気がしてるだけ | 霊能たかのりのブログ  

霊能たかのりのブログ  

不思議な世界へようこそ

先日、前回のブログのコメント欄に、僕が精神疾患をどう克服したか?という問い合わせがありましたので、今回はそれに関するブログにしようと思います☆


精神疾患って、ホントたくさんの病名があって、一つしか診断されない事が稀なほど、いくつもの病名を抱える方がほとんどです。

そりゃそうですよね…
人によって性格は様々なワケですから…

同じ症状になることのほうが珍しいくらいですよね。


例えば躁鬱(そううつ)の出方も様々だし、パニックの仕方も様々です。


ですから、僕が克服したやり方が正しいとも言い難いのですが…

でも僕がどう克服してきたかを語ろうと思います☆



そもそも、僕は精神疾患を起こしていた時、ホームレス生活をしていました。

それでも最初の頃は幾分かはお金を持っていたので、最初の一度だけ病院に行きました。

でも継続して病院に行って出費してしまうのを恐れ、どうせ働きもしていないし…と、薬に頼らずに日々をボーっと過ごしていました。


そして手持ちのお金が尽きてきた頃、何となく絵を描くことがしたくなり、紙と鉛筆と、それを入れるプラスチックのケースを購入。

多分3日目くらいだったと思いますが、僕の絵を見て『売ってくれ』と声をかけてくださった男性がいました。

そして僕の絵を一枚手にすると、1万円を僕に渡してくれました。

それをキッカケに、僕は画材を増やし、路上で絵を売るという事をし始めました。

その頃から、寂しかった孤独の時間は減り、街行く人とのコミュニケーションがとれるようになり、日々が楽しくなった事を覚えています☆

徐々に絵を買ってくれる人も増え、ご飯をお腹いっぱいに食べられる日も増えました☆

そんな日をしばらく過ごすうちに、ふとしたキッカケで似顔絵を描くことを覚え、更に安定した日銭を手にするようになり、ほぼ毎日、ご飯を食べることもできるようになり、身なりも少しずつ綺麗になっていきました☆



実はそんな頃には、ほとんど病状が出ることはありませんでした。


ここに大きなヒントがあると僕は思っています☆


一つ。社会的なシガラミのない生き方をしていたこと。

一つ。好きな事を毎日やりながら過ごせていたこと。

一つ。支配や命令を受けないコミュニケーションによって、楽しく人と接していたこと。

一つ。人の笑顔や涙に触れていたこと。また、寂しい気持ちを共有しあえる仲間やお客様に恵まれたこと。

一つ。毎日が恵まれた環境ではない為、ご飯のありがたさや、飲料水やお風呂がとてもありがたく感じられる日を過ごしていたこと。



これらの条件が、僕にとっては、どう考えても薬より効果的に心を癒してくれていました☆


そう☆
『心を癒す』ことがとても重要なんだと思うんです☆


とくに躁鬱(そううつ)やパニックと言われる症状には『癒し』が効果的に働くと思います☆


ただし、日頃から恵まれ過ぎた環境にいると、『癒し』が何なのか分からなくなるようにも思います。


『癒し』って、本当は他愛ない事だと思うんです。

温かいお茶を飲んだ時とか、お金がない時に百円マックでハンバーガーが食べれた時とか、野良猫に遭遇したとか。

そんな事でも癒されるんですよね☆


でも日頃からよい環境で過ごしていると、逆にちょっとした事が不満になったりします。

クーラーの効いた涼しい環境にいると、外の温度が不快に思えてしまいます。

好きな人と長いこと一緒にいると、むしろ不満なところが目立つようになり、つまらない気持ちで毎日を過ごすようになってしまったり(苦笑)


満たされ過ぎるのは、実は精神的に毒だと思うんですよね…



僕は幼少から精神的に不安定であり、一般的な常識から感性がズレていたのもあって、精神疾患する要素は先天的にあったと思います。

ただ、幼少の頃は、それでも不思議と楽観的なところもあり、心を閉ざし切ることはありませんでした。


大人になり、問題は起きました。

それは理由もなく、働けと言われるがままに働いてみた時でした。

何のために生きてるのか分からなくなったからだと思います。


そして、本格的に疾患したのはホームレスになった時ですが…

この時も、今まで築き上げたものが何だったのか分からなくなったからです。

絶望の淵に立っていた感覚でした。

やはり、生きてる意味が分からなくなった時でした。



でも、今思えば、べつに大した事じゃなかったんです☆

疾患を起こした理由は、『自分の想い描いていた理想からの絶望』だったんです。

自分の想い描いていた。


ようするに、思い通りにならない事が気にくわなかっただけ。

自我が強すぎて、自分の価値観は社会に通用しないと勘違いしていただけなんですよね。

『なんでこうなるんだろう…』って。



無理矢理に社会に順応しようとして、無理矢理に自分を主張して…

通用しなかっただけ。



僕はホームレスになる事で、上手いことその『自我の強さ』を打ち砕かれたので、プライドもへったくれもなくなり、些細(ささい)な事が『ありがたく感じた』ことが救いになりました☆


頭から常識や社会概念などの『偏見』がとれちゃったんですよね☆

例えば、『生きていく為にお金を稼がなければ…』なんて概念に脳ミソを占領されることはなくなりました☆

ホームレスですから(笑)


働いてないから、スーパー暇人になっていましたからね(笑)

暇つぶしに絵を描き始めたワケですし☆

ホームレスって孤独ですから、人と接する機会はホント楽しい時間でした☆


精神的な負荷が起きるのは、実は『価値観』が頑固になっているからなんですよね。

自分の価値観どおりにならない事を通じて、人を責めることのできない優しい自分が『自分を責めてイジメている』だけなんですよね。


自分を責めるから、全てが不幸のような『錯覚』に落ちいてるだけ。

上手くいかない事だけを見つめて、それが全てだと『錯覚』しているだけ。


真実とは全然違う世界に迷い込んでるだけなんですよ。

『妄想』の世界に。


だって実際は社会的に素晴らしい生き方してなくても生きられるし☆

大体、ほとんどの人は『スゴく見えてるだけ(笑)』だし☆

社会秩序に綺麗に沿った生き方しなきゃ生きられないワケでもないし☆


こんな大バカタレの僕でも平気な顔して生きてますからね(笑)

みんな僕を大層なスピリチュアリストだと思ってるかもしれませんが、確かに霊能力は持っていますが、ただのスケベオヤジですからね(笑)


そりゃ出会った人たちの笑顔や涙に感動し、もっと笑顔にしてあげたい!なんてカッコイイ事も考えちゃってますけど☆

でもたくさんの女性に会えるのが楽しいから、この仕事が続いてるんです(笑)



発想が自由になって、社会とか秩序とか常識とかってものから抜け出すことができれば、心は自由になって全然平気になれちゃうんです☆


自分で『駄目だ』とか『今は…』とかって決めちゃってるから動けなくなっちゃうんですよ。

ま、動きたくない時は動かなくていいんですけどね☆

でもずっと頭でそんな事ばかり考えてても、体を動かさないと、つまり行動してみないと、何も現実や現状を変えることはできません☆


ホームレスになる必要はないけど、どーせ社会のはばかれ者なら、いっそ『まとも』になるのをあきらめて(笑)

時間も気持ちも自由にしてみたらいいと思います☆


家族がいるから…とか、そんなのどーにでもなります☆

自分がワガママに振る舞えば、周りが何とかしてくれます☆

最悪、国が生活を保護してくれます☆

日本はいい国です☆


グチグチ言いながらも、何だかんだと優しい人達ばかりです☆


それに大してお金無くたって、全然生きられるし、思いのほか楽しく生きられるものです☆


『不幸』な気がしてるだけ☆

蓋を開けりゃ全然シアワセなんですよ☆

とくに日本で生きてるなら尚更☆


口やかましい国だけど(笑)

面倒なシステムや観念がいっぱいの国だけど(笑)


本当に素敵な国だから、絶対に世界一シアワセな国だから☆

世界一優しい国だから☆


難しく考えないで、もっと自由に生きればいいと思います☆

路上でドシロウトが絵を描いても生きられる国ですから☆


そのかわり、『感謝』を忘れない事です☆


『ありがとう』って何度も何度も、何に対しても、バカなくらい言っていれば、心はちゃんと解放されていきますよ☆


もう一度言いますが、『不幸になってる気がしてるだけ』ですから☆


本当にそれは真実なんですよ☆


自由な気持ちになり、感謝を日頃から感じ、ありがとうって心から言いながら過ごせば、シアワセな気持ちでいられます☆


ちなみに歌を歌ったり、聞いていたりしてもシアワセな気持ちになれますね☆

僕はホームレスの時、ほとんど毎日歌ってました☆


『シアワセ』は現実がどうなっているか?で決まるのではないですからね☆

気持ちが作ってくれているものですからね☆