NY(次女編〜大学病院〜) | 母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の膵臓癌発覚そして最期の時、バタバタしながら奮闘中の私の記録です。

通訳の方から病状などを聞いた所

・下痢からの極度の脱水
・赤ちゃんは水分で出来てるような為に…生死が危なかった。
・生死が危なかったが、次女の生命力が強く、大きな声で泣いてくれたのが助かった1つの要因
・ここの病院はあくまで緊急で運んだ為、もう少ししたら小児科の大学病院へ移動。

とにかく点滴が入った為に命は大丈夫。

処置をしてくれたドクター達にお礼を言って、今度は民間の救急車で大学病院へ

そこでNICU(小児用ICU)に入りした。
担当医は白人のおじさん
そこの病院にはたまたま日本人の女医さんがいたので、通訳をしてくれました。
先ずは、下痢の原因…下痢の為に細菌なのかウイルスなのか、又はアレルギーか…いずれにしても原因不明

下痢が今だに止まってない為に
腸へのダメージが心配
などでした。
原因がわからない以上
母乳もあげれない…
そして、血液検査が頻繁の為にその都度針を刺さないといけない…
私にとってここからが精神的にキツかった…
泣きすぎて声を枯らしてる次女

NICUに入ってる間は夜は帰らないといけない私達…
後ろ髪がひかれる…側に居たいのに…
帰りの車は私は泣いてました。

翌日、状況は変わらず…
下痢が止まらない…
相変わらずの血液検査…もう刺す場所がない感じ…そこで、言われたのが「頭と首どっちがいい?」泣いてる間の次女はおデコと首の血管が浮き上がる…その血管で血液検査をするとの事。私はその場に居られず退出…旦那がおデコでと言っておデコで採血…さすがに直視出来なかったと旦那は言ってました。

翌日も変わらず、変わった事は輸血が必要と言われた事。血液が脱水で減ってしまったらしい。次女はA型。私もA型。私の血を!と言っても母親はいつか飲めるかもしれない母乳の為にダメ。旦那もA型。でも、今から旦那の血液検査をしてからだと時間が足りないと言われて、輸血用の血液を次女の身体へ

翌日、輸血のお陰で顔色は良くなったものの…下痢が止まらず。今だに絶食。私が抱っこすると私の胸に必死に顔を埋める仕草…涙が止まりませんでした。

少し下痢が改善されてきた時に、一度試しに母乳を飲ませてみたものの…下痢が悪化…
結局、次女の腸の内部はヒダが無くなった状態になってしまいました。

どうしたものか…このまま何も飲ませない訳にいかない…
生き詰まった時に、ドクターから…かなり特殊な粉ミルクを渡されました。
本来は使用は出来ないのですが、消化されてる粉ミルク…身体に入って、胃や腸を動かさずに済むミルク。
飲ませてみました。かなり少量から…すると徐々に下痢が改善されました。
数日様子を見て、NICUに入って1週間経過した後、やっと一般病棟へ!
一般病棟に移って2日目位で起きたのが…ブラックアウト(NY大停電)
まさか、大規模な停電になっているとは知りませんでした(笑)

特殊なミルクのお陰で一気に回復へ
私達からすると、助けてくれた粉ミルク!ですが…そこから大変でもありました。その粉ミルク…高い…っていうかバカがつく程高い!高級品ですよ!その後、その粉ミルクのお陰で貧乏に拍車がかかった我が家でした…(笑)