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9月18日。
2日前、16日に祖母が永眠した。
葬儀は家族葬にして、今日は葬祭会館に親戚で集まっていた。
伯母や従姉妹達には私の病気や手術は伝えていて、お見舞いも来てくれていたけど、父には一切伝えていなかった。
父は数年前に、仕事を早期退職して、ある病気を発症してしまった。
コルサコフ症候群、といって過度のアルコール摂取が原因で脳の一部が萎縮して戻らなくなり、健忘症になっている。
だいぶ良くなったけど、新しく記憶することが難しくって、一番最初はその日食べたものは勿論、孫の年齢もわからなくなってたし、五分置きにまったく同じ内容の電話が三回続けてかかってきたりもしていた。
ストレスがかかったり情報量が多いとパニックになってしまうこともあって、結局私の病気も入院も手術もぜんぶ父には言わないでおこうと妹達と決めた。
そんなこともあって、父と会うのは半年ぶりくらいだった。
杖をついてることは、目眩がひどい時があるから念の為、と言えば納得していた。
ーー杖はついてるけど、とりあえず動けるし歩ける状態の自分で会えて良かった。
祖母にも、亡くなる二日前、14日に妹達と会いに行ったところだった。
持病もあり、ずっと入院していたけれど、具合が良くないと伯母から教えてもらい、妹二人と一緒にお見舞いに行ってきた。
入退院を繰り返して、痴呆もかなり進んでいた祖母にも、私の入院や病気のことは伝えてない。
それでもーー
ーー私が動ける状態で会えるまで待ってくれちょったみたいなタイミング…。
家族、ってもしかしたら見えない部分で繋がっていて、感じるものがあるのかもしれない。
ーーおばあちゃん、ありがとう。おじいちゃんとゆっくり会ってね。
会館の外庭にある木の周りに落ちているどんぐりを娘や従姉妹の子ども達と拾いながら、神様に仕組まれたかのようなタイミングに思いを巡せた。
9月5日。
溝口先生と話した通り、8月31日に無事、退院することができた。
その二日前に、また外出許可をもらって、先生や看護師さん、リハビリさんに渡すお礼のクッキー詰め合わせとメッセージカードを買ってきた。
四カ月半も入院していて、オペ後の視力と体力が回復してきてからは、病棟の看護師さんや助手さんの顔は全員わかるし、清掃スタッフとも雑談するくらいになっていた。
だから、退院は物凄く嬉しいけど、みんなと会えなくなるのが寂しいという想いもあって、不思議な気持ちだった。
それとその外出した日は、もう一つ大きなことがあった。
入院した時を最後にずっと止まっていた月経が再開した。これには物凄くびっくりした。
体重が減って止まっていたのかと思っていたけれど、もしかしたら出血の影響もあったのかもしれない。
入院してからオペ二週間後くらいまでは、ずっと朝晩のステロイド服用をしていたし、色々なものが自律神経系やホルモン系への影響を与えていたのかもしれない。
とにかく、少しずつ戻ってきた身体に安心も覚える。
そして、今日は、休みの母に手伝ってもらって、また自宅の掃除や買い出しをしてきた。
梅雨もまたいでしまったから、ちょっとした所にカビが発生していたりして、コンロや寝具も変えたかったし、心機一転エネルギー交換の意味もあって、色々買い替えた。
退院後は五日間、妹夫婦の家にお世話になったけど、ついに明日、娘と二人自宅へ帰る。
年内いっぱいは自宅療養で、家事や運動をしつつ、リハビリへ病院へ通う予定。
昼間はずっと買い出しと掃除をして、おやつをしてから、母と二人で娘の小学校へ。
今日明日と、夏休み中に作った工作の作品展があるとプリントがきてたから、見に行った。
職員室に声をかけると、先生方や用務員さんが出てきてくれて、
「お母さん、大変やったねぇ…!でも、元気そうで良かった!ほんまよかった!!」
と口々に歓迎してくれた。
ーーほんまにありがたい。娘が元気に過ごせよったのも、先生方のおかげや。
その後、帰宅してまた少し片付けをしてると、娘が帰ってきたから、ある程度仕舞をつけて、また妹夫婦の家に母の運転で連れてってもらった。
ーー今晩、お世話になったら、あとは娘と二人暮らしに戻る。がんばろう。
妹の家のリビングに入ると、下の妹母子も来ていて、壁には『退院おめでとう!』の飾り付けが!
なんと退院祝いのパーティーを準備してくれてた。
入院中に、退院後にみんなで着ようと約束していた、お揃いのロングTシャツもあって、着替えみんなで写真も撮った。
食後には、ケーキも出てきて、クラッカーまで。
ーー大変やったけど、戻ってこれて、本当に良かった。リハビリがんばろ。運動会の親子リレーもがんばろう!
明日からの自宅療養に向けて、ものすごく元気とパワーを貰えた夜だった。