停滞気分に陥ってるあいだに、新年が明けてしまいました
ある方から頂いた年賀状の言葉が印象に残りました。
ちょっと言い換えたら、現在の心境になる気がする。
『ひとりの人がプライマリーコントロ-ル(初原調整)の力に
目覚めるなら
それを学ぶ必要の無い99人の「自分の使い方がうまいひと」に
まさる喜びが
この世に生まれるのです』
さて、みなさま今年もよろしくお願いいたします
停滞気分に陥ってるあいだに、新年が明けてしまいました
ある方から頂いた年賀状の言葉が印象に残りました。
ちょっと言い換えたら、現在の心境になる気がする。
『ひとりの人がプライマリーコントロ-ル(初原調整)の力に
目覚めるなら
それを学ぶ必要の無い99人の「自分の使い方がうまいひと」に
まさる喜びが
この世に生まれるのです』
さて、みなさま今年もよろしくお願いいたします
7月、ドイツのワークショップで5日間苦楽を共にしたユウコさんに会った。
偶然、仕事場で。
あ~っと言ったものの、一瞬誰だか分らなかった。
この人誰だっけというぐらい印象が変わって見えた。
とっても、綺麗。 細胞が生き生きしてる感じ。
アレクサンダーテクニークのレッスンも、歌も、続けてるんですね。
実は彼女の名前が本当に出てこなくて、私も始まってるなーと思ったけど
あんまし綺麗になってたから、わかんなかったんだよきっと
人の印象ってなんなんだろう。
今日は「思ったことをそのまま言葉にする」、という練習します。
お題は、<クラスメイト、あつこさん のブログを読んで思ったこと>
(彼女のブログの内容は、ご自分の声の質・出し方について書かれたものです)
私思うんですけど。
あたまが長~い背骨の上にのっかって、自由で居て発せられた声で、お喋りしたい
という心境すっごい分る気がするけど。
(そういう練習をするし)
仮令あつこさんが、頭を下におしさげて身体を小さく縮めて、
ぺたんこのなりで「ちょっと私の話を聞いてよ!」と言ったとしても。
あつこさんという人の尊さ
ある種のアイデアに満ちた彼女を、オンリーワンとして聞こうという気持ち
これに変わりは無いんじゃないかと。
アレクサンダーテクニークを勉強してて言うのもなんだけれど、
どんな声でお話されても、その時のあつこさんなのだと思う。
そこの原点に、戻ることが、私にとっては必要な気がした。
もちろん、立体感を持つ動きのなかで発せられる声なら、聴いているだけで
自分にもひとにも質の違う何かが伝わっていくでしょう。
声の質感の違い、声というのは未整理で不思議に満ちているという感じ、
それらを味わっておられることを、読んだ上での感想です。
あと、
『音楽みたいに、一音一音、一音一音、ほんとはちがうことが起こっているんだろう。
どうやら「わたしの声」というものが固定的にあるわけではないらしい。』
と書かれていたところで、ピアノの調整を思い出しました。
むかし、家のピアノの調整をお願いする時に
「この楽器の個性に合うチューニングにしてくれたらいいです」と言ったところ、
チューニングは、場所や気温湿度、今メインにやりたい曲などによって変わるもの。
これ、と固定されたものはない。
まずはあなたが、今どんな音が欲しいのか、教えてくれなくては。
と言われたことがありました。
声も音も、こんな気持ちでこの言葉を言う!と思った瞬間に、立体の身体が
ぐわ~っとかしゅっとか動いて、そこから(つまり言語以外の情報をまとって)
発せられるものなのではないでしょうか。
私の個性・・・私らしい声・・・
確かにありそうなのに、それってなぁに?という感じです。
「この、素敵な感じ」という箱にいれた瞬間、ふっとどこかへ行ってしまうのかも。
いじょう