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 いつか書こうと思っていた。教会内には「蒋介石神話」と言うのがある。
日本が戦後立ち直れたのは、蒋介石が日本分割を阻止し、賠償を放棄したからだという神話。
 そして、背景には文教祖が蒋介石を説得し、間接的に日本を救ったのだという話。
 
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三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式 二〇〇〇年 九月二十六日

 国境撤廃と交差結婚! 交差結婚は何ですか? 来年から祝福するときは、日本人どうしでは結婚できません。怨讐の国、アメリカの国、それから中国の国と結婚して、ソ連の国と結婚するのです。これをしてこそ……。第二次世界大戦以降に日本の女性や日本の男性たちが損害賠償をしませんでした。敗戦国として土地を売って、女性を売らなければなりません。国が四方に裂かれるのです。しかし、私が防備しました。蒋介石に日本を助けるように言ったのです。それを知っていますか? 死んでからこのような私を好きになるでしょう。

日本を分割しないように言ったのです。なぜですか? 私に守るべき責任があるからです。そのようにしなかったならば、四か国に分割されて、四つの島の女性と男性たちが異国の地に行きますが、男性たちは僕の子になるのです。ですから、戦争で滅んだものを再建させるのに、血の汗を流しながら働くのです。妻たちは流れ行く天の川を眺めるのです。外国に行って月を眺めながら故郷を忍んで、涙を拭いて、その息子・娘が恨を抱いて住むところを、文総裁が防備しました。

損害賠償しなかったので、第二次世界大戦以降の損害賠償を請求して、再び平和基金を集めるべき時が来るのです。私が国連を通じてやるでしょう。

戦勝国家も敗戦国家も同じです。兄弟どうしで闘うのは、堕落の報いです。同じ価値と見るので、世界平和のために真の父母が教育できるように国の基盤を整備して、新しい心情文化を創建する費用として各々が出し合うのです。それが足りなければ二次戦争三次戦争のような戦争をして、死ぬのを見たとしても、神様の勝利を讃美して、その墓まで花が咲けと祝祷して言ってこそ、兄弟が生まれて国が祖国の領土になることを知らなければなりません。それを見てこそ、神様の前にすべてを捧げるべき真の父母の召命的な使命が終わるのです。深刻です。

 お父様の言葉です。蒋介石に日本を助けるように言ったのです。この言葉は何を意味しているのでしょうか、そしてどのようにされたのでしょうか。

蒋介石は日本に対する賠償請求権を放棄したという神話

蒋介石は、蒋介石がソ連による日本の分割占領を阻止したという神話

天皇が戦犯となるところを、蒋介石が救ったという神話

蒋介石は、8月15日重慶放送を通じて日本軍に降伏を呼びかけた。このとき彼の吐いた名セリフが、「徳を以て怨に報いる」というもので、後に「以徳報怨」演説として広く知られることなりました。

これはどこから来たのでしょうか。誰も分かりません。それがお父様だったら誰も信じないでしょう。でも、知っている人は知っています。

 ブログ「神様との会話」 の日本分割のみ言葉より転載
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「日本分割のみ言葉」の次「背後にお父様の説得」には

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 蒋介石の変わりぶりは普通では理解できないものです。誰も分かりませんが、背後にお父様の説得がありました。
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 だって、思い込みもここまで来ると病気だね。

実際は、


蒋介石神話の創造
  ~蒋介石の聖人伝説ほど矛盾に満ちた話はない~


  あれほど同胞の中国人や台湾人を殺戮した蒋介石が、日本に対するときだけは、まるで夜叉が菩薩に変じたように、慈悲深い態度をとったというのは信じられる話ではなかろう。

                      アジア安保フォーラム幹事・本会理事 宗像 隆幸

 1945年8月14日、日本は御前会議でポツダム宣言の受諾を決定し、ただちに連合国に通告した。世界大戦が終わったのである。
 日本軍の包囲下にあった重慶も、勝利の喜びでわきかえった。国民党の宣伝機関はさっそく、軍事的天才・蒋介石総統の「日本とアメリカを戦わせる戦略が功を奏したのだ」と、蒋を持ち上げた。
 しかし、蒋介石としては、喜んでばかりはおれなかった。中国にいた日本軍の将校たちの間では、「降伏反対、断固戦い抜く」という声が圧倒的だったからである。太平洋で米軍と戦った部隊と違い、中国軍と戦って勝ち続けてきた彼らには、敗戦の実感がなかったのだ。
 「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、いかなる場合にも、絶対に承服しえざるところなり」と、岡村寧次支那派遣軍総司令官は述べた。まさか支那派遣軍だけで戦争をつづけるつもりではなかったであろうが、激昂している部下をなだめるために、岡村大将はそう言わざるをえなかったのであろう。
 8月8日、日本に宣戦したソ連は、怒涛の勢いで満州になだれこんでいた。早く日本軍に重慶の包囲を解かさなければ、中国共産党軍がソ連の助けを借りて支配領域を拡大するのを、指をくわえて見ていなければならないことになる。
 蒋介石は、8月15日重慶放送を通じて日本軍に降伏を呼びかけた。このとき彼の吐いた名セリフが、「徳を以て怨に報いる」というもので、後に「以徳報怨」演説として広く知られることになる。
 まさかこの演説が、日本人の間で蒋介石の「聖人伝説」をつくり出すことになろうとは、本人さえ夢にも思わなかったことであろう。一刻も早く日本軍が降伏して武器を引き渡し、中国から引き上げて欲しい、という一念から出たセリフだったに違いない。また、蒋介石の演説で日本軍がおとなしく降伏したわけでもない。
 同じ8月15日、天皇の詔勅が放送された。それまで数多く出されてきた天皇の名による命令と違い、天皇自らが放送で日本人に降伏を命じたのである。天皇の軍隊が、この命令に背けるはずがない。全日本軍はただちに降伏を受け入れたのである。
 しかし、蒋介石神話の方は一人歩きした。ソ連が降伏した日本人60万人を抑留して使役し、7万人も死なせたからである。「残酷なスターリンと寛大な蒋介石」という対比が、日本人の間で蒋介石の聖人伝説を生み出したのだ。
 それに気をよくした国民党の宣伝機関は、さらに三つの蒋介石神話を作り出そうとした。
 一つは、天皇が戦犯となるところを、蒋介石が救ったという神話である。
 ちょっと調べれば、それが嘘であることはすぐにわかることだ。蒋介石の軍令部が作成した
 
戦犯リストのトップに、「日皇 裕仁」と書かれている。

蒋介石大元師の許可なしに、軍令部がこの戦犯リストをつくれるわけがない。
 天皇の名の上には、「暫刪」(当分削除)と書かれている。米国の要求で蒋介石は天皇の戦犯要求を保留したのである。
 

米国は戦争中に、戦後の日本統治に天皇を利用する方針を決定していた。だからトルーマン大統領は、「天皇を含む日本の政治機構を利用して間接統治せよ」と、マッカーサー元師に命じたのである。
 もう一つは、蒋介石がソ連による日本の分割占領を阻止したという神話である。
 1945年8月16日、スターリンはトルーマンに電報を送り、ソ連軍が北海道の北半分と千島列島を占領するという意思を伝えた。2日後、トルーマンはスターリンに次のように回答した。「ソ連が全千島列島を占領することには同意する。しかし、北海道と本州、四国、九州はマッカーサー元師が占領する」 。
 スターリンは北海道占領のための部隊を乗せた艦隊をすでに発進させていたが、やむなく艦隊に引き返すように命じたのだ。蒋介石が介入する余地などまったくなかったのである。
 スターリンは降伏した日本人を帰国させる予定でいたが、北海道北半の占領を拒否された腹いせに、日本人を抑留したのだと言われている。だとすれば、日本人60万人の抑留と七万人の死という大きな犠牲を払って、日本は分割占領を免れたことになる。
 さらにもう一つは、蒋介石は日本に対する賠償請求権を放棄したという神話である。
 これも、蒋介石は賠償要求を出そうとしたが、強欲すぎると
アメリカが拒否した

というのが真相のようだ。
 蒋介石は満州をはじめとする大陸の膨大な日本資産と台湾を接収した。日本がインフラや重工業を建設したために、東北(旧満州)は中国で最大の重工業地帯となったのであり、台湾は文字どおり宝島であった。
 しかも、蒋政権幹部は接収した日本資産のかなりの部分を私腹したのである。
 日華平和条約(1952年締結)では、日本人が台湾に残してきた財産と台湾人の日本に対する請求権の問題は、特別取極で解決することになっていた。そのために日本政府は、蒋政権に対して、特別取極の交渉を3度申し入れたが、蒋政権は反応を見せず放置した。
 
日本が賠償を支払うことになれば、日本の残置財産のリストをつくり、その評価額を定めて、賠償金に算入しなければならない。そうなると。

蒋政権幹部が私腹した日本資産が暴露されることになる。

 だから蒋政権は、日本の交渉要求に応じられなかったのである。
 そしてもっぱら「日本への賠償要求を放棄した」と宣伝したのだ。
 だいたい、蒋介石の聖人伝説ほど矛盾に満ちた話はない。あれほど同胞の中国人や台湾人を殺戮した蒋介石が、日本に対するときだけは、まるで夜叉が菩薩に変じたように、慈悲深い態度をとったというのは信じられる話ではなかろう。【2002年9月21日・台湾独立建国聯盟ホームページより転載】
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「神様の会話」は確信犯である。なぜなら、「背後にお父様の説得」に引用されてる黄昭堂氏の文は前半だけなのである。「蒋介石の対日賠償放棄はウソである」を意図的に削除して
あたかも、文教祖が蒋介石を説得して動かしたように見せているのである。
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台湾独立建国聯盟主席 黄 昭堂

■台日関係と「蒋介石恩義論」

 台湾は日本の最初の植民地であり、1895年から1945年まで、日本の支配を受けた。日本の敗戦に伴い、台湾は中華民国国民党政権の支配下に入って今日に至っているが、50年にわたる日本の台湾支配は、いまでも大きな影響を残している。
 日本の台湾領有の目的は、収奪よりも領土の拡張にあった。教育を通じての台湾人の文明度の向上、衛生の改善を通じての居住環境の向上、基礎建設、産業建設を通じての生活向上などは、収奪の視点からのみでは解釈はできない。ただ、植民地人である台湾人への高圧的態度は、台湾人に不愉快な思い出を残し、この50年にわたる植民地時代に対する客観的評価を困難にさせているのである。
 加えるに、蒋介石、蒋経国父子は、台湾解放者としての自分たちの功績を際立たせるため、日本の台湾統治を醜悪化することに専念した。かれら自身、それに国民党の高級幹部を含め、戦後、一貫して親日的態度をとる反面、日本文化の台湾流入を阻止し、また、台湾に残存する日本文化の追放につとめた。端的にいえば、それは、日本の書籍はもちろん、歌まで輸入禁止にしていたことでもわかるように徹底したものであった。台湾人が親日的になるのを阻止し、日本との親交関係を国民党政権が独占する政策をとったのである。
 元来、台湾人は多かれ、少なかれ、植民地時代には日本人から屈辱的な仕打ちを受けているのだが、日本に代わって台湾の支配者になった中華民国国民党政権の横暴さを経験してからは、一転して日本に好感を示すようになった。それが蒋介石たちをあわてさせたのだ。
 コミンテルンのおかげで、蒋介石は身を起こすことができたのだが、1927年に反共クーデターで政権を握ってからは、後半生を反共に捧げた。もし、日本が満州事変を起こさず、さらには支那事変を起こさなかったら、中国共産党をせん滅できたはずだと、彼は晩年になっても残念がっていた。彼にとって、日本はいくら憎んでも憎み足りない存在であったはずだ。その彼が一転して親日家になったのは、中国共産党との対抗上、日本の中華人民共和国への接近を阻止し、日本の中華民国支持を得る必要性に迫られたからである。反共政治家としての面目躍如たるものがある。
 他方、日本の反共政治家も蒋介石政権の存在を必要とした。中華人民共和国の国際的影響力の増大を阻止するためにも、国際連合安全保障理事会常任理事国としての「中国」のイスを占める政権の存在が必要であり、蒋政権がその役割を担うのに役立つからである。かくて、1950年代に「蒋介石恩義論」というデマゴーグが展開された。その内容はつぎのとおりである。

 (1)北海道がソ連の占領を免れえたのは、蒋介石総統が九州占領の権利を放棄して、これを阻止したからである。

 (2)天皇制を護持できたのは、蒋介石総統がこれを強く主張してくれたからである。

 (3)中国派遣軍と、在中日本人を蒋介石総統は無事に送還してくれた。

 (4)500億ドルにのぼる対日賠償請求権を蒋介石総統が放棄してくれたから、日本はスムーズに復興できた。

 内容的には、大方の日本人の肯けることばかりだ。その結果、左派は別として、日本国中に蒋介石賛美が浸透した。
 そのころ、台湾人は台湾に脱出してきた蒋介石の圧制に苦しんでいた。47年の国民党中央政府軍による弾圧(二二八事件)につづいて、49年から50年にかけての政治反対者の大量逮捕、37年にわたって続いた戒厳令の発布、国会議員の終身制、秘密警察(特務)の跳梁……。
 台湾人の苦しみを横目に見て、日本の政治家は言う。「蒋介石総統を支持しなくちゃ」。そしてこの「蒋介石恩義論」は、いまでも根強く残っている。紙数に限りがあるので、簡単にいうと、真実はこうである。

■蒋介石の対日賠償放棄はウソである

 対日戦争で勝利を得た蒋介石ではあるが、重慶に逃げ込んだままになっていた彼が、中央政権を握るためには、中共軍との熾烈な内戦に勝たねばならない。したがって、日本本土に国民党軍を送る余裕はあろうはずはなく、また、中国に派遣されていた日本軍が中共軍と手を結ぶのを阻止するには、彼らを一刻も早く、日本本国に送還する必要があった。
 天皇制存続が可能になったのは、むしろ米国の知日派の主張によるものだ。賠償放棄に至っては蒋介石が自ら思い立ってそうしたものではなかった。
 1951年に日本が台北で蒋政権と「日華平和条約」締結交渉をしたさい、蒋政権は「国民感情が許さない」と称して、賠償を強く要求した。日本側は、中華民国政府は台湾しか支配していず、中国本土に支配権を及ぼしていないとの理由で、その要求を蹴り、一時は交渉が中断し、日本側代表団は本国に引き揚げた。最終的にはダレス米国務長官が蒋介石に圧力をかけて、賠償要求を断念させ、そのかわりに、条約の議定書に「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、……〔賠償請求権〕を自発的に放棄する」旨を盛り込み、蒋介石の面子を保ったのである。この経緯は、外務省編集の『外務省の百年』(原書房)で明らかにされている。
 ついでながら、哀れをとどめたのが中華人民共和国である。後年(1972年)、日本と国交を回復するにあたって、中国政府は日本に500億ドルの賠償を要求したが、「この問題は1952年の日華平和条約で解決ずみだ」と、日本側に一蹴され、とうとう一銭も賠償金を得ることができなかった。
 この観点からいえば、日本は結果的に蒋介石から恩義を蒙ったことになる。蒋介石が利用されたといえないこともない。
 ともあれ、日本政府、自民党と国民党政権は、その親密度を増やしていく。かつ、一人歩きを始めた「蒋介石恩義論」によって、一般の日本人も台湾人の苦しみを横目にみながら、国民党と仲良くなっていくのである。

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「死人に口なし」をいいことに日本に対する蒋介石の恩義が自分の功績かのように語る嘘つき教祖。
 またそれを知りながら文教祖を神格化しようとする確信犯的信者。
「ユガンスが六つにバラバラにされた」という ウソといい。
 朝鮮動乱の避難時の弟子を背負ったあの写真といい自分の神格化あるいは教会員に恩義を感じさせるためには何でも利用する宗教者としてあるまじき人物なのである。
 因みに蒋介石は「蒋介石日記」という政策から日常にわたる詳細な日記を残している。
もし、文氏が説得したのなら、日記に残らない訳がない。
「嘘つきはメシアの初め」ですか?
 勿論、教祖は嘘つきでも信者は「正直者」ですよ。上に二文字つけば。
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