2019年8月31日。再読『らもチチ わたしの半生 中年篇』中島らも、チチ松村 | 前山和繁Blog

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このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

 

 

2019年8月31日。再読『らもチチ わたしの半生 中年篇』中島らも、チチ松村

 

この本は98年10月31日から99年4月42日までに放送された『らもチチ魔界ツアーズ』のわたしの半生を再構成したもの。

 

私は『らもチチ魔界ツアーズ』は聴き逃した回もあったが結構聴いていた。そしてこの本には収められていないが、パンクスで俳優の山内圭哉(やまうちたかや)の「おじさんよこれを聴けと」チチ松村の「若者よこれを聴け」という何らかのバンドや個人ミュージシャンの曲を1曲聴かせるコーナーがあった。私はエノモト(字が分からない)という女性の所属しているバンドの「尾骶骨」、という曲を一部覚えていてそのCDを探したい気持ちにもなったりしたが結局探せずじまいになって、今ではもう一度聴かなくてもいいような気持ちになってしまった。そのバンドは他にも「組曲ダイオキシン」という曲があるという。完全には思い出せないが、チチ松村が「ピコグーラムーピコグラム―可愛い単位なのに死へのパスポート」というように歌っていた記憶がおぼろげに残っている。

 

中島らもにしてもチチ松村にしても、大半がインディーズバンドのせいか技術的には下手なミュージシャンだらけだったがそれに対して、何か不満を漏らすようなことが全くなかった。二人とも技術信仰がないようだった。それが私にとって共感というのか共鳴できた感覚だった。高い演奏技術を持つミュージシャンの曲もかかっていたこともあったが、下手な人がいてもそれをとがめないという紹介の仕方が共感できた。

 

チチ松村も技術的には一流のギタリストだが、上手い下手がどうでもいいようなミュージシャンもいるし、上手い下手を気にしない観客がいる世界もあるのである。

 

中島らもエッセイには中島らも自身が技術というものを信じないような感覚が様々な場面で出ていた、焼き鳥屋の店主が焼き鳥を焼くなどという技術で増長しちゃったいばりんぼとして観察していたことがあった。(『中島らものたまらん人々』42頁)

他にもいくつかのエッセイで中島らもには技術信仰などないなと感じさせるような記述に出くわしたことが何度かあった。

 

そういったことが私にとって非常に心地よい番組だった。

 

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29頁で中島らもがコピーライターの仕事は自己表現などではないのに「コピー書くっていうことが、時代の花形みたいな商売で、何か自己表現できるんじゃないかみたいなね。」と語っているが、やはり中島らもは商売は需要で決まるというのを実感していたのだろう。だからバラ色の夢を持っていたコピーライターになれなかった人々と違ってプロになれたということなのだろう。薬物への興味その他の反社会性がありながらも商売人として需要への意識もあったといったことが読み取れる。