志倉西馬の墓 | 琥翔のブログ

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東京は港区金地院にある志倉西馬の墓



デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
によると

しくら-さいば【志倉西馬】 1808-1858 江戸時代後期の俳人。 文化5年生まれ。 上野(こうずけ)(群馬県)の人。高崎の児玉逸淵(いつえん)にまなぶ。のち江戸にでて惺庵(せいあん)をひらき,宗匠として活躍。「俳諧(はいかい)七部集」の定本づくりにつとめ,没後,弟子の三森(みもり)幹雄らにより「標注七部集」として刊行された。句集に「西馬発句集」など。安政5年8月15日死去。51歳。本姓は富処。名は弘門。字(あざな)は俊明。別号に樗道,毛軒,惺庵など。

とある。
場所は墓地の隅、無縁仏と木下家の墓所の側にある。
見たところ下の石などから移動させられた可能性も高い。
東京掃苔録、関八州名墓誌、江戸文人辞典を見て見たが、残念ながら記載されていなかった。
ちなみに彼の開いた惺庵は新橋宗十郎町(現・銀座7丁目)にあったらしい。




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