今、この瞬間を大事にしないで、いつ、どこで、誰を大事にするというのでしょう。
考えて見れば、私たちは今、目の前にいる人、目の前にあること以外に、大事にすることはできません。
昨日の人を抱きしめることは出来ないし、明日会う予定の人を、今、抱きしめることはできません。
今、目の前の人を抱きしめること。
その人に最大限、自分の笑顔を向けること。
「私の」持っている言葉を贈り物としてあげることです。
「私の口から出てくる言葉は、全て贈り物でありたい」と良寛和尚は考えていました。
自分は貧しい僧侶であるから、人に贈り物をしてあげたいが、あげるものがない。
だから、せめて言葉を贈り物としよう。
そして、自分の口から出てくる言葉は常に温かいもの、人を優しい気持ちにさせるもの、思いやりに満ちたもの、人を励ますもの、勇気づけるもの、心を安らげるものでありたい。
良寛和尚はそう思い、それを実践しました。
どんなときでも、どんなひどいことをされても、良寛和尚の口から出てくる言葉は、そういう珠玉(しゅぎょく)のような贈り物でした。
だからこそ、人には笑顔で接し、言葉は人を喜ばすことに使いたい。
心のこもった優しい言葉、それを愛語という。
口から出てくる言葉すべてが、珠玉のような贈り物、「愛語」でありたい。