私ってば、うっかりするといつでも数字のことを考えてたりする。

 

 

 

家で仕事してるから一応完全オフ(セッションも講座もなし)の日を週に1日作ってるのに、結局はブログ更新したり動画アップしたりして一日が過ぎてゆく・・・

 

 

 

今のところ楽しくやってるからいいんやけども。

 

 

 

そんな中、さっきお風呂で浮かんだことをちょっと記しておこうと思うん。

 

 

 

もうメモ代わりやな、このブログw!

 

 

 

それは「7」についてのお話。

 

 

 

7といえば職人の数字、自分と向き合う孤独なイメージの数字なんやけども、「私の周りの7の人は結構社交的です」というお声が割りと多いんよ。

 

 

 

実際、私の友人にも社交的な7がいる。

 

 

 

でね、よーく7の質について考えてみて、ハタと気づいたんよ。

 

 

 

7にはね「見せない」というワードがあるのよ。

 

 

 

「隠す」にニュアンスとしては近いかもね。

 

 

 

ひとりの世界の中で自分だけの研究テーマを誰にも見せずにぐぐっと掘り下げていく、というイメージ。

 

 

 

この「見せない」「隠す」というところがポイントなんよ。

 

 

 

一見社交的に見える7の人は、多分よーく観察すると「自分を見せてない」んやと思うの。

 

 

 

たとえば私の友人も、ものすごく明るくて社交的やけども、よくよく思い返すと何人かで集まった時も自分自身の話はしていない。

 

 

 

そして誰かの家に遊びに行くときには参加してるけど、決して自分の家には招かない。

行ってみたいと言われてもやんわりとスルーする。

 

 

 

自分自身のプライベートというか、深い部分を周りに見せないのよ。

 

 

 

そういう意味では、外面は7っぽくないけど、やっぱり細かく見たら7っぽいの。

 

 

 

なんて風にさ、「7っぽく見えないんですよね」という問いに対して、「それはなぜか?」を考えていろんな角度からチェックして「こういうことなのでは?」ってたどり着くのがめちゃ面白いの。

 

 

 

そしてこういう細かい観察を積み重ねることで、数字のキャラを組み立てていく。

 

 

 

それが面白いんだなぁ。

 

 

 

この面白さ、ほんまみんなにも知って欲しいわ~

 

 

 

今日のYouTubeは33クラブ。当てはまる人はどうぞ~

 

 

私がセッションで数字の並びからよく見ているポイント。

 

 

 

お持ちの数字の傾向は・・・

 

 

 

「人のため」か「自分のため」か?

 

 

 

責任感があるかないか?

 

 

 

お金との関係性はどうか?

 

 

 

エネルギー値は高いか低いか?

 

 

 

このあたりは必ず見てるかも。

 

 

 

もしもやりたいことがある方なら、その動機が数字のキャラと合っているかどうか。

 

 

 

見るポイントはいくつもあるし、数字の組み合わせは幾通りもあるし、目の前の依頼者さんの醸し出すものが数字と合わないこともあるし、我ながら毎度毎度よく読み取っているものだと思ったりもする。

 

 

 

今では数字が教えてくれることに絶対的な信頼を置いているから出来ること。

 

 

 

私はつい最近まで何かを絶対的に信じるとか頼るとかいうことがなかったので、それはなんとなく不思議な感覚。

 

 

 

過去に何かを教えたり知識を活かして伝える類の仕事をしていたときは、いつも何かしらの虎の巻を必要としてた。

 

 

 

それが手元にないときは、「わからないことを聞かれたらなんて言って誤魔化そうか」といつも恐れていた。

 

 

 

でも今は、数字に関しては大抵のことは答えられると思っているから虎の巻は必要ない。

 

 

 

私が「暗記」していなくても、数字がその場で教えてくれるから。

 

 

 

数字が教えてくれると信じることは、数字が教えてくれるメッセージを受け取れると自分を信じることでもある。

 

 

 

数字について話す場は、今では「自分の場所」だ。

 

 

 

自分の場所で自分を信じて誰かと向き合うのは、誇らしい仕事だと思う。

 

 

 

自分の頼もしさみたいなものを、今ようやく私は感じられるようになった。

 

 

 

数秘と出会って本当に良かったな、と思う。

 

さっきちらっと見たテレビで、大谷翔平さんのご両親が心掛けていたことに「子どもの前で夫婦喧嘩をしない」というのがあったらしいの。

 

 

 

「素晴らしいなぁ」と思ったし、そういう素晴らしい親御さんの元だからあんな風にのびのびと育つことが出来たんやろな、と思ったんね。

 

 

 

セッションしてても、大人になってから何かモヤモヤを抱えている方の中には、子どもの頃家の中の空気感がピリピリしてていつも親の顔色を伺ってたって人が多いんよ。

 

 

 

子ども時代の自分の行動を考えるときのベースが「親がどう思うか」になってると「自分で選ぶ」練習が出来ないし、自分の本当の気持ち(特に欲求)がわからなくなるのよ。

 

 

 

私は心理学もインナーチャイルドもアダルトチルドレンもその他諸々もきちんと学んだことはないから、学問的にどうかは知らないけど、これは今までたくさんの方とお話してきて思うこと。

 

 

 

そして自分自身を振り返っても思うこと。

 

 

 

「どうしたいの?」と愛を持って尋ねてもらって育ってこなかったら、「どうしたいか」をそのまま口に出すのはなかなか勇気がいることなんよね。

 

 

 

あとさ、最近のニュースで私が悲しい気持ちになるのは、きちんと親に愛されてこなかった弊害で若い女の子が男性の性的欲求を愛と勘違いすることね。

 

 

 

私はずいぶん早いうちにそのことに気づいていたので、数秘5の割にはそんな感じにならなくて済んだけども。

 

 

 

あのさ、自慢するようなことではないけど私、中学の頃グレてたんね。

 

 

 

だから性的に早熟な子たちも周りにたくさんいたわけ。

 

 

 

特に男子たちはね、「ヤリたくて」仕方ない感じやったよね。

 

 

 

不良男子たちはわかりやすく可愛い女子を好きになりつつ、性的なはけ口として自分たちの言うことを聞く子とそういうことをするのね。

 

 

 

私の周りで起こってたのは今のような性的いじめとしてのそれではなくて、ヤラれる方の女子が不良男子たちに憧れて嬉々としてくっついていた、というパターン。

 

 

 

性的に求められることを「必要とされている」とか「好かれている」と錯覚してたんやろね。

 

 

 

13~14歳の頃の私はすでにそんな感じの女子に対して哀れな目で見てたんよ。

 

 

 

「アホやなー妊娠せんかったらええけどなー」

 

 

 

みたいな感じで。

 

 

 

それは20歳過ぎてもやっぱり周りで起こってた現象で、男は都合のいい女とほんとに好きな女を結構くっきり区別するよなーと思いながら横目に見てた。

 

 

 

最近のニュースなんかでさ、ホストに貢いで売春で捕まった少女が「初めて愛されたと思った。だから役に立ちたかった」みたいなコメントしてるの聞くと、ほんま「この子の親~!!!(゚Д゚#)ゴルァ!!」って気持ちになる。

 

 

 

あのさ、「親には親の事情がある」とか、クソくらえと思ってんのね、私は。

 

 

 

汚い言葉でゴメンやけどさ。

 

 

 

親が子どもを捨てることはあっても、小さな子どもが親を捨てることはないんよ。

 

 

 

子どもには選択肢はないん。

 

 

 

だからちゃんと大事に向き合って欲しいと思うん。

 

 

 

もちろん私に子どもはいないから、親の立場から見たらまた別の意見があるかもやけどさ。

 

 

 

でも私は時々思うん。

 

 

 

私が子どもを持たなかったんは、一生子どもの立場からモノを言うためかもな、って。

 

 

 

みんな大人になって親になったら、親の立場でモノを言うやん。

 

 

 

自分が子どもやった時のことを忘れてしまう。

 

 

 

だから私のように親にはならず、いつまでも子ども側からの意見を言う大人も必要ちゃう? ってさ。

 

 

 

今はセッションで母の立場の人から娘や息子との関りについて尋ねられることも多いん。

 

 

 

私は子育てをしてないからあくまで数字を見ただけの話になるけども、と前置きしつつ、基本的には子どもの立場に立って考えてみたりもする。

 

 

 

でもさ、ちょっと「いいな」とは思ってるんよ。

 

 

 

子どもとうまくやっていくために数秘を知りたいと思うお母さんがいていいな、って。

 

 

 

それって愛やもんね。

 

 

 

子どもの適性を知りたいとか、どう接していけば心を開いてくれるか苦心したりさぁ。

 

 

 

真剣に向き合ってくれていいよな、なんてちょっと思ったりしてる。

 

 

 

おかしいよね。50代も後半のくせに。

 

 

 

多分、私はずっとこんな感じちゃうやろかと思ってる。

 

 

 

でもまぁそれこそ「しゃあない」とも思ってる。

 

 

 

だってそれも私やし。

 

 

 

そこらへんが過去数4から基本数5の自分のこの人生のテーマなんやろし、あとはうまいこと未来数9に着地させたろ、と思ってるん。

 

 

 

どんな風にそこに持って行ってやろかしらと考えるのは、結構楽しいんよ。

 

 

 

数秘はこんな風に随分私を助けてくれてる。

 

 

 

今日はなんかちょっと重い話になったかな。

 

 

 

たまにはいいか。

 

 

 

聞いてくれてありがとう。