ボールペンと裏紙が転がってたのでなんとなく描いてみた。


人物描写は得意じゃない。


Ribbon in the sky ★


容姿だけで言えば恐らくこういう感じになるのだと思う。


ん~ちょっと違うけど、ああうまく書けない。もうちょっと男らしい顔がいいかな。


メガネ髪の毛ふんわり知的余裕漂ってる感じで

服装はジャンバー系よりPコートとかカッチリした服装の方がいいかも。


まぁ似合ってればどっちでもいいや。


髪は黒絶対黒!


黒髪の方が男の人は色気が出るよね。


身長は170cm以上がいいけど、無くても残念だなぁと思うのみ。


芸能人で言ったら、


福山雅治とか藤木直人とか西島秀俊とか櫻井翔君


みたいなのがタイプなんだろうと恐らく思う。


んーでもそれもちょっと違う感じするけど、


そう感じるのは脳みそがそれに反応しないからだと思う。


あとシナプスは可塑性であってそういった二次元の麗しきお顔に対する訓練や刺激がないわけで、だから学習がないのだと思う。


こんな顔の人が周りにいるはずがないしそんなの分かってるわかりきってるから別にいい。


だってそんなじゃなくても、ちっぽけな顔のそれぞれが私の住む世界の正常さを保ってる。


それが私にはすごく心地のいいものってことも、感じてるわけで、細胞レベルで。


大事なのは温度であり、動であり匂いとかそういう感覚で


だから顔とか容姿の好みっていうのは後付けもしくはそれに付随して生じた理想化やっていうのが私の思考。


別に夢を批判するわけでもない。

現実に染まる自分を悲しむわけでもない。

ただ大真面目に現実に凝り固められてるんだろうねあたしは。

完全に客観視できる。

完全に客観視しながら夢に200%浸ることも多分、可能。


だって結局は夢それも現実やから。


言うなれば、そんな現実が私は好きってことかな。


あと理想と現実は違うとかよく嘆いてる人いるけどさ、それって恋愛に於いては悲しいことかな。


理想って突き詰めていくと結局は自分に都合のいい人ってことになる気がする。


理想理想理想の先に見えるのって、強烈な自我にまみれた自分自身で、


相手のことなんか、それも恋愛においてはそのたった一人すら見えない。


それって、ほんまに誰かを愛せたことになるんかな。その分その人から愛をもらえたことになるんかな。


妥協できるって幸せやと思う。自分の自我に打ち勝って、その人を思える。


自分の殻をひとつ破ってその人のひとつを自分の中に取り込む作業。


繋がるってそういうことじゃないかな。肉体的であっても精神的であってもそれは一緒で。


恋愛においては多分、理想と現実は違わない。


理想は現実、それも心の中に一番近しい部分の延長線上にある。それを限りなく受け入れる限り、そこは恋愛においての究極だと思う。


恋愛は自我の産物だけど、それを取り崩すことでもあり、


足りない何かを埋め合わせてるのだけど、同時に何か大事なものを削ってる。


過剰でも不足でもだめで


そうやってバランスをとりながら発展していきながら、心の中にとてもあたたかく心地いいひとつの場所を見つける。


異性なんて吐いて捨てるほどいる、代替品のごとく。

満たされない何かを抱えて、自我の赴くままに出会ってはまた離れ。

それもいいけど、哀れに感じる。

それってすごく、哀れだと思う。

でも、そういう人って、気づかない。

真綿で首を絞められていることに気づかない。

心の中の無音に気づかない。

心の中の大事な不在に気づかない。

疲れては泳ぐ、泳いで泳いで対岸の理想を目指してへとへとになるまで泳ぐ。

いや泳がされてるんかも。

自分の中のどろどろした塊に。


恋愛っていう感情の湧所事態、異常なのかもしれない。


あくまでも人間は器なのだから、繊細さは必要なんだ。

自我という刃だけでは、自分も他人も救えない。

包み込んだつもりが、握りつぶしてる。


他人にも自分にも寛容でないと、恋愛は凶器にもなりえる。


私は愛についての色々を知らないから、本当に一方向でしか恋愛については考察できないけど


それでもこれだけは、本当に強く思う。


多くを感じたい。


恋愛っていう人間関係の究極において感じることはきっとムダにはならないし


真剣に向き合った分 深いところで自分の幅が広がると思うから。


今までしてきた数少ない恋愛の所々に、傷つけられたり傷つけたりしたけど、やっぱり学ぶこと感じることがあったのも事実。


それについては感謝してるすごく。


世の中には、知らないことがいっぱいあるな。


そしてそれがちょっともどかしい。