NY(次女編〜アレルギー〜) | 母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の膵臓癌発覚そして最期の時、バタバタしながら奮闘中の私の記録です。

次女が丸2週間の入院をして
結局、下痢の原因は不明のままでした。

退院してからは、2週に1度の通院
粉ミルクは特殊な粉ミルク
でも、生後3か月頃に再チャレンジの母乳はクリア!
飲ませてなかった母乳だったので、母乳の出が厳しかったですが…出るようになるんですね(笑)大量って訳ではなかったですが…

離乳食はかなり遅めにスタートしました。
腸への負担が心配だったので…
順調にいってるように思えた離乳食…
生後10ヶ月頃に豆腐を使った日でした
離乳食を食べて2時間経った頃
次女が突然の嘔吐!
それから嘔吐が止まらず、病院で吐き気止めをもらっても止まる事はありませんでした
病院で大豆アレルギーの可能性があるとの事で除去するように!と診断されました

その次はヨーグルトでも同様な事があり
その時から次女の食事から大豆と乳の除去が始まりました。
他の食品は幸いな事に反応が無かったので助かったのですが…乳と大豆はほとんどの食事に入ってたので全てが手作りに変更
離乳食が終了しても、おやつもお菓子は食べられず…いつも果物。
1歳のバースデーケーキは芋ようかん風…
長女の好物はアイスとチョコとパン…
どちらも食べられないので、次女がお昼寝中におやつ。
なるべく食事は見た目が同じように作りました。
食事で醤油も味噌も使えなかった為、複数のダシを取ってなるべく味に変化をつけながらの料理!

食事の影響で次女の体格は小さ目
身長も体重も小さい方
医者から甘い物をもう少し食べさせて!
そんな事を言われても…
あの時はずっとキッチンに立って
色々作りましたね…
頑張って作って出した料理を
次女はいつもニコニコ食べてくれるのが救いでしたよ(笑)

あの時は、子供達が寝た後に
これからの次女の食事の事を考えては、1人悩んでいた時でもありました。
その頃から、やはり日本に帰りたいと意識した時でもありました。