アライアンスでは、通常のトレーニングクラスだけでなく、
『音楽家』のためのクラスもあります。
クラスの中では、
上手に演奏すること を、目的としません。
誰かの価値観に合った「良い」演奏か否か。
自分基準で「できた」か「できない」か。
まる か ばつ か!
そのようなジャッジメントを、しない環境で、自分自身と
あるいは参加者の人たちと=世界と向き合います。
演奏(パフォーマンス)している最中、あるいは始める前に。
自分がどこをどんな風に固めているか。
どんな言葉が、頭のなかをぐるぐるまわりだすか。
そんな、
無意識のうちに・考えなくても自動的に 起きてしまうことに
まずは気付くことから始めます。
途方にくれて「わかりませぇん」と言えば、先生が質問のかたちで
助け舟を出してくださる時もあります。
「いま頭が、どっちの方向にいってるか、分りますか?」 みたいに。
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さて。
そのクラスで、先日はチェンバリスト I さんが
コンサートでやる“演奏前のトーク”の練習をされました。
『今日は、バッハの平均率第一巻から、一番のプレリュードを演奏します♪』
そう言いながら、ふだんのクセを、はっきり意識してみられます。
「この先、何を話そう」
「私の話、皆に分って欲しい」
「暗譜大丈夫かなぁ(なんか不安)」
そのような言葉が頭の中で鳴りだし、先のことばかり考えてしまったそう。
そうすると早口になってしまうのですね。
そこで。
目立って見えた、「脚が先に行きたくてきゅっと持ち上がっている」所。
大腿直筋その他まわりの筋肉さんに、静かになってもらいます。
「今にしか居られない」ように、脚は地に着いていて下さい。
(憧れの太ももワーク)
その後もう一度同じことを話されると、
今度は言葉のスピードが緩やかに、ソフトに聞こえてきました。
お話の内容もシンプルに変化しました。
面白かったのは。 ワークの前後で、
その話を聞きながら私の頭に浮かんだものが、変化したことでした。
始めのケースでは。
「あ、その曲知ってる。 ドミソドミ・・・ んで次のフーガがまたえぇねん」
とか、自分勝手に先々脳内展開がはじまってました。
こんなこと、私にとっては本当に無意識自動的反応です。
知ってるかどうか、というレッテルまでしっかり貼ってるし
ワークの後の、トークを聞いた時には。
曲名を聞いて、ただ、わくわくしました。
そして、音符の名前ではなく、色が次々に浮かんで見えてきて。
曲を聴くと反射的に音符が浮かぶ「これってやめたい職業病?」な私には
ほんとに嬉しい出来事でした。
(画家あつこさんは、曲を聴いて絵を描かれたことがあるのですが、
こんな気持ちだったのかしら・・・・・・?)
これって I さんのお話を聞くまでは、思いもしなかったイメージです。
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アート作品は鑑賞者の心に 言葉に出来ない抽象的なものを
届けることが出来る
とは、師匠みどりさんから聞いた言葉です。
話し手が普段のクセをすこ~し変えるだけで、聴き手の
イマジネーションがこんなに変化するならば。
パフォーマーの責任ってほんまに重要で、素敵だと思います。