波瀾万丈、激動の人生、初代葵マリーと呼ばれた日々 | 夢は叶う

波瀾万丈、激動の人生、初代葵マリーと呼ばれた日々

葵マリー女王様。 








私は30代をこのような呼び名で呼ばれて過ごしました。      













赤坂ブルーシャトーと言う城の中に君臨する私はいつもオートクチュールのドレスに身を包み、     












エルメスのバックを持っていましたが、      






さてその中味は? 









絹の特注の縄、皮の特注の鞭、特注のローソクだったのです。    





ビックリ致しましたでしょうか? 






銀座のクラブ、赤坂のクラブ、それとは感覚が全然違う、赤坂ブルーシャトーのオーナーママだったのでございます。    














やれば出来る。 







あのやくざの女だった大平光代さんだって、弁護士になったではありませんか?    












私も今は、お水も風俗も捨てて、 








カルチャースクール校長、美容エステオーナーです。 







やれば何でも出来ちゃいます。  






貴方も貴女も、 





やれば何でも出来るのでごさいますねえ。