50歳からのおとうさん審判奮戦記

50歳からのおとうさん審判奮戦記

息子が学童軟式野球チームに入ったのをきっかけに、50歳から本格的に審判を始めたお父さん審判の奮戦記。

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 こんばんは。

 

 花粉症で辛い日々が続き、更新が二週間近く滞ってしまい、申し訳ありません。

 

 さて、ここ二週間の出来事を書きたいと思います。

 

 3/24・25日の土日は、S連盟ともう一つのS連盟とH連盟と三つの開会式が続いてありました。東京ドームにも行って来ました。翌朝は開会式で司会を務めて、とても緊張して丸一日仕事をしたようにどっと疲れてしまいました。午後からは回復して二塁塁審を務めました。

 3/31・4/1日の土日は、S半島の突端まで往復12時間ぐらいかけてお墓参りに行って来ました。そして翌日は二週間ぶりに球審を務めました。

 走者一塁・二塁、二塁走者が三塁へ盗塁、捕手の送球が偶然打者のバットに当たり、ボールデッドとなりました。驚いてしまい咄嗟にナッシングをコールすることが出来ず、間の抜けたタイミングでのコールとなってしまいました。さらに、ベンチからのボールデッドの声を聞くまで、タイムをかけて走者への進塁指示が出来ませんでした。

「審判にとって最大の敵は驚いてしまうことである」

 多くの事を予測して、驚かないようにしなくてはいけません。

 

 その他、散髪に行ったり、大会の準備をしたりと、土日は相変わらず忙しく過ごしています。