女子高生コンクリート詰め殺人事件 [犯人] | ブログ

ブログ

個人的に興味のある事を書き連ねたMEMOブログ


▼A(主犯格) 宮野裕史(当時18歳) 1970年4月30日生まれ

父:証券外務員(当時47歳)
母:ピアノ教室講師(当時47歳)
妹:学生(当時11歳)
事件後、両親ともに辞職

当時から父は愛人宅にいて家庭は崩壊しており夫婦仲に問題があった。小学校の頃には既に問題行動があった。話し上手で面白いという評判もある。小5でパンチパーマ。ヌンチャク、木刀を持ち小学校に「殴り込み」をしたことがある。「悪いことはかっこいい」と思っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。卒業文集には「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。だから悪いことをやった奴の気持ちがわかる。オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う」
中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。体型は小柄(160cm)だったが練習熱心で3年の時に都大会で2位になり東海大付属高へ推薦入学。高校の柔道部の先輩、顧問に体罰を受ける。その内容はAの父親が裁判所に訴えたほど酷く、殺虫剤にライターをかざしあぶるなど度を越したものだった。憂さ晴らしに街で手当たり次第に喧嘩を売るようになり、家でも物を壊し母親に肋骨を折る重傷を負わせたこともある。
高校を中退、中学の頃から付き合っていた同級生(Dの姉)と同棲。18になったら結婚しようと1年半、タイル工として真面目に働くが自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い銀座の生花商でアルバイト。やめられる雰囲気でなく現実逃避するためにシンナーを始める。シンナーを吸っている時にしか楽しいと感じない生活。
暴力団の組織「極青会」を作る。


前科:在学中に体罰を受けたことを動機に東綾瀬中学に乱入、窓ガラスを割るなどして補導、保護観察処分に。
最終判決:懲役20年
猥褻誘拐、略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄、傷害、窃盗

判決後、Aの両親は家を売り、計5000万円を被害者の両親に支払う。




▼B(サブリーダー) 小倉譲(神作と改姓して神作譲、当時17歳) 1971年5月11日生まれ

父:運送会社の配達員(当時42歳)愛人との間に2人の子供がいる。
母:都内デパート勤務を経て、結婚後は得意だった洋裁で内職。父親が女に走り別居。その後水商売にて一家の大黒柱に(当時43歳)
姉:私立高校卒業後、都内会社員(当時20歳)

東京都足立区女子高生監禁リンチ殺人事件 神作譲の再犯
産経新聞ニュース(2004年07月04日)

コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕
昭和63年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年4人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが3日、分かった。
逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、神作譲容疑者(33歳)。
調べによると、神作容疑者は5月19日午前2時ごろ、東京都足立区花畑の路上で知り合いの男性(27歳)に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み約40分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「俺の女を知っているだろう。どこへやった」などとして約4時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治10日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。神作容疑者は先月4日、竹の塚署に逮捕され、東京地検は同月25日、逮捕監禁致傷罪で起訴した。女子高生コンクリート詰め殺人事件では、平成3年の
東京高裁控訴審判決で主犯格の少年に懲役20年などが言い渡され、4人の実刑が確定した。
神作容疑者はサブリーダー格として犯行に加わり、懲役5-10年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。

小倉という姓でしたが、先の女子高生殺害事件のあと、埼玉県の篤志家、神作某氏の戸籍上の養子になりました。神作某氏は少年犯罪者の更生に力を入れている人で、こいつを戸籍上の養子にすることによって姓を変えさせ、社会復帰しやすくなるよう配慮をした人です。そういう篤志家の誠意も踏みにじったのです。


犯行現場は神作譲の実母が経営するスナックで今回の暴行事件は起こった。

スナックACB(アシベ)
住所:埼玉県三郷市三郷1丁目8-7
TEL:048-952-6859




▼C 湊伸治(被害者の監禁場所の次男) 1972年12月16日生まれ
JR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほど歩いた住宅街。玄関と二階ベランダが南欧風、3DKの建て売り住宅。約100平方メートルの敷地いっぱいに建っていて、両隣の家とは人がやっと入れるほどの狭さ。近くに小さな公園有り。事件の13年前、一家は同じ足立区内から引っ越してきた。

父:病院の事務長(当時48歳) 子育てはすべて母親任せ。
母:同病院の看護婦(当時47歳) 事件後、23年間勤めた診療所を辞職。
兄:学生(当時17歳) 小倉譲(サブリーダー)と中学の同級生。一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで沈黙を守る。

仕事一筋の父親はきびしい体罰をふるった。少年が決められた家事の分担をしないことなどを母親から相談されると少年をたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり深夜外へ引きずり出して公園を走らせたこともある。
父親は毎晩酒を飲んで帰宅した。少年とその兄(18歳)は「週に1回は殴られていた。ぞっとするほど怖かった」と、弁護士に証言。父親は「月に1度いや、年に数回しか殴った覚えはない」と述べている。父親が体罰をしなくなったころ、C少年の家庭内暴力が始まった。
通っていた公立中学校は進学名門校だったが、ここでも教師の体罰が横行していた。生徒は毎日のように殴られた。C少年も、バスケット部顧問の女性教師になぐられ退部。
中学でAの2年後輩。工業高校に入るが2学期には中退。
この事件が発覚した際、別件で既に栃木の少年院に送られていた。東京に呼び戻し逮捕。


前科
バイクの無免許運転で補導「保護観察処分」
最終判決:懲役9~5年(少年刑務所で満期。すでに出所)
猥褻誘拐、略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄、窃盗
弁護側は傷害致死(殺意がなかった)を主張

Cの両親は2人とも共産党員。警察が逮捕状を取った段階で弁護士を用意し、家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。党は、事件後すぐの段階でCの両親を除名、党とは一切関係がないと発表。そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」等のCの母親の自己弁護的記事を、機関紙赤旗によって5/20-5/27連載コラムでバックアップ。Cの母親は毎回欠かさず裁判を傍聴している。

両親が共産党員であったため、警察はマスコミを恐れてなかなか家に踏み込めなかった。




▼D 渡邊恭史 1971年12月18日生まれ
父:5歳の時に離婚。その後まもなく交通事故で死亡。
母:美容師(当時44歳) 離婚後、生活保護を受けながら時計部品の工場でパート勤務。
姉:学生(当時18歳) 母親との面会拒否の為、面会・差し入れを続けていた。Aと付き合っていた。




▼E 中村高次
宮野、小倉、湊からささいなことでリンチにあう。
現在は地元スナックでこの事件のことを面白おかしく語る無反省人間。




▼F 伊原真一
結婚し娘をもうけ、新聞配達員を経て、某建築会社で社員として働いている。




▼G 湊伸治の兄