女子高生コンクリート詰め殺人事件 [週刊誌:週刊特報] | ブログ

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週刊特報 2004.7.26
16年前の女子高生コンクリート詰め殺人
犯人の元少年が監禁致傷事件で逮捕


凶悪少年犯罪の走りとして、戦後犯罪史にも特筆される「綾瀬・女子高生コンクリート詰め殺人事件」(88年11月)。あの重大事件でサブリーダー格として逮捕、服役したK容疑者(33)が再び監禁、障害事件を引き起こし逮捕された。その無反省ぶりは少年犯罪の保護・矯正制度のあり方に一石を投じるほどだ。にもかかわらず、今回の事件発生から逮捕に至るまでの警察の動きは緩慢でマスコミの報道もなぜか消極的だ。

K容疑者が知り合いの男性店員(27)を、監禁して殴る蹴るの暴行を加えたのは、5月19日深夜のこと。

「全治10日の被害を受けた男性は花屋の店員です。Kは男性が自分と交際している女性を匿っていると邪推し金属バットで脅して、母親(58)の経営する埼玉県三郷市内のスナックに拉致して殴る蹴るの暴行を加えた。悪質なのは『コンクリート詰め事件の主犯は俺だ』、『一人殺すも、二人殺すも同じだ』などの脅し文句を使っている点。自分が犯した凶悪犯罪を逆手に取るふてぶてしさで反省の気持ちなどまったくない」(捜査関係者)

K容疑者は前回の事件で「懲役5~10年」の不定期刑が確定。少年刑務所に7年、一般刑務所に3年服役して5年前に出所した。現在は埼玉県八潮市内に住み、コンピュータ関連会社にアルバイトのオペレーターとして勤務していた。

住まいの八潮市といい、今回の事件現場の三郷市といい、16年前の大事件の記憶を生々しく蘇らせる。殺害された女子高生は八潮高校の生徒、彼女の実家は三郷市内だった。言語を絶する悪辣さに一部週刊誌が少年4人の実名報道に踏み切ったあの事件。当時取材に動いたフリージャーナリストが、こう振り返る。

「悪夢の一言に尽きる事件でした。卒業を前にプラスチック工場でアルバイトをしていた女子高生をKら狡知にたけた4人の少年が当たり屋も舌を巻くダマシのテクニックで足立区内の民家に誘い込み、40日間余りも監禁して輪姦、暴行を繰り返した上に殺害。遺体をドラム缶に詰めコンクリート漬けにして、江東区内の埋立地に遺棄したんです。当時17歳だったKの苗字はOでした」

実はK容疑者は、八潮市内のある名家の縁者。アルバイト先のコンピュータ関連会社も、その一族が経営する会社だという。

今回の事件で警視庁の竹の塚署が、K容疑者の逮捕に踏み切ったのは犯行から2週間後の6月4日。過去に世間を震撼させるような重大犯罪を犯した人物の捜査にしてはスローモーに過ぎよう。地元の事情通が言う。

「一族の関係者には、防犯協会の有力者や区議もいるそうだから警察の捜査もおのずと緩やかになったと見るムキもあります」

朝毎読など有力紙が、全く事件を報じなかったのはなぜか?
「産経新聞のスクープだからです。抜いたのは日曜日の朝刊(7月4日)、他紙は特オチにならざるを得ませんでした」(警視庁詰め記者)




週刊特報 2004.8.9
綾瀬女子高生コンクリ詰め殺人犯 鬼畜元少年の正体
「こんな極悪非道な凶悪犯罪者が、5年や10年で更正するのか」


日本中を震撼させた『綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件』(以下コンクリート殺人)が世間に報道されたのは昭和天皇の崩御と時を同じくした89年1月。あまりの非道な手口、鬼畜としか表現できない凶暴性…当時検察側は無期懲役を求刑するなど、厳しい態度で裁判に臨んだが主犯の少年以外、2年後に下された判決は懲役5年以上10年以下という不定期刑で遥かに軽いものだった。

果たして数年の刑期で許されるのだろうか…多くの人がそんな疑問を頭によぎらせたはずだ。
それでも人々は少年たちの更正を信じた。事実、2番目に罪が重いとされた主犯格の“少年B”を公判で担当した、弁護士の伊藤芳朗氏は「接見を繰り返すうちに少年Bは被害者の名前を聞いただけで涙ぐむようになりました。自分の親子関係に対する不満がたまった挙げ句に心が荒れ、こういう事件を起こしてしまったという非行のメカニズムを彼自身が理解したからです」と語っていた。

神作譲、33歳。一連のコンクリート殺人の報道において“少年B”として扱われた人物である。
5年前に出所したこの神作なる人物、新聞や雑誌などによる報道で目にされた方も多いだろうが、今年の5月、再び監禁暴行事件を起こすことになったのである。愚かにも、かつてのコンクリート殺人と同じ土地で…。この男の神経は、いったいどうなっているのか?小誌は、神作と刑期を共にしたある人物と接触「涙ながらに反省した」という弁護士の言葉とは裏腹に反省の色などまるでない、神作の刑務所での生活ぶりを赤裸々に語ってもらった。

今回の事件のあらましを簡単に説明しておこう。
被害者の男性が足立区の自宅へ帰ると、神作が待ち構えていた。被害者と神作は知人のツテで知り合うが家に押しかけてきては女の話で絡むようになってきた。そして5月19日の深夜、男性を金属バットで脅迫し車のトランクに押し込み約40分車を走らせた後、親の経営する埼玉県三郷市内のスナックで約4時間監禁した。

「オレの女を知っているだろう、お前が取っただろう」
などと脅迫し殴る蹴るの暴行を加えた後、被害者を解放。竹の塚署に被害届けを提出し、神作はすぐに逮捕された。しかし警察の調べに対しては「ちょっと、やりすぎた」と軽々しく語った。今回の事件では「反省している様子なんてなかったです」との意見もある。

神作の無反省ぶりは今回の事件が起こる以前から明らかだった。弁護士が「涙ながらに反省している」と伝えた神作の様子を、ともに刑務所内で過ごした男性、山田義樹氏(仮名・32歳)は語り始めた。

「刑務所の中でも、来る前から噂が広まっていました。『川越』から有名人が来ると言われていて、彼が新入者への職業訓練で姿を見せた時“コンクリートが来たぞ!”と言われたほど」

山田氏は神作と同世代である。当時、愛知県在住の暴力団構成員(現在は一般人)で10代の頃、ある事件により3年の実刑判決を受けた。神作と出会ったのは奈良少年刑務所だという。主に26歳未満の初犯者を対象としている同刑務所で、神作は川越少年刑務所から移送されてきたのだという。

同刑務所では受刑者同士、ニックネームで相手のことを呼ぶことがあり、神作は事件名そのままに“コンクリート”と呼ばれていた。同刑務所では、基本的に独居と呼ばれる1人部屋に入るが部屋を出て集団活動を行なう際、他の受刑者と接触できる。山田氏が神作を初めて見たのは集団入浴の時である。

「彼は体も大きかったんで、余計に目立っていました。色白で細い目をしていたんですが、何というか表情が暗い感じだったのを覚えています。なかなか話す機会はなかったのですが、彼が入所して3ヵ月ほど経ってから同じ革靴工場に配属されたので昼食後や運動の時間などに会話するようになったのです。

最初は自分が“どれだけ刑を受けたのか?”と聞くと“5~10年の不定期刑だ”と答えたのがきっかけですね。あまり自分から話をせず、周りが笑っているときでも笑わないような男なので、その分冷酷な顔に見えました。たまに笑顔を見せても目だけは笑っていないような気味の悪い印象を受けました。誰とでも話すようなこともなく常に決まった人間としか話をしませんでしたね」

刑務所内では、会話を許される時間もあるのだが自分が起こした事件について話すことは禁じられている。それでも神作に関しては事件があまりにも有名だったためか、それを聞こうとする者が後を絶たなかったようだ。

「事件のことを聞いても“それは話せません”って断られましたね。でも、それは反省しているからでも思い出したくないからでもなく、ただ懲罰になって刑期が延びるのを気にしていたからだと思います。事件のことではなくても禁止されている話題が出ると避けていましたから…。彼は不定期刑だったので特に刑期のことばかり気にしていました」

考えるのは1日も早く刑務所を出ることだけ、おそらく神作の頭の中には、それしかなかったのだろう。だが時が経つにつれて、そんな緊張感も薄れたのか事件について口を開くようになった。

「確か、あれは運動で一緒に卓球をやっていた時でした。自分から“コンクリートに埋めた時に手が飛び出てなければ、あれバレなかったんだよなぁ”って言ったんです。そのうちに“他にも数えきれないくらいの輪姦をやったけどバレなかった”とか“事件は記事になってないことの方が多い”なんて平然と話していました。刑務所にはいろんなワルがいますけど、やっぱりコイツは極悪非道なんだと肌で感じました。“俺は暴力団関係の本部長をやっていた”なんて自慢していましたし反省なんてとんでもないです」

山田氏によると更正を目的とした場所においてさえ、弁護士が“反省していた態度”というものは全く見られなかったという。

そして神作は刑務所内の親しい人間で派閥を作り、数え切れない武勇伝を持つ猛者の集団において『ボス』として君臨するようになったという。

「五目並べをする時間が奈良少年刑務所にあるのですが、そこでコッソリ賭け事をするんです。飯のおかずとか果物を賭けるような、お遊び程度のものなんですが、そこで取ったものを自分の子分に分けたりするなど神作の集団は仲間意識が強い感じでした。自分より刑期が短い人間は妬んでいるのか冷たく見下すような態度を取って自分と同じように不定期だったり長期間の受刑者とだけ親しくする傾向がありましたね。

そのうちに自分の子分が他の受刑者から嫌な思いをさせられると、すぐに仕返しをしたりするようになったんです。同じ部署に全部で50人くらいいましたけど3つのグループに分かれていて彼は派閥同士のケンカをよく起こしていました。刑務所の生活に慣れると見えない所で喧嘩することも可能でしたし看守が見て見ぬフリをしたり、ちょっとしたケンカなら面倒なのか黙認して事件にはならないんです。その分、陰に隠れて激しく争うようになってしまったんです」

喧嘩を日常茶飯事とする、刑務所内での神作の姿を見た山田氏はこう結論づけている。

「本当は会って直接、ムショに戻るようなことはやめようと呼びかけたいんですけど、まず更正なんてしないでしょう。彼は刑務所内で他の受刑者から犯行の話を聞いたりしていたし、余計に悪事を覚えたんじゃないかと思うくらいです。それに刑務所生活を実際に味わってみれば、こんなものかと慣れっこになってしまって…刑務所に対する恐怖心もなくなりますから、また同じ事をやってしまうんです」

仮出所を果した後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結んでまで現在の名字に変え、人生の再出発を試みた神作だが山田氏の言葉通り再び罪を重ねてしまった。しかも罪もない人を拉致監禁し暴行するというコンクリート殺人と同類の犯罪である。

実は出所後の足取りも反省とはほど遠いものであった。今回の再犯事件の警察関係者はこう語
る。

「出所後は関東地方の某県にいたが2年ほど前に地元に戻ってきていた。あれだけの事件を犯した土地に戻るということは通常なら保護観察の方で制止するんだが、そこには強制力がなく結局は本人の強い意向で地元に戻ってしまった」

報道により、今回の事件は神作の住所が埼玉県八潮市であることが明らかになったが、ここはコンクリート殺人の被害者女子高生が住んでいた土地でもある。また事件を起こしたのも前回と同じ足立区。並みの神経なら考えられないことである。

この八潮市や足立区界隈では同世代の若者たちの間で神作のことが大きな話題となっている。その1人である神作と同年齢の男性が明かす。

「奴が戻ってきたとは聞いていたし、電話をもらったとか実際に顔を合わせたという話も聞いた。でも、みんな奴とは接したがらない。あれだけの大事件を犯したから少しでも親しくしたら昔の事件とも関わっていたんじゃないかっていう目で見られてしまう。そういうのは奴も察しているんだろうけど、本音はコンクリート殺人で逮捕されたことを、いまだに“誰かがチクったんじゃないか”って疑っているらしく、チクった奴を探している、と聞いたこともある。あの時一緒に逮捕された元の仲間についても、探す素振りを見せていたらしい」

神作を知る者たちが戦々恐々とするのも無理はない。日本では少年犯罪者の再犯率は約30%と言われている。それを受けてアメリカではミーガン法という犯罪の前歴を地域住民に公開する法律が制定されている。しかし日本では犯罪者の人権を尊重するあまり、こうした制度については遅れをとっている。

実際、彼を目撃したという人物からは彼が暴力団風の人間たちと一緒に行動していたことも伝えられている。

「八潮市のキャバクラに頻繁に出入りしているところを何度か見かけました。高級車で乗りつけて、かなり羽振りが良さそうな感じでしたね。髪を金髪に染め、普通の会社員には見えない風貌でした」(八潮市に住む飲食店経営者)

本来、遺族への慰謝料の支払いをすべく地道に働いていなければならない立場の神作だが、その生活ぶりもまた本来あるべき姿とは違ったものだったようだ。犯罪事件に詳しい筋からは「神作が名字を変えたのは遺族への慰謝料(推定4人で2~3億円)の支払いから逃れるためではないか」という指摘もある。

今回の再犯で検察側が神作にどの程度を求刑し、そしてどんな裁定が下されるかは分からない。
だが『例え実刑でも、前回より長く入ることはまずない』とする専門家の声が大半だ。

「俺は弁護士や検事の扱い方に慣れている」

神作は戻った地元でこう豪語していた。弁護士の前では涙を見せていても、ドス黒い腹の底では
不敵に笑い無反省としか思えない刑務所生活を送った神作。今回も“顔で泣いて心で笑う”つ
もりなのか。