感想文を超えた・和歌山県最優秀作品・水本梨々華 | ひでの天声時評(甘辛ブログ)

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 毎日新聞社主催、第61回青少年読書感想文コンクール和歌山県最優秀作品に選ばれたのは、和歌山県立橋本高等学校1年の水本梨々華さんの『終わりは始まり』という作品だ。
 これは朝井リョウ著『少女は卒業しない』について書かれた読書感想文である。

 この作品を読んだとき、読書感想文という枠を超えた、創作、クリエイティブな作品だと思えた。従来の読書感想文にはない、みずみずしさと創造性が随所に散りばめられているのだ。

 素晴らしいので、ここで再録して紹介してみたい。以下は2月1日毎日新聞朝刊和歌山版かの抜粋である。

 - 日記を書くこと。それは今年の初めから続けている、私の習慣の一つだ。寝る前に今日の一日を振り返り、起こった出来事や感想を手帳に書き込む。
 ある日、夏休みの予定を書こうと、私は手帳を開いた。2行程度の日記が日付とともにずらりと並んでいる。懐かしく見返しながら、1通の手紙のことがふと頭をよぎった。それは中学校を卒業する2カ月前、高校を卒業する18歳の自分に宛てて書いたものだ。当時15歳だった私には、3年後には友だちや自分がそれぞれ別々の道に進んでいくことは想像できず、その夜の日記には「手紙が届くのが楽しみ」とだけ、綴ってあった。
 そして、4月。私は高校に入学した。「終わりのない始まりはない」。読みかけた本には最後のページがあるし、高校に入学したなら、いつか卒業の日は訪れる。あの手紙を書いたときから、そんな考えが私の頭にあったからだろうか。この本のタイトルが、書店で私の目を引きつけた。『少女は卒業しない』。
 この春から他校に吸収合併されるため、今年度限りで廃校になってしまう地方のある高校。この場所で少女たちの想いはあふれ出す。自分たちが通い続けた校舎が取り壊されてしまうこと、残された在校生は隣の市の大きな高校に通わなければならないことなど、少女たちの存在を無視して、様々なことがあっという間に決定されていった。全校生徒を対象にして行われたアンケートの結果、今年の卒業式は、取り壊し工事が始まる前日に行われることになった。つまり、在校生も卒業生と一緒に、この高校に別れを告げることになる。
 ただでさえ、「卒業」は別れを生むというのに、次の日には校舎は壊され、再び集う場所すら奪われてしまう状況。まさに「ジ・エンド」である。早朝の通学路で、誰も居ない屋上で、在校生代表の送辞で、卒業ライブの控室で、そして真夜中の校舎で、7人の少女の視点から描かれる卒業のかたちはそれぞれ違ったけれど、彼女たちの物語の中には「青春」があふれていた。「青春」その言葉は夢や希望に満ちた「人生の春」にたとえられる時期をさす。やがて来る終わりの時に向けて「さよなら」の物語を生きる彼女たちだが、そのひたむきな姿は「青春」そのものだ。
 その中でも私の心に最も響いたのが「屋上は青」である。孝子という真面目な少女と、その幼なじみで、孝子とは対照的な尚輝。高校を退学し、自分の好きなことを一生懸命に続ける尚輝に対する世間の目は冷たい。「なぜ彼をもっと素直に見守ることができないのだろう」。自分の毎日で精一杯だった孝子は、心の中のその思いを声に出すことができなかった。私にもその孝子の気持ちが痛いほどわかる。周囲と足並みを揃えて、やらなければならないことに追われている自分に対して、やりたいことをやっている尚輝の姿は孝子の目にはどう映ったのだろう。
 私がこの夏休みに参加した看護体験。出会った入院患者の方が私に言った言葉がある。
 「誰でも必ず、自分が進んだ道はこれで正しいのか不安になることがある。でも、これでよかったんやと思える時が来るから、本当にしたいことをするんやで」
 自分だけ周りと違う道へと踏み出すことを決めたとき、退路を断つと決めたとき、尚輝はどれだけ不安だっただろう。私も岐路に立っていた。文系に進むか、理系に進むかを決定する文理選択。理系クラスには苦手な科目もある。私には無理なのではないか。もし授業についていけなかったら。私は迷った。でも、自分が本当にしたいことを考えた時、私は決めた。医療の道に進みたい。たとえ厳しい道だとしても、夢へと近づくためなら乗り越えられる、そう信じたかった。尚輝のように。不安が無いと言ったら嘘になる。でも、尚輝も私が出会った患者さんも、自分で限界を決めずいくつになっても好きなことを続けることの素晴らしさを教えてくれた。
 「18歳の自分へ。元気ですか。進路はちゃんと決まっていますか。悔いのない高校生活を送ることができましたか」。手紙に書いたあの言葉。一度しかない今、私は何ができるだろう。ありふれた日常をなんとなく過ごすのはもったいない。私たちにはまだ時間があり、可能性がある。卒業までにしておきたいことはまだなんだってできる。「終わり」は「始まり」へと続き、「別れ」も「出会い」に繋がっているのだと考えれば、私も2年後「またいつか」と笑顔で手を振ることができるのではないか。その時には「さよなら」の言葉も前進しようとする意志のこもった強くて明るい言葉になるのではないか。
 少女は卒業する。別れがくることを知っていながらも、彼女たちは高校生の終わりをぎりぎりまで引き延ばすように、きらきらとまぶしく輝き甘酢っぱい日々を記憶する。そして、何年もの月日が流れたとしても、その記憶の中で、少女は卒業しない。-

 これが朝井リョウの『少女は卒業しない』の感想文である。

 こんな読書感想文を書くことが、あなたが16歳のときできただろうか?

 僕にはできなかった。

 これは感想を超えた、創作、クリエイティブ作品だと、いまの僕には思える。