原理講論「総序」38頁

 先生は、幾十星霜を、有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。
   

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  これを読むと、文先生は霊人と自由に交信できる能力があると推測される。
  ところで、柳寛順は統一教会員なら誰でも知ってる韓国の烈女、文先生が生まれる条件を3.1独立運動で立てたといわれる。
 韓国では、日帝により拷問死させられ、遺体はバラバラにされたと信じられてる。
 当然、文先生は柳寛順とは霊界でお話されただろう。

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 十六歳で殉国した柳寛順烈士は、堕落しないエバと同じ立場にありました。アダム国家におけるエバと同じだというのです。そのエバの立場にあった柳寛順烈士の体を、サタンが六片に分けてしまいました。六数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くしながら、一身を犠牲にしながらも解放運動をしたのです。独立運動が最盛期だった一九一九年に、先生は母の腹中にいました。独立しない地で、そのまま生まれることはできなかったので、先生の生命を中心として、そのような戦いがあったのです。その時から十カ月後の一九二〇年に、先生が生まれたのです。堕落したエバの罪を蕩減するために、天の側の心情圏をもって、この地上のすべての女性を代表して、韓国の地を守りながら死んでいった人が柳寛順です。摂理史で見る時、条件的に国の基盤を中心として、日本から独立するために天は摂理をしたのです。』
(真の御父母様の生涯路程1)

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 ここで、六片に分けたというのは死んだ遺体を日本の刑吏がバラバラにしたという意味であろう。
また16歳で殉国したというのは、「柳寛順が1904年生まれを」前提にした話であろう。
 つまり日帝がサタンに憑かれていたということを意識づけるために、また柳寛順の殉国が原理的
であることを証明するために、「6片」と「エバが堕落した年齢16才」を持ち出したと思われる。
  しかし、
 史実は異なる
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中央日報 latest news「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」 
2002年02月26日21時21分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] comment 0mixihatena0 「柳寛順(ユ・クァンスン)烈士について誤って理解されている点を正してみたかったのです」。この4年間、柳寛順研究に没頭してきた郷土史家の任明淳(イム・ミョンスン、55、忠清南道天安市社稷洞)さん。

天安(チョンアン)大にある柳寛順研究所の客員研究員でもある任さんは「柳寛順に関連した内容が、1945年8月15日の解放以後、植民地時代に日本が行った蛮行を糾弾するという意味合いから、誇張され過ぎてしまった感がある」と主張する。

「三一運動=柳寛順」というイメージを持つ柳寛順だが、出生・死亡年月日は記録によってまちまちだ。名前の漢字表記や兄弟の数、梨花(イファ)学堂に入学した年度も、やはりそれぞれ異なっている。

天安一帯で起った「己未年万歳示威」では、20人余りが殉国した。だが、死亡して80年が経てば、戸籍が整理され、記録から完全に抹消される。 

これを知った任さんは、99年から柳寛順ら殉国した先烈の除籍謄本をすべて集め、研究を行ってきた。

謄本によって任さんは、柳寛順の出生年が1904年ではなく1902年で、1人娘ではなく姉が1人いたという事実を確認した。任さんは昨年10月、天安大が主催した「柳寛順烈士追慕学術大会」で、我々が知る柳寛順の殉国月日と生年月日が事実とは異なる、と指摘した。

任さんは、柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だったと主張した。京城(キョンソン)復審裁判所(控訴審)の判決文と受刑者記録表によると、柳寛順は小学校の教科書にあるように「検事に椅子を投げつけたため法廷冒とく罪が追加され、7年の刑を宣告された」のではなく、3年の刑を受けたという。その後、柳寛順は高等裁判所(現在の最高裁)に上告せず、これが最終刑量になったという。

「梨花学堂時代、柳寛順の級友だったポガック(99、僧侶)さんの証言によると、死亡して20日余り過ぎた後、柳寛順の死体を受け取ったそうです。その時、死体は腐っていましたが、四肢は切断されてはいなかったという話です」。

任さんは「柳寛順への盲目的な思い込みから、こうしたいい加減な事実が広まり、子供向けの伝記にまで掲載された」とし、「今は、冷静になって史実を確認すべきだ」と話した。

大学で農学を専攻した任さんは、農村振興庁で勤めた経験があり、20年余り自営業(農薬販売)を営んできた。だが現在は、天安地域の郷土史研究に没頭している。
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 そもそも、日本人にはたとえ敵や罪人であっても相手が亡くなれば遺体を猟奇的に傷つける習慣はない。
 日本人は敵味方関係なく遺体には篤く弔う習性がある。
日本の刑吏は柳の遺体をバラバラにする理由はないのである。
 一方 朝鮮人は例えば明治維新をモデルに朝鮮を改革しようとした金玉均を凌遅刑にしバラバラにしたように、死体を陵辱する風習がある。
 朝鮮人は自分達もするから、日本人もするだろうと安易に思い込み「遺体バラバラ説]を流布させたのだろう。
 文先生は霊界で検証もせずに「6片説]を唱え、墓穴を掘りました。
また柳が「1902年生まれ」なら、エバが堕落した年齢も18歳にしないと整合性がありません。
 
 勿論 文先生なら、このような史実をつきつけられても、ケンチャナヨと「大笑い」されるのでしょう。
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  ウィキペディアで凌遅刑を検索されると金玉均の晒し首の写真が見れます。


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