2014.1 小石川後楽園 薄氷 | あおいとあさぎの旅行記 blue × blue journey

あおいとあさぎの旅行記 blue × blue journey

カメラの蒼生≪あおい≫と一緒にまわった、ひとりとひとつの旅のきろく。

静かに、静かに新年は明け。

底なしに冷える空気に身を切りながら、

ダウンコートにくるまって、ニット帽で耳を覆って出かける。


冬は少し色の少ない季節。

彩度を抜いた、落ち着きのある色味が世界を包む。

これは、春を待ち焦がれる効果があると個人的には思う。


新年、都心で訪れる初詣は、文京区の高台にある北野神社

別名「牛天神」とも呼ばれ、その名の通り牛が神の使いとして

来訪者を迎えてくれます。




牛の神様。







ここは牛を愛したと言われる、学問の神様菅原道真公を奉っている神社。

そういえば、九州の太宰府天満宮も牛の使いだったような。

草食動物特有の、のほほんとした微笑みが癒される。


ここの神社、さほど大きくはないのですが

境内に自然の石が奉られています。

なんでも、源頼朝公が奥州遠征の際にここで休んでいたときに、

夢で牛に乗った菅原道真公から「願いが叶う」ことを伝えられたとか。

それ以降、この牛に似た形の「なで石」をご神体として奉られたのが起源だそうです。

偉人たちの邂逅ってなんか運命的。


新年のお参りと、今年もよろしくお願いしますと心の中で告げて、

鳥居を再びくぐるときには、少し早い梅が咲いていて。




お見送り。







まだ咲き始めでしたが、この紅を見ると少しずつ季節の移ろいを感じることができる。

確実に進んでいるのだと。


牛天神様をあとにして、散歩がてら小石川後楽園に行ってみます。

東京の公園って、まわりを高層ビルに囲まれたりするので

緑と空と動物と、ちょっと異質な空間のように感じるのが面白いのです。


小石川後楽園は、江戸時代に水戸徳川家が江戸の屋敷の庭園として造ったもの。

黄門様・水戸光圀公の代に、彼の意見も取り入れて完成されたとか。

なるほど確かに、池を望む風景はとても美しい。




仮想雪山。







光圀公もさすがに東京ドームまでは予期していなかったかもしれませんが(笑)

真っ白なドームが、冬には雪山のように見えます。

これは新しい発見。


日陰には寒い日が続く証拠を見ることができる。




霜立ち。







子供のころはあちこちにあって、サクサクと踏み潰す感触が楽しくて。

霜柱も最近は、見ようと探さないとあまり見られないですね。

あ、でもそれは子供のころからそうかも。

探さないと見つけられないのはなんでも同じですね。


池にはたくさんのカモが泳いでいて。

いや、泳ぐというか水面を滑っていくというか。

水も冷たいはずなのに、寒くないのかな…。




水の轍。







カモが這っていくと、そのあとに必ず水の流線ができます。

レオナルド・ダ・ヴィンチもその昔、水の流れや波紋の広がりの様子を

ずっと観察し続けていたと言われていますが、その気持ちよく分かる。

流体の動きはとても不思議で、とても芸術的。


内庭のほうへ移動すると、そこはビルの陰であまり日が当たらなくて、

池には薄氷が張っていました。


氷の上に、かすかな太陽光線が反射すると、

歪んだガラスのように光は拡散し、やがて真空に消えていく。

これは冬の景色だ、とシンプルに思う。






光の通り道。











水面よりも、鈍く淡く光らせる。

それが凍るということ。

光の通り道が、こんなにくっきりと出る。

たどれば、太陽の居場所が分かる。


突然、池からたくさんのカモが陸に上がってきました。

足をひょこひょこと動かして、天に向いた尻尾を振りながら。

どうやら地上にご飯を求めてやってきたようです。


人が近づいてもあまり逃げる気配がないので、

都会のカモはハトのように、どうやら慣れっこらしい。

おかげ様で至近距離で写真を撮れました。




碧の瞳。







雄のカモは頭に勇壮な濃い緑色を持っていますが、

雌のカモは一見地味な感じ。

しかし、彼女たちが後ろ足の付け根の上あたりに持つ、

隠された宝石のようなターコイズブルーの羽根。

これがたまらなく好き。


本当に一部分でしかなく、ともすれば茶色い羽根たちに隠されてしまう。

秘められた碧。

なぜそうなのかは分かりませんが、だからこそ夢幻。


再び大きな池のまわりをぐるりと半周して、庭園の逆側へと出ます。

大堰川にかかる渡月橋。








紅一点。









飛び石の先に控える、月を渡る赤い橋は、

さながら臣下を従えた姫のよう。

紅一点とはまさにこのこと。

その目を奪うような美しさは、月に届くのかもしれない。


日暮れが近づいている。

その気配は、明確な夕暮れでなくても、空の様態で察せられる。




羽を広げて。







同時に、空は今日という一日がどうであったかも教えてくれる。

何か大きなことが特段なくても、良い日だったなぁ、と感じる。


小石川後楽園の門前に植えられていた牡丹の花に見送られて。







HAPPY END.










足元にひっそりと咲く大輪の花。

確実に明日の、その先を見ているような気がして。

新年のスタート、自分も前を向く。