石井紘基刺殺事件
2009/01/1021:45 1 0



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石井紘基(いしい こうき、1940年11月6日 - 2002年10月25日)
元民主党衆議院議員
2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で指定暴力団山口組系の右翼団体『守皇塾』(構成員は本人一人のみ)代表・伊藤白水に柳刃包丁で左胸を刺されて死亡。享年62。


■事件
2002年10月25日(読売)

25日午前10時35分ごろ、

民主党の石井紘基衆院議員(61)
(東京6区)が、

東京都世田谷区代沢1の自宅前で男に刃物で刺され、目黒区内の病院に運ばれたが死亡した。
男は現場から徒歩で逃走、

警視庁捜査1課と
⭕公安部
(不思議なのは殺人事件では公安は出て来ないが、何でいるの。)

は殺人事件として
北沢署に特捜本部を設置、捜査に乗り出した。
 
調べによると、男は無言で石井議員に近づき、

【左胸の上部1か所を柳刃包丁のような刃物で刺した】



憲政記念館に展示してあった実物です。
スーツの右側にも切られた跡があります。

年齢50歳ぐらい、身長約1メートル70。グレーのジャンパー姿で、頭にバンダナのようなものを巻いていた。
男は京王井の頭線池ノ上駅方向に逃走、
現場近くでは、犯行に使われたとみられる刃渡り約30センチの包丁が見つかった。

 衆院第1議員会館の石井議員事務所によると、この朝、
公用車の運転手が同議員を迎えに行き、議員が自宅から出た直後に襲われた。
石井議員は午前11時に世田谷区内で支持者と会った後、東京・永田町の議員会館へ向かう予定だった。

 病院から石井議員の事務所に入った連絡によると、
⭕石井議員は心肺停止状態で運びこまれ、

午後零時5分、失血死した。

同議員の左胸には横に約3センチの刺し傷、下あごにも約5センチの切り傷があったという。



これは憲政記念館に展示してあった実物です。

10月26日 (http://www.geocities.co.jp/04/20021026i303.htmより引用)

民主党の石井紘基衆院議員(61)(東京6区)が、東京都世田谷区の自宅前で刺殺された事件で、石井議員と面識のある右翼の男(48)が26日朝、

警視庁本部に出頭した。

男は犯行を認める供述をしており、同庁北沢署の特捜本部は殺人容疑で逮捕状を請求するとともに、取り調べを始めた。容疑が固まり次第、逮捕する。男は昨年秋ごろから、石井議員に対し金銭を要求するなどしていたと見られ、同本部で詳しい動機を追及する。
 男は同日午前7時前、東京・霞が関の警視庁本部の正面玄関受付に1人で出頭してきた。調べに対し男は、「自分がやった」と供述している。
 調べによると、男は25日午前10時35分ごろ、同区代沢1の石井議員宅の前で、迎えの公用車に乗り込もうと玄関を出てきた石井議員に近づき、刃渡り約20センチの柳刃包丁で左胸上部などを刺し、失血死させた疑いが出ている。
 包丁を事前に準備し、同日午前8時ごろから待ち伏せして犯行に及んでおり、

【石井議員の左胸には背中に貫通するほどの傷が残っていた】

 同本部は、残忍な手口から、恨みによる計画的犯行とみて石井議員の周辺トラブルを捜査していた。これまでの調べや関係者の証言によると、男は昨年秋ごろから、石井議員の世田谷区内の事務所や永田町の議員会館の部屋を頻繁に訪れ、秘書らに「(石井議員に)金を貸している。仕事を紹介しろ」などと執ように迫っていた。また、今年春ごろからは、「都庁幹部を紹介しろ」などと要求をエスカレートさせ、そのたびに石井議員側に断られていたという。同本部は、こうした一連のトラブルで男が石井議員に恨みを持っていた疑いが強いとみて、行方を追っていた。

 男は右翼団体を主宰し、政治団体の届け出もしていたが、警視庁によると、構成員は本人だけだったといい、今月中旬に、住んでいた同区奥沢のアパートを出た後、行方がわからなくなっていた。 (10月26日13:06)

■事件の謎


伊藤白水容疑者 (書面審理のみで2005年11月15日最高裁判所で上告が棄却され無期懲役が確定)

1.刺殺の手際の良さ 一突きで死傷。

2.犯人は被害者と顔見知りにもかかわらず無言で刺殺。

3.現場からすぐに逃走。

4.返り血を浴びた衣服などの「秘密の暴露」が一切ない。

5.犯人のバンダナの謎 (目だって周囲に印象を残す)。

6.革新で不正追求する側の石井紘基議員に金を無心する不可解。

7.逃走したのにすぐに警視庁本庁に出頭。

8.伊藤容疑者の背格好が目撃情報と違う。

9.伊藤容疑者は顔見知りなのに襲われた時、石井代議士が「誰だ!」と叫んだ。

10.石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。

⭕・家族の証言

「あの日は、朝、庭がごそごそいうので、前に頼んでいた庭師かな?
 って思って、インターホーンで聞いたら『XXX』って言って行ってしまいました。
窓から見ると坊主頭でバンダナを巻いた屈強な男でした」

「石井はひとつきで刺されました。下りてみると、ナイフを引き抜いているところでした。
すぐに警察に電話をしようとしたのですが、
⭕最初は電話がぜんぜん繋がらなかったんです」

やっと電話がつながり、最初にパトカーが数台来た。しかし多すぎた。

あとから来た救急車は道路をふさぐパトカーのおかげで、石井の家までなかなか辿りつかなかった。

パトカーが道をあけなければならなかった。

その間、石井は出血しつづけていた。

「不思議なのは、救急車にやっと乗って病院に向かった時間にすでに.、テレビのテロップに石井紘基死亡って流れていたんです。
国会でももう、犯人は右翼の伊藤白水(はくすい)ってメモ書きが議員の間を行き来してました。

伊藤はXX日前に怪我をして事務所に傷の手当てを受けにきたりしていて、そんな人が石井を殺すなんて!」

■他の事件との類似

一撃での刺殺、犯行現場から逃走、数日後の土曜日(警察の非番日なので2日稼げる)警視庁本庁に出頭、単独犯を強調、

意味不明な動機など、

元厚生事務次官襲撃事件との共通点は非常に多い。

同様に、動機の不可解さや、単独の右翼団体等、オウム村井秀夫刺殺事件との共通点も多い。


■石井紘基が追っていたもの

「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 当日「国会質問の最終準備を予定」(日刊ベリタ スクープ 2005年12月22日)

  特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)


山田洋行オーナーによる資産隠し疑惑 (Wikiより抜粋)

山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。

多額の負債を抱えた山田洋行の親会社「弥生不動産」の債務回収は東京相和銀行から「整理回収機構」(RCC)に移行されている。当時、融資の担保になっていたのは銀座にあるクラブが入居しているビルなどである。通常、整理回収機構はこうした担保物件を別会社等に売却して資金回収をするが、現在もこれらビルは弥生不動産所有のままで、整理回収機構の担保設定は解除されている。
 しかしながら、整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
 山田正志は、田村秀昭元参院議員や、宮崎元専務から飲食接待を受けた久間章生元防衛相と懇意だったとされる。


■石井紘基とオウムと統一教会
『オウム事件は終わらない』 (石井議員 談)

僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。

■裁判の経緯
(故・衆議院議員石井こうき事件真相究明プロジェクト より)

書面審理のみで、2005年11月15日、最高裁判所で、上告が棄却されました。
無期懲役が確定しました。

しかし結局、犯行の動機も真相も藪の中です。
控訴審
05.1.25(火) 13:30~ 控訴審第1回公判(725号法廷)
05.3.24(木) 13:30~ 被告人質問(主尋問1時間30分)
05.5.12(木) 11:30~ 結審
05.6.30(木) 11:00~ 判決


原審
02.10.25(金) 事件
02.11.18(月)  起訴
03.01.21(火) 10:00~12:00 第1回公判(425号法廷)
03.2.20(木) 15:00~17:00 第2回公判(425号法廷)
03.4.22(火)  10:00~12:00 第3回公判(425号法廷)  秘書1への尋問
03.5.13(火) 13:30~16:30 第4回公判(425号法廷)  秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
03.6. 9(月) 10:00~12:00 第5回公判(425号法廷) 
03.6.26(木) 13:30~16:30 第6回公判(425号法廷) 
03.7.18(金) 13:30~16:30 第7回公判(425号法廷)  警察官への尋問、被告人質問
03.9.1(月) 13:30~16:30 第8回公判(425号法廷)  被告人質問
03.09.22(月) 13:30~16:30 第9回公判(425号法廷)  被告人質問(検察側)
03.10.29(水) 10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
03.11.14(金) 13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
03.12.24(水) 10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
04.2.6(金) 10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
04.3.5(金) 15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
04.3.24(水) 13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
04.4.27(火) 13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
04.6・18(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。

■そして闇へ

整理回収機構に関する政財会の癒着、

オウムの覚せい剤製造と、その販売ルートでの暴力団の影、

その後明らかになった山田洋行の防衛庁官僚との癒着、

内閣府の機密費の闇、

厚生省の年金流用疑惑、

彼が抱えていた問題と、犯行手口の類似した事件との関連を考えると、

この事件が、とち狂った右翼の単独犯とは到底言えない。

⭕彼のような本物の政治家が殺されて、

本当に残念である。心からご冥福をお祈りする。

然しながら、この国のマスコミの対応には、改めて幻滅する。
彼らがするべきなのは、誰でも知っている石井氏の足跡をたどる事ではなく、

彼がたった一人で集めた六十三箱の遺品となった資料を分析し、
今も甘い蜜を吸い続けている、彼が戦っていた者の正体を究明する事である


受刑者はこの鞄の中から国会提出書類を持って逃走した。