バツ2ママ!起業家への道~たまにスロット♡

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33歳の二児のママ★そしてバツ2のジングルママ❣
貧乏を脱出すべく、起業家を目指す❣❣
たまに大好きなスロットも・・・w

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こんばんわ。Mママですヾ(@°▽°@)ノ


本日2回目のUP~(‐^▽^‐)
いつも、いいねや読者登録していただきありがとうございますw



さて、今夜は5年前に起きた大震災。
3.11東日本大震災。について書きたいと思ってUPしました。


5年前のMママは、長男とはまだ離れ離れ・・・・
もちろん娘ちゃんは生まれてない時期でしたので、一人でした。
その時は毎週金曜日に実家に愛犬の散歩だけに帰っていたころで
その日も実家に帰ろうと車を運転していました。


友達と電話を(もちろんイヤホンでですよw)しながら運転していたら
電話越しで友人が地震・・・・・やばい・・・・避難しないとだから切る!!!
と言われて切れました。

まだ運転していて気が付いていないMママ・・・



信号待ちをした瞬間に焦りました。


車が・・・・車が大揺れ・・・・
外の景色もありとあらゆるものが揺れてすさまじい音を出してる。


ハンドルなんか握れる状態ではなかったのを今でも覚えています。


それでも実家には帰らないと。愛犬が一人だ。心配で・・・・・
急いで実家に向かいました。
車内で地震にあったため、震災後のひどい渋滞には巻き込まれずに実家には
つきましたが、道中何度か大きな余震にあい、橋の上だったこともあり
生きた心地がしませんでした。


あの時、都心部は帰宅困難者がすごいことになっていましたよね。
私の両親もその帰宅困難者になっていました。

母親は職場から5時間以上かけ電車と歩きで帰ってきてました。


実家から見る幹線道路は生まれて初めて見る光景でした。
車は一切動かない。見たこともない人の数が列をなして歩いてる・・・・・


こんな時、都市部のもろさを感じました。


そして、Mママの祖母や親戚の多くは被災地である福島。
何日も連絡取れず、不安な毎日でした。

幸い、中通りに暮らしていたので津波には合ってはいませんでしたが
揺れは凄かったと。家の中には入れずに車内で過ごしていたと。


もちろんライフライン等も止まっており、苦しかったと言っていました。


祖母の住んでいる本家では、自家発電ができたみたいで
どうにかこうにかできたと。



これからいつ何時大きな震災が起きるかわからない時代になってきていて
日頃のコミュニケーション。避難場所、備蓄はもちろん
慌てずに行動が大事と思いました。


来ないだろ、大丈夫だろうなどと過信は禁物ですね。


この5年で被災地の方など住む場所も、生まれたところに帰ることも
まだままならない状況で、改めて自然の恐ろしさを思い知らされた年でもありました。


3.11を過ぎてしまってますが
被災地の復興を願い、ご冥福をお祈りします。



これから先、東北が幸福になりますように。