
唯一、登ってきたほうを振り返ると・・・
こちらの景色はあまりかわってなさそう・・・。河も見えます。
この河の出入りも監視できた城だったんでしょうね。
そして、絵図通りの松。
本丸では、韓国人観光客の姿が結構見られ、
みんな松の木下でのんびりしたりして過ごしていました。
順天のご先祖様方・・・
その折はご迷惑をおかけしました・・・
と、手を合わせ、城を後にしました。
以上、20年来の夢を叶えたピョルンでした
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